
オーディオはかつてのブームほどではなくても、一定のフアン層に支えられ、メーカーも成り立っているように思う。
世の中がなんだか軽薄になってきたような感じで、ものごとを深く追究するような人も少なくなったかも知れない。
そう思っている中で、話の通じる人に会うとみょうに嬉しくなる。
深く追究すると言えば、いわゆるオタクを想像する人がいるかも知れないが、オタクとはまた違った部類と思う。
音の好みは各人各様であっても、違いがわからないと言われると、ちょっとがっかりする。
最近の若者は、すべてではないが車を欲しがらない、ビールを飲まない、草食系などと評されているが、音に対しての感性はどうなのだろう?
音にこだわりがあるのだろうか?
こだわりはないが、オーディオという分野があったり、そういう店があるから、何かおもしろいことがあるかも知れないと探索しているのだろうか?
前置きが長くなったが、ひとことでいい音というのも抽象的で、ある人が「いい音がする」と言ったので、試してみたらがっかりということもある。
例えば「この真空管アンプいい音がする」と言った場合「私はこの真空管アンプの音が好きだ」と言っているのだろう。
私はアンプは真空管だろうがトランジスタであろうが、そういう種類にはこだわらない。
結果主義なのだ。
ただ、私の思う結果に沿ったアンプで真空管アンプは未だに出会ったことがない。
それは、私がオーディオに関していい音と言う場合、それは高忠実度を基準にしている。
つまり、いかに原音に忠実であるか(HiFi)ということである。
この基準からいくと、コントロールアンプ(プリアンプ)は真空管アンプでも納得できるものがあるが、メインアンプ(パワーアンプ)では気に入ったものがない。
何が不満かというと、レンジが狭い。低域も広域も苦しい。
そこへいくと、良質なトランジスタアンプは低域も広域もストレスなくのびのびとしている。
ドライブ能力もトランジスタの方が優っている。ダンピングもよい。
いい音という表現に対しいい録音というのは違う。
私がいい録音というのは、ひとことで言えば「音楽的」ということである。
音楽的という言葉も誤解を生みやすいと思うが、わかりやすいのはレンジの広さダンピングといった物理的要素には関係ないということだ。
生演奏に対して、CDのような録音媒体を通しての音楽は録音技術も含めて表現としてとらえているわけである。
録音技術者は、演奏者の意図、作曲者の意図をよく汲み取り、録音物という作品に仕立てるという役目が大切であり、ただ単に記録すればよいという感覚でやっていたとしたら、いい録音はできないということである。