2010年05月28日

オーディオが元気だった頃

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オーディオが元気だった頃は、世の中に活気があったような気がする。
オーディオに関心があろうがなかろうが、そんなことに関係なく勢いのようなものが感じられた。

今、世の中は節約、ムダ、効率などの言葉が飛び交っていて、それがビジネスの中心となろうとしいるとも言える。
そんな中にあっては、オーディオほどムダを背負っているものは少ないだろう。

オーディオファンは、いつムダのやり玉にあがるかとヒヤヒヤしている人もいるのではないか?
大体、効率の悪いアンプほど音が良いという傾向にあるし、重いものが音が良いというのも言えることである。

しかし、人間という生き物は効率一辺倒で生きられるものかとも思う。
効率一辺倒でやる気が失せたら、生産効率も悪くなるのではないかと思う。

どういうわけか、女性でオーディオに関心を示す人は少ないように思う。
何故かわからないが、そういう意味ではオーディオには男のロマンがあるようにも思える。
例えば、CDをガラスで作ったら音が良くなるのではないかという発想があると、それをすぐに実現してしまうというところがある。
そんなことは何でもないことだろうと思う人がいるかも知れないが、実際、発売されたガラスのCDは20万円だった。

オーディオメーカーとして有名なパイオニアも、このところ元気がない。
かつては、パイオニアが総力を挙げて作ったオーディオ製品にはEXCLUSIVEというブランド名をつけて発売したが、1983年に発売されたレコードプレーヤーは65万円した。
その頃の大学卒の公務員給与の初任給を人事院が97,000円という勧告を出しているので、いかに高いものであったかということである。

パイオニアの社員に聞いたところ、今はとてもそんなものは作れないと言う。

posted by dolce at 01:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | オーディオ

2010年05月26日

自分の生活のテンポに合うオーディオ

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世の流れで、機器が変遷していくのは仕方がないが、音の良い悪い、高忠実度といって判断を超えて、自分の生活のテンポと合うというか波長が合うという機器がある。

録音の媒体は、今やメモリーになってきている。
便利ではあるが、これでいいのか?
何か足りないのでは気がしていた時に、2T-38を持ち出して聴いてみると、これがいい雰囲気なのである。

そうだ、これが私の生活のテンポだという気がする。
喫茶店はたくさんあるが、こういう機械を使っていたら、洒落た店だと思うのだがどうだろう。



必要な機能は備えているし、性能もいいが必ずしも心の安らぎに繋がらないということに気がついたように思う。
posted by dolce at 20:19 | Comment(0) | TrackBack(0) | オーディオ

2010年05月23日

練習に充実感がないと衰退する

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人が集まるということは、何らかの期待感を持って集まるということだ。

つまり、何らかの充実感を味わいたいと思って集まってくる。
そして、我慢もする。
もっとも、その我慢にも個人差があるが。

特に、コンクールで金賞を目指しているとなると、吹奏楽ではいきおい難曲に挑戦することになる。

楽譜が配られた当初は、新鮮味もあって、頑張ればなんとかと自分に言い聞かせながらも練習に参加するのだが、所詮、手に負えないと感じ始めると、難しいところはごまかすしかなくなってくる。
それは、ごまかし方の練習にも繋がる。

ごまかすということは、一人ではできないので、常に大勢いないと音を出さなくなる。
本当は人がいない時ほど自分の音がよくわかるので、練習になるのだが。

ここで問題なのは、人間なら誰でもごまかし続ける生き方が快適であるはずがない。
ごまかしを続けることは精神衛生上にもよくない。

これは、本来の活動、音楽から離れていくことになり、活動自体にも気持ちが離れていくことになる。
出席が悪くなったり、遅刻したり、辞めたりすることになる。

集団というものは、その中の一人だけに利益が集中すると崩壊の方向に向かうと言われる。
誰か一部の者の価値観で押し切っていくことが、そういうことにもなりかねない。

だから、集団の活動というものは、参加することによりメンバーが充実感を感じる活動をしなければならない。

具体的には、一回の練習ごとに「今日は一応自分なりに演奏できた」という実感をメンバーが持つようにすることが大切である。

それで、私は練習のメニューには、メンバーの誰もが演奏できるような簡単な曲を入れるようにしている。
そして、その簡単な曲を心をこめて、自分の持つ最高の音で演奏するように言う。
posted by dolce at 23:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | 吹奏楽

2010年05月22日

吹奏楽〜音色にも気をつかってほしい

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学校では新入部員も決まり、今年の体制が整いつつあるところだろう。
そして、多くの学校がコンクールに向かって爆進することになる。

部活動の時間は昔より少なくなったとはいえ、学校ではたくさんの練習時間がある。
そのせいか、逆に練習の能率が悪いと感じることがよくある。
そのひとつの原因は

指揮者が前もって曲を勉強していないことにある。

合奏の時間に、指揮者も練習を兼ねているから、効率のよい練習ができない。つまり、指揮者がどのように曲を演奏したいのかはっきりしていない。
だから、時々方針が変わったりする。
指揮者はよく勉強しておいて、合奏の時には迷わないようにすべきである。
また、指揮の振り方が時々変わるのもよくない。

次に、私が非常に気になるのは「音がよくない」ことである。

なぜ、音がよくないか?
それはアマチュアだからではない。
そりゃあ、初心者からすぐに良い音が出ることはないが、それでも正しい奏法をすれば、時々良い音がすることもある。

安定して、管楽器らしい音がするようになるのは6ヶ月ぐらいかとも思うが、これが長いか短いかの感じ方は人によって違うだろうが、少なくとも2年生以上になれば「らしい音」はするはずである。

では、なぜ良い音がしないのか?

それは

1.良い音を出そうという関心がない

昔のことを思うと、今のアマチュアはかなりよい楽器を使っている。プロと変わらない楽器を使っているのも珍しくない。
なのに、良い音がしないのは音色に無関心だからである。
無関心は生徒だけでなく、指導者にも言えることである。
いや、指導者が無関心だから生徒も関心を持たないと言える。
生徒が良い音を出したとき「良い音がするね」と言ってやるだけで違ってくるのだが。

2.急ぐ演奏

大してテンポは速くないのに、急いでいると感じる演奏がある。
それは、テクニックに余裕がないからである。
これは、常に演奏者のテクニックを上回る曲ばかり選んでいることにも原因がある。
テクニックに余裕がないことには「楽譜を読む余裕がない」
ことも含まれる。

簡単な曲、テクニックに余裕を持てる曲をきちんと演奏する習慣をつけることが大切である。

3.美味しいものは味わって食べる

突然、料理の話?と思われるかも知れないが、音楽でも「美味しいところ」という言葉はしばしば出てくる。
つまり、素敵なメロディー、フレーズのことである。
演奏で心惹かれるメロディーはじっくり味わいましょう。

4.音楽は朗読と似ている

音楽の研究発表で「音楽言葉」という用語を使っていた小学校があった。
まさに、音楽は言葉である。
通常、それらをフレーズと言っているが、フレーズは人に語るように演奏しよう。


5.上手な演奏者は必ず楽に演奏している

力が入つていたり、力んで演奏すると、聞き手にも耳障りな音になる。
また、楽に音を出せない奏者は、音を出すことだけが精一杯で、歌うなんてことはできない。
ちなみに、私ごとで恐縮だが、クラリネットを吹いているが、リードは2.5しか使わない。通常2.5〜3.0で十分だと思う。



厚すぎるリードは楽器が共鳴しない、ということを知らない人が多いようだ。
もちろん、厚くないリードでも、薄っぺらい音を出してはいけない。

5.ドラマチックに演奏しよう

一部の例外を除いて、たいていの曲にはドラマがある。
そして、主人公が登場して冒険活劇が始まったりする。冒険活劇の中では主人公が美女を助けたりする。

どんなドラマを想定してもよいから、演劇部に負けないようなドラマチックな演奏を希望したい。
ドラマッチクであることにより、それぞれの部分はどのような音色を出したらよいかおのずとわかってくる。

posted by dolce at 20:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | 吹奏楽

2010年05月20日

スーパートゥイーターは聞こえないように鳴らすのがコツ

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PT-R100.jpg
スーパートゥイーターは高価なものが多いので、認識できるほどに鳴らしてみたいと思うのではないか?

しかし、そうするとまず嫌になると思う。

スーパートゥイーターの効果は、それ自身を聴かせることではなく、混変調歪や位相を補正することだと考えれば理解しやすいかと思う。

もっとも、スーパートゥイーターを追加すると言っても、20kHz以上からきちんと受け持たせるなんて芸当は普通ではできないので、ネットワークを入れて20kHzから6dBoctまたは12dBoctでつなぐことになる。

そうすると、トゥイーターとスーパートゥイーターが重なって帯域を受け持つことになる。
その時、スーパートゥイーターの方の音量が上回ってはいけない。

トゥイーターとスーパートゥイーターの能率が違うとき、アッテネーターを入れて音量を加減するという方法があるが、その場合はアッテネーターを信号が通過することで、音質に害を与える可能性もある。

そういう懸念を感じるなら、ネットワークはコンデンサー1本(6dBoct)にして、クロスオーバー周波数を加減することで、実質、音量のバランスを考えるという方法がある。

私はこの方法をとっている。

こういう場合、コンデンサーをおごって、良いものを使うようにしたい。
私が一番気にするのは、絶縁の良さである。
絶縁が悪いと、スーパートゥイーターに低い周波数が流れて、故障の原因になる恐れがある。

間違っても、容量があっているからといって、ペーパーコンデンサーだけは使わないようにしよう。

古くて得体の知れないものも敬遠することはもちろんだが、できれば絶縁テストをした方がよい。

posted by dolce at 23:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | オーディオ

2010年05月17日

ヘンデル:水上の音楽

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suijonoongaku.jpgジョン・エリオット・ガーディナー指揮
イギリス・バロック管弦楽団

演奏:★★★★★
録音:★★★★★

素晴らしいCD〜心が安らぐ

聴いていて敬虔な気持ちになってくる。
オーケストラの技量は秀逸で、指揮者も変に誇張のある演奏をするでもなく、それでいて心に迫ってくるものがある。

PHILIPSの録音も耳に心地よい。
解像度は高く、各楽器の音色が生きている。

センスのよい静かなカフェで、こんな音楽が流れていたら気分良くくつろげるだろう。

曲目リスト

1. 水上の音楽

組曲 第1番
組曲 第2番
組曲 第3番

2. 王宮の花火の音楽

序曲、ブーレ、ラ・ペ、ラ(平和)・レジユイサンス(歓喜)、メヌエット
posted by dolce at 08:40 | Comment(2) | TrackBack(0) | レコード・CD

2010年05月15日

ハチャトゥリアン:バレエ「ガイーヌ」

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Khachaturian.jpg ロリス・チェクナヴォリアン指揮ナショナル・フィルハーモニー管弦楽団
演奏:★★★★★
録音:★★★★★

ハチャトゥリアンのバレエ「ガイーヌ」の全曲盤(原典版)である。
演奏も素晴らしく録音も良い。
色々な音が入っているので、オーディオチェックにもよいかも知れない。

薔薇の乙女たちの踊り剣の舞は最もよく演奏される曲で、レスギーンカはしばしば、吹奏楽コンクールで演奏されるのを聴く。

吹奏楽は選曲に困ることがあるが、このハチャトゥリアンの「ガイーヌ」を聴くと、吹奏楽にも適しているなあと思う曲が多い。

吹奏楽ファンは一度この全曲盤を聴いてみるとよいと思う。
ただし、作曲家のハチャトゥリアンは1903〜1978だから、まだ著作権は切れていないので、演奏したいと思ったら、どこかの出版社を探すか、それなりのところに編曲を頼まなければならない。

指揮者のロリス・チェクナヴォリアン(Loris Tjeknavorian、は知らない人もいるかも知れないが、1937年生まれのイラン出身のアルメニア人指揮者・作曲家。

メリハリのある指揮ぶりである。

posted by dolce at 22:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | レコード・CD

2010年05月13日

スーパートゥイーターが戻ってきた

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EAS10TH1000.jpgスーパートゥイーターを使っていたのだが、ある日、片方が鳴っていないのに気がついた。
THECNICSEAS-10TH1000である(左の写真)>。

型式 リーフ型トゥイーター
最大入力 100W
V.Cインピーダンス 8Ω
周波数特性 4kHz〜150kHz
出力音圧レベル 95dB/m
総磁束 260,000maxwell
重量 3.6kg




高域が150kHzまで伸びでいる、文字通りのスーパートゥイーターである。
人の耳の高域可聴限界が20kHzまでなのに、なぜそれを上回る帯域が必要なのかについては、いろいろ論じられているところがある。

とりあえず、その論議はともかく、はずすと物足りないということはこれまで感じていた。

今まで、システムを整備してきて、この方向でいいんだなということが私なりにわかってきた。ずいぶんムダな回り道もしたと思うが、これからはそんなにブレることはないだろう。

真空管アンプは趣味性で、その独特な音に興味はあるが、レコードやCDなどの情報を漏れなく忠実に再生しようという方向では、落第となった。
だから、有名な真空管アンプはオークションで売ってしまった。
結構な値段で売れて、そのうえ落札者からは感謝の電話もあった。

話を元に戻すと、TEHCNICS EAS-10TH1000がなかなか手に入らない。
中古を扱っているオーディオ店ではすべて売約済みになっている。この上はオークションで辛抱強く待つしかないと思った。
それで、待ったかいがあってこのほど、運良く手にいれることができた。

出品者が良心的に、測定データをつけてくれた。
それだけで、結構、お金がかかったという話だった。

現在の私のシステムは、バイアンプでウーファーは1台のステレオアンプで駆動し、中高をバイワイヤーで接続し同じステレオアンプで駆動している。
そこに、今回のスーパートゥイーターをトライワイヤーで接続した。

クロスオーバー周波数をどうしようかと思ったが、10kHz(6dB OCT)でやってみると、スーパートゥイーターが聞こえ過ぎてしまうので、計算式より実際に試して聴感で決定することにした。
結果は0.82μFのコンデンサーを直列につなぐことにした。
正相とか逆相とかの話もあるが、正相でつないだ。

インピーダンスが8Ωで0.82μFだと、クロスオーバー周波数は、およそ25kHzあたりになると思う。可聴限界をはるかに超えている。
今日、来客があって聴いてもらったところ、スーパーツィーターに耳を近づけても何も聞こえないと言っていた。

ところが、システム全体の音は一変した。
本当にすごく変わってしまったのだ。
どのように変わったかと言うと、なんと中低音が元気になったこと。
全体にやや曇り空の天気が晴天になったという感じだ。

オーケストラがff〜fffの時、トライアングルが埋もれずきれいに分離して聴こえるのは理解できるとしても、低音が元気に張り出してくるのは驚きだった。
コントラバスが上の音域を支えているがよくわかることや、グランカッサ(大太鼓)が、今までとボリュームは上げていないにもかかわらず強烈な迫力で迫る。
ティンパニーが明瞭に浮き出てくるのも大きな変化である。
撥がまさに皮に接触するという感じの音までわかる。

ということで、スーパートゥイーターの効果は高域だけではないということを強調しておきたい。

ところで、この効果の原因は混変調歪の低減効果位相の補正効果ということである。

stereo.jpg
posted by dolce at 22:36 | Comment(0) | TrackBack(0) | オーディオ

2010年05月11日

もうすぐお風呂がわきます

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pianohappyokai.jpg今のマンションに引越してきて、荷物を整理し一段落したところで風呂のスイッチを入れた。

しばらく部屋でくつろいでいると、風呂からなにやらいいメロディーが聞こえてきた。
そして「もうすぐお風呂がわきます」と女性の声がした。

なんとも心がなごむ素敵なメロディー。

以来、風呂が楽しくなった。

ある時、何気なくCDをかけていて、アッと思ったら同じメロディー。
タイトルを見たら、オースティン作曲「人形の夢と目覚め」とあった。

まったく個人的な思い入れだが、この小さな2分足らずのピアノ曲のファンになってしまった。

また、今日も「もうすぐお風呂がわきます」で元気が出る。

作曲家の人柄が偲ばれる。

テオドール・エステンまたは英語読みでオースティン(Theodor Oesten、1813年12月31日 - 1870年3 月16日 ベルリン)はドイツのピアノ教師で作曲家。数々の歌曲や声楽曲で成功をおさめた。

早くも子供の頃から、フュルステンヴァルトの街中の音楽家についてさまざまな管楽器や弦楽器の演奏を覚える。19歳でベルリンに行き、ボーマー、ルンゲンハーゲン、シュナイダー、A.W.バッハらに作曲を師事する。修業を了えると、ベルリンで引く手あまたのピアノ教師として活動を始める。

1843 年にロンド《ことし初めてのスミレ "Les premières violettes"》を、流行の感傷的な趣味によって創り出し、大成功をおさめる。その後も単純にまとめられたサロン小品を創り続け、聴衆に歓迎された。現在では、《アルプスの夕映え》《人形の夢と目覚め》《花売り娘》によって名を残している。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
posted by dolce at 19:25 | Comment(4) | TrackBack(0) | レコード・CD

2010年05月01日

オーディオは人格を表す

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Audioikidonyumon.jpg「オーディオは人格を表す」というのは、音楽がもっと楽しくなる オーディオ「粋道」入門にある言葉だ。まさにそのとおりと思った。
著者はオーディオマニアを自認しているが、私がイメージするオーディオマニアとはちょっと違う。

私がイメージするオーディオマニアとは、もっぱら機械に没頭する人たちであり、常に装置のどこかをいじっていなければ、落ち着けないような人たちである。
オーディオのセットは音楽を聴くものであるから、一応音楽は聴くのだが、どうしても機械そのものの方に比重がかかっている人たちである。

だが、著者はそうではなく、音楽を聴くために装置にお金をつぎ込んできた人である。
私はこの本を手にして、読み始めたとき、思わず「そうだ、そうだ」とこころの中でつぶやいた。

著者は文才があり、私がいいたいと思うことをずいぶん的確に表現している。

オーディオの世界には「音は人なり、人は音なり」という金言がある。・・・いっときオーディオに取り憑かれたことがある。・・・オーディオのことしか考えられなくなっていた。服装には構わず、街歩きもせず、Y野家の牛丼を喰らい、寸暇を惜しんでオーディオに邁進した。しかし、その頃の私の音はよくなかった。
余裕がなく、遊びがなく、どこかギスギスしていた。そうじゃないんだ。オーディオにとって大切なのは、オーディオ以外のところにあるんだ。
・・・ならば、オーディオから外れた部分で最も大切なものは何か。美しいものを視ることも、恋をすることも、衣食住に凝ることも、自分のオーディオに栄養を与えてくれる。・・・

私流に言い換えれば「教養人でなければ、音はよくならない」と言うことだ。
いろんな人のオーディオを見せてもらったり、音を聴かせてもらったりすると、そのオーディオセットがその人の全人格を表しているようだと前々から感じていた。

それは、高価な装置を揃えている人の人格が高いというものではない。
そこにはつつましく、どこと言って平凡に見える装置から感動的な音が出てくることがある。
そういう場合は、見栄は張らないが押さえるところはしっかり押さえていて、まさにその人なりという感じがする。

一家の柱としてのお父さんの雰囲気が漂ってくることもある。
オーディオから「家族を大切にするお父さんなんだ」ということもわかってしまう。

オーディオは人を表す。
posted by dolce at 20:31 | Comment(2) | TrackBack(0) | オーディオ

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