2010年04月30日

オーディオに如何ほど金をかけるか

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AudioJikoman.jpg1960年代のオーディオ華やかりし頃からすると、現在は低調である。
大メーカーも次々と、規模を縮小したり撤退したりしている。

それでも、火が消えそうということもない。
それどころか、超高級な製品も作られている。

今年になって早々、驚いたのは、1600万円のアナログプレーヤーが発売され、それも初期の10ロットはこれも早々に完売したということである。

お金持ちはすごいなあと思う。

私はそんな人達の足元にも寄れないが、生活必需品の家電には躊躇しても、それよりかなり高いオーディオ製品なら触手が動いてしまう。

何万円もするスーパーツィーターは買って、昼食は吉野家の牛丼といった生活である。
それでも、オーディオは楽しい。
好きなときに、眼前に演奏者が現れるような音を聴いたとき、幸福感を感じる。

だが、私はオーディオそのもの機械的な美も楽しいと思うが、それより装置を意識しないような再生ができたらいいと思う。
それなら、生のコンサートに出かければよいのだが、時間と金の都合を考えたとき、生活サイクルにうまく合わない時があるので、オーディオをやめるわけにはいかないと思う。

人によって、オーディオが生活に占める割合は違うだろうが、手軽に音楽を楽しむための装置として、どれほどの投資をしたらよいのだろうかと考えるこのごろである。
posted by dolce at 21:48 | Comment(2) | TrackBack(0) | オーディオ

2010年04月24日

吹奏楽の難しさ

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carabinieri.jpg左の吹奏楽のCDはイタリアのカラヴィニエリ吹奏楽団である。
指揮者はドメニコ・ファンティーニで、発足当時は24名のメンバーだったが、その後増員されて102名になったということだ。
ところで、このCDは吹奏楽を鑑賞する上では、数少ないCDのうちである。
だから、吹奏楽ファンのみならず、音楽の好きな人一般にも薦められるものであるが、これを聴いていると吹奏楽は大変だなとも思わせる。

それは、演奏の評価ではなく、オーケストラの編曲ものを演奏するとなると、クラリネットがヴァイオリンパートを奏することが多いので、これほどにも上手い楽団であっても、その大変さが伝わってくるのである。

もっと具体的に言えば、オーケストラの弦楽器は常にビブラートをかけているので、音程にはもともと曖昧さを含んでいる。
だから、少々下手な弦楽器奏者が集まっても、大勢になればそれらしく聞こえると言われるのである。

だが、吹奏楽ではビブラートは例外的である。
だから、真っ直ぐな単音をきちんと合わせなくてはならない。
ユニゾンでは特に大変だ。
さらに、木管の高音域にあってはもっと厳しくなる。

それでも、大勢のメンバーになると、大体の音程があっていれば、なんとか聞き苦しくなくなるものである。

そういう意味では、小編成は不利である。
大勢で演奏するほど、一人一人は下手でも様になって聞こえる。
コンクールでは大編成が有利なわけである。

このことは、大編成の中に紛れ込んでいては、いつまでも上手くならないと言えることにもなる。
上手くなりたい人は、大編成の中に埋もれているだけでなく、一人1パートのアンサンブルやソロにも挑戦した方が上手くなる。


posted by dolce at 17:27 | Comment(7) | TrackBack(0) | 吹奏楽

2010年04月21日

CDの修復〜スキップドクター

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SkipDr2.jpgCDは傷つけまいと取り扱いに注意しているのだが、それでも小さなスリ傷などがついて、音飛びがしたりひどいと再生不能になったりすることがある。

先日、来客がありCDをかけていたら、途中で再生不能になってしまった。
特に傷つけた覚えのないCDだったのでショックだった。

なんとか修復できないものかと、洗ってみたりしたが、よく見ると擦ったような跡があり、それが致命的だろうと思った。

置物を磨くならいいが、CDをコンパウンドで磨くには抵抗がある。
ネットでいろいろ探してみて、これだと直感で買ってみたのが写真のスキップドクターなるものである。

説明書を読んで早速ためしてみた。

結果は一発で直った。

えらく嬉しい気分になった。

写真の目立オレンジ色の部分にはブラシが入っていて、専用スプレーをふりかけたCDをセットし、ハンドルでCDが2回ほど回転するように回す。
その後、液を付属の布で拭いた後、やはり付属している小さなフェルトのような布で磨く。

説明を詳しく読むと、レーザー光が当たる光った面は相当磨いても大丈夫なようである。
だが、曲名などが印刷してあるレーベル面が傷ついた場合は修復不可能とある。

なお、音飛びはしないが、スリ傷が目立つCDも試してみると音がよくなる。

記録はデジタルだが、アナログっぽいところもある。

DVDやCD-Rの修復もできるとあるが、Bru-rayやハードコーティングがしてあるものはダメらしい。
posted by dolce at 22:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年04月14日

ユジャ・ワン 〜天才ピアニスト登場〜

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YujaWang1.jpgまたまた、凄いピアニストが現れた。
1987年生まれだから、まだ23歳。
凄いのはテクニックだけではない。
ひたすら、技巧だけを追いかける演奏ではなく、音楽のスケールの大きさを感じさせ、これはとてつもないピアニストになるのではという予感がする。

6歳からピアノを始めたとあるが、そんなに早く習い始めたとは言えない。17年間でこれだけの演奏をするとは、ただよく練習をしただけとは言えないと思う。
CDは1枚発売されているが、次の発売もすでに予定されている。
とても楽しみである。録音エンジニア、デイレクターには良い録音を切望する。

ユジャ・ワンは中国のクラシックピアニスト。北京に生まれ、6歳からピアノを習い始め、北京の中央音楽学院に学んだ。
音楽一家に生まれる。7歳のときに北京の中央音楽学院に入り、3年間そこで学んだ。14歳のときにカルガリーのマウント・ロイヤル・カレッジで英語を学ぶためにカナダに移り住んだ。現在ニューヨーク在住だが、大抵は世界中を演奏旅行している。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』









posted by dolce at 22:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | 演奏家

2010年04月13日

櫛田 櫛田てつ之扶/「飛鳥」〜櫛田てつ之扶 作品集〜

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asuka.jpg木村吉宏 指揮/大阪市音楽団
演奏:★★★★★
録音:★★★★

吹奏楽は魅力あるジャンルだが、CDを買うことは少ない。
それは、買ってまでも鑑賞したいというものがあまりないこと、発売も少ないことが挙げられる。

吹奏楽コンクールの録音が発売されているが、関係者のものとか義理が絡んだようなものしか買わない。

理由は、ズバリ、音が良くない。
録音が悪いのではなく、奏者の音が良くないということである。

こんなことを言うと、全国コンクール出場者からはひんしゅくを買うかも知れないが、率直に言うとそういうことになる。
「金を出してまでも」という気持ちになってしまう。

吹奏楽コンクールは、静かに歌うような曲も少なく、いつも戦って力んでいるような演奏が多い。
聴いていて疲れるのである。
それに、音作りを後回しにして、技量に合わない曲を無理して演奏するものだから、妙にへんな緊張感がただよっている。
ソロとなると、音は痩せて楽器が響いていない。

もっと簡単な曲を余裕で演奏したらいいのにと思う。
言葉をかえれば聞き苦しいのである。

なかなか本音を聞くことはないと思うので、悪口ととらないで欲しいと思う。

コンクールは何でも買わないかと言うと、そうでもない。
合唱のレコードやCDはけっこう買っている。

つまり、私個人としては、合唱の方が商品価値があるということになる。
合唱は、アマチュアのコンクールとしてはレベルが高いと思う。

なかなか買ってまでも聴きたいという吹奏楽のCDがない中で、木村吉宏 指揮/大阪市音楽団飛鳥 ~ 櫛田てつ之扶 作品集は聴いていて楽しいCDである。

櫛田てつ之扶氏の吹奏楽に対する思い入れと、音を感じる曲であるし、大阪市音楽団の美しい音色が作品の価値を高めていると思う。
posted by dolce at 22:10 | Comment(2) | TrackBack(0) | レコード・CD

2010年04月06日

マーラー/交響曲第1番「巨人」

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walter_mahler.jpgブルーノ・ワルター指揮/コロンビア交響楽団
演奏:★★★★★
録音:★★★★

これは懐かしい写真である。
元はコロンビアからレコードで発売された。
私がマーラーを初めて聴いたのもこのレコードである。
自分で作った装置で何回も聴いた。とにかく、圧倒された。

ワルターは歴史的名盤として名高い、同オーケストラでの、ベートーウ゛ェン・交響曲第6番「田園」もこのころ録音していた。

80歳を迎えたワルターは高齢を理由に、現役から引退したのだが、コロンビアからの強い要請で、オーケストラをワルターの居住地に近いところで結成するということで、録音が実現した。

そんなわけで、オーケストラの規模はあまり大きくないようだが、演奏するメンバーは名手ぞろいである。

ワルターの指揮では、オーケスチラがよく歌っているし、音が暖かい、心がこもっていると言った方が適切かも知れない。
だが、練習では「よく歌うように」と言ったことはないそうである。
それより「きちんと弾くように」と言ったという。

このCDは1962年録音のマスターテープからデジタル化したものだが、レコードで聴いたときは、曲の終盤はレコードの中心に近づくせいか、線速度が遅くなって音質が悪くなった。
こういうことは、レコードファンなら、レコードの宿命と考えているだろうと思う。

CDになって、その点は改善されているだろうと思った。
だが、若干、弦の高域が歪みっぽく感じられるところがあるのは、どうもダイナミックレンジの問題だろうと感じた。

とは言え、コロンビアの録音は音楽的には好ましいものである。
センスの良い録音エンジニアがいたからだろうと思う。

ショルティ/シカゴ響(DECCA録音)の豪快な、まぶしいほどに明るい演奏も聴き応えがあるが、このワルター/コロンビア響の落ち着いた演奏もすばらしいと思う。
posted by dolce at 15:13 | Comment(0) | TrackBack(0) | レコード・CD

2010年04月04日

曲想が変化する時こそ指揮者が必要なのだが

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指揮者がどういう役目を持っているのか、知らない人は意外に多い。
知人で学校へ音楽の講師へ行っている人でさえ知らないのには驚いた。

知らないと言っても、まるきり知らないわけではない。
その知人の音楽講師がわかっていないのは、年の多い指揮者は役得で指揮をやらせてもらっていると考えていることだ。
まあ、それだけ音楽を聴く力がないとも言える。
でも、指揮者は飾り、誰がやっても同じとは考えていないところだけは救いだ。

ところが、始末に終えないのがいる。
彼は若い時から、アナチュアのオーケストラを指揮している。
曲はほとんどポップスしかやらないから、ヨーイドンの合図とあとはドラムに任せておけばことは足りる。

だが、シニアと呼ばれる年齢に達した彼は、よせばいいのにクラシックに手を出した。
これで、何十年もやってきたのに、指揮の意味がわかっていないということが暴露してしまった。

拍子の変わり目が指揮できない。フェルマータの処理ができない等々、音楽解釈とかを伝える以前に最小限のテクニックを持ち合わせていないので、曲想の変わり目ではいつもストップする

曲想が変わって、次に移る時、何だか意味の分からない余計な拍が入ったりする。
そんな指揮でも、演奏者は、いつ飛び込むかをひたすら様子を伺い、適当にここだと思うところで音を出す。
ものすごい緊張感のみなぎる瞬間である。
音楽的緊張感ならいいのだが、車の運転中崖っぷちから落ちるのではないかと思う不安な緊張感である。

指揮者というのは安心感を与えるというのが仕事なのに、余計な不安を与えている。
だから、本番では指揮者を無視して演奏するか、萎縮してしまって音を出す者が少なくなってしまうかのどちらかだ。

そんな指揮でも、華を持たせてやろうと何人かはおもいやりの心でいるのだが、ある演奏会では本番にしか参加しない人たちがいると聞いたので、その人達が飛び出すといけないと思い、危ないところでは「そこは一旦棒を止めてください」などと基本のテクニックを伝えたら、その後呼ばれなくなったので、以来「いやなやつ」と思われたらしい。

それでも、彼氏は指揮をふりつけか勢いぐらいしか思っていないので、練習は曲の練習というより、実体は、彼の変な指揮でも演奏が止まらないという練習なのだ。

アマチュアはただでも練習時間が少ないのに、みんな指揮者のための練習に参加しているという、本当に心優しい人たちばかりである。

救いは、彼が「俺は指揮者だ」という顔をして、中学校や高校へ行かないでいることだ。
最近の吹奏楽は変拍子があったり、拍子やテンポの変化が多い。
指揮者ぶる以前に、必要なテクニックを駆使しなければ、かえって中学校や高校の方が通用しない。

中学校、高校では特に合図をきちんとしてやらねばならない。そうしないと、本番で不安になり音が出なくなる。
本番で音が出なくなるというのは、指揮者として信頼されていないと思った方がよいだろう。
子どもは正直である。
posted by dolce at 23:47 | Comment(2) | TrackBack(0) | 指揮について

2010年04月03日

グスターボ・ドゥダメル

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gusutabo.jpg4月2日(金)NHK(金)教育テレビ、芸術劇場でグスターボ・ドゥダメルのロスアンゼルスフィル音楽監督就任記念コンサートが放送された。
グスターボ・ドゥダメル(Gustavo Dudamel, 1981年1月26日 - )はベネズエラの指揮者。

バルキシメト生まれ。ユース・オーケストラやサルサ・バンドでトロンボーン奏者として活動していた父親と声楽家の母親の元で幼い頃から音楽に親しみ、5歳頃からエル・システマによる音楽教育を受け始める。10歳でヴァイオリンを選択し、12歳のときにコンサートマスターを務めていた地元のユース弦楽合奏団で指揮にも取り組むようになり、Rodolfo Saglimbeniやホセ・アントニオ・アブレウにも教えを受けながら1996年には同楽団の音楽監督になる。

1998年にアブレウの招きでカラカスに移り、1999年にはシモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラの音楽監督となり、同楽団や首席指揮者を務めているアメリカ州ユース管弦楽団などと世界各地で演奏することで注目を集める。ブエノスアイレスでシャルル・デュトワのマスタークラスを受講し、2003年にはサイモン・ラトルの招きによりベルリンやザルツブルクでアシスタントの仕事をする一方で、クラウディオ・アバドも彼をマーラー室内管弦楽団に招いている。2004年にバンベルクで開かれた第1回グスタフ・マーラー国際指揮者コンクールに優勝し、一躍脚光を浴びる存在となった。

2006年には、シモン・ボリバル・ユース・オーケストラを指揮し、ベートーヴェンの交響曲第5番、第7番やマーラーの第5交響曲をドイツ・グラモフォンに録音し、その覇気あふれる演奏で話題となった。同年にはベルリンのダニエル・バレンボイムの元で学んだ後にミラノのスカラ座で『ドン・ジョバンニ』の新演出を指揮している。2007年には、ローマ教皇ベネディクト16世の80歳を記念する公演でのドヴォルザークの『新世界より』が、全ヨーロッパにテレビで生中継され、2008年にはベルリン国立歌劇場に『ラ・ボエーム』でデビューした。また、2009年にはタイム誌のThe 2009 TIME 100に選出されている。

コンサートではヒナステラなどの、地元南米の作曲家の作品も積極的に取り上げている。他の楽団にはない、シモン・ボリバル・ユース・オーケストラならではの開放感もあって、聴衆の人気を集めている。

2007年からはエーテボリ交響楽団の首席指揮者に、2009年からはロサンジェルス・フィルハーモニックの音楽監督となる。2008年12月来日。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

1981年生まれだから、まだ29歳、ステージに登場し、その指揮を見ているととてもそんな若さに見えない。
すでに巨匠の風格さえある。

曲目は、ジョン・アダムスの「シティ・ノワール」(委嘱作品)と、
マーラーの交響曲第1番「巨人」

シティ・ノワールはすごい曲で、管楽器のソロがいくつか登場し、それも難度が高い。
難しいというのが売り込みでなく、この作曲家独特な音色で強烈な印象があった。

しばらく、ロスフィルの情報がなかったが、今回グスターボ・ドゥダメルを音楽監督に迎えて、ロスフィルが今後すばらしいオーケストラになる予感をさせる演奏だった。

オーケストラのメンバーもご機嫌で演奏しているという感じが、よく伝わってきた。
指揮者が好感をもたれて迎えられたせいか、音も明るく元気だった。
すばらしい奏者に、すばらしい指揮者、これからがとても楽しみである。

指揮ぶりも非常に明確で、オーケストラをぐんぐんひきつけていく、とにかくま20代なのだが、完全にオーケストラを手中にし、自分の意図を伝えていく様子は自信に満ちており、テレビからではあるが久しぶりに満足感のある演奏を聴かせてもらった。

天才指揮者現る。
posted by dolce at 21:46 | Comment(0) | TrackBack(0) | 指揮者

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