
指揮者がどういう役目を持っているのか、知らない人は意外に多い。
知人で学校へ音楽の講師へ行っている人でさえ知らないのには驚いた。
知らないと言っても、まるきり知らないわけではない。
その知人の音楽講師がわかっていないのは、
年の多い指揮者は役得で指揮をやらせてもらっていると考えていることだ。
まあ、それだけ音楽を聴く力がないとも言える。
でも、指揮者は飾り、誰がやっても同じとは考えていないところだけは救いだ。
ところが、始末に終えないのがいる。
彼は若い時から、アナチュアのオーケストラを指揮している。
曲はほとんどポップスしかやらないから、ヨーイドンの合図とあとはドラムに任せておけばことは足りる。
だが、シニアと呼ばれる年齢に達した彼は、よせばいいのにクラシックに手を出した。
これで、何十年もやってきたのに、指揮の意味がわかっていないということが暴露してしまった。
拍子の変わり目が指揮できない。フェルマータの処理ができない等々、音楽解釈とかを伝える以前に最小限のテクニックを持ち合わせていないので、
曲想の変わり目ではいつもストップする。
曲想が変わって、次に移る時、何だか意味の分からない余計な拍が入ったりする。
そんな指揮でも、演奏者は、いつ飛び込むかをひたすら様子を伺い、適当にここだと思うところで音を出す。
ものすごい緊張感のみなぎる瞬間である。
音楽的緊張感ならいいのだが、車の運転中崖っぷちから落ちるのではないかと思う不安な緊張感である。
指揮者というのは安心感を与えるというのが仕事なのに、余計な不安を与えている。
だから、本番では指揮者を無視して演奏するか、萎縮してしまって音を出す者が少なくなってしまうかのどちらかだ。
そんな指揮でも、華を持たせてやろうと何人かはおもいやりの心でいるのだが、ある演奏会では本番にしか参加しない人たちがいると聞いたので、その人達が飛び出すといけないと思い、危ないところでは「そこは一旦棒を止めてください」などと基本のテクニックを伝えたら、その後呼ばれなくなったので、以来「いやなやつ」と思われたらしい。
それでも、彼氏は指揮をふりつけか勢いぐらいしか思っていないので、練習は曲の練習というより、実体は、彼の
変な指揮でも演奏が止まらないという練習なのだ。
アマチュアはただでも練習時間が少ないのに、みんな指揮者のための練習に参加しているという、本当に心優しい人たちばかりである。
救いは、彼が「俺は指揮者だ」という顔をして、中学校や高校へ行かないでいることだ。
最近の吹奏楽は変拍子があったり、拍子やテンポの変化が多い。
指揮者ぶる以前に、必要なテクニックを駆使しなければ、かえって中学校や高校の方が通用しない。
中学校、高校では特に合図をきちんとしてやらねばならない。そうしないと、本番で不安になり音が出なくなる。
本番で音が出なくなるというのは、指揮者として信頼されていないと思った方がよいだろう。
子どもは正直である。
posted by dolce at 23:47
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