2010年08月30日

ハイドン トランペット協奏曲

helseth.jpgトランペット:ティーネ・ティング・ヘルセット
ノルウェー室内管弦楽団

演奏:★★★★★
録音:★★★★★

ハイドンのトランペット協奏曲は、トランペット奏者にとっては定番である。
トランペットをよく知らない人には、その難易度がわからないが、そんなに易しい曲ではない。

トランペット奏者と言えば、モーリス・アンドレの名を挙げないわけにはいかないが、その演奏を初めて聴いたときは鮮烈だった。
プロ奏者たちも驚いた。

私は、このような奏者は二度と出ないだろうとの印象を持った。
器用に吹く人はたくさんいるが、どこか力で押し切っているという感は否めなく「この難曲をよくやった」との感動が多かった。

ところが、ホーカン・ハーデンベルガーという奏者が登場し、このハイドンを歌っている、余裕で自分の気持の表現をしているとの印象を持ち、モーリス・アンドレとはまたひと味違う、それでいて遜色のない奏者が登場したということで、また驚いた次第である。

ところが、今度は女性で、まるでトランペットを口笛のように吹いてしまう奏者が登場し、これには驚いたというより参りましたという感じだ。
この奏者はティーネ・ティング・ヘルセットというノルウェーの女性奏者である。

彼女の演奏を聴いていると、トランペットを通して、本当に音楽の世界に浸ることができる。
ハーデンベルガーも男性的でいいが、ヘルセットの演奏は女性らしい良さを備えている。

他にも優秀な奏者はいるが、彼女ほどあらゆる音域で音色の美しい奏者はいない。

トランペットという楽器は、ややもすると刺激過ぎて、聴いていると疲れてくることもあるが彼女の演奏は、いつまで聴いていても疲れを感じさせない。



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posted by dolce at 23:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | レコード・CD

2010年08月30日

ショスタコーヴィチ 交響曲 第15番

shostako_No15.jpgクルト・ザンデルリンク指揮/ベルリン交響楽団

演奏:★★★★★
録音:★★★★★

ショスタコーヴィチの交響曲で、最も演奏回数が多い、また聴かれることが多いのは5番だろう。
5番を聞いて、ショスタコーヴィチのファンとなり、それではと他の交響曲を聴いてみると、予想を裏切られることも多いのではないかと思う。

それは、作品の出来不出来ではなく、あまりにも違うからである。
「ああ、ショスタコーヴィチだ」というショスタコーヴィチ節とでも言おうか、それが聴こえてくるものの、5番のように、いわゆる古典的な交響曲の形式を踏んでいないからだ。

交響曲第2番 ロ長調「十月革命に捧げる」は約20分ほどの一楽章だけの交響曲である。

このように、作風がスタンダードでないのは、ショスタコーヴィチが政治的にいろいろ翻弄されていたからではないかと思う。

彼の交響曲第15番は4楽章形式の交響曲で、いろいろな思い出が詰まっているように感じる曲である。
第1楽章で「あれ、どこかで聴いたような」と思ったら、それはウィリアム・テル序曲のスイス軍の行進のテーマだった。
彼が一番始めに好きになった曲とのことである。

演奏はクルト・ザンデルリンクの深く掘り下げた解釈を感ずるもので、ベルリン交響楽団も好演をしている。
上手い下手ではなく、やはり日本のオーケストラとは違うなあという匂いを受ける。

クラシックの好きな人は、是非、聴いてみるとよいと思う。

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posted by dolce at 12:15 | Comment(0) | TrackBack(0) | レコード・CD

2010年08月25日

自称指揮者

sikisya_sigoto.jpg自称指揮者というのはアマチュアにしかいない。
プロは指揮者という名称自体が職業だから、腕のいい悪いを問わず指揮者である。

アマチュアの場合、指揮をしていると言っても、それが指揮になっているか、という問題があるし、メンバーからしたら指揮者という認識があるかという問題もある。

人は往々にして、肩書きがつくと中身までそうなったと錯覚する場合がある。
これは、中身が充実した人にはない錯覚である。

例えば、もうプロ野球も終盤になってきたが、最終的に日本一のチームが決まると、最高殊勲選手も決まる。
過去にさかのぼってみると、最高殊勲選手に選ばれた人は、ファンも認めるところなのだが、本人は「私が選ばれるとは、実感がありません」とか「みなさんのおかげで」とかいう謙虚な言葉が聞かれた。

ここにも「実れば実るほど頭を垂れる稲穂かな」の言葉が生きているような気がする。

こうみてくると、アマチュア指揮者も同様に思える。
誰か指揮をしなければならないので、本当はプロを頼むのがいいのだが、そんな予算もないとなると、メンバーの中から誰かということで、誰かが指揮者に選出される。
だが、選出されたとたん、本物の指揮者になれるわけではない。

フィラディルフィア管弦楽団の常任だった故、ユージンオーマンディはヴァイオリン奏者だったが、指揮者の急病の折、急遽代役を務めたことがきっかけとなり、指揮者になった。
これは、間違いなく指揮者と言ってよい。

sikisya.jpg
アマチュアの場合、指揮者に選出されたら、それは指揮係という認識でいた方がよい。
自分で指揮者というのではなく、つまり自称指揮者ではなく、アマチュアの場合はメンバーから「これは指揮者だ」という認識をもらって初めて指揮者となれると思った方がよい。

いや、メンバーだけでなく、演奏会を行った時、聴衆から指揮者との認識をもらってこそ指揮者なのだろうと思う。

演奏会では、よくアンケート用紙が配られるが、指揮者について問う項目を見たことがない。
もし、あなたがアマチュアの指揮をしていて、名実ともに指揮者として認めてもらいたいと思うなら、アンケートに指揮者について記入してもらう項目を設けたらどうだろう?

そして、痛い批判にも耐えて勉強し、聴衆からもよい評価がもらえるように努力するというのはどうか?

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posted by dolce at 17:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | プロとアマチュア

2010年08月22日

ブラームス / クラリネット三重奏曲

stoltzman.jpgクラリネット:リチャード・ストルツマン
チェロ:ヨーヨー・マ
ピアノ:エマニュエル・アックス

演奏:★★★★★
録音:★★★★

クラシックでクラリネット三重奏曲というのは、クラリネット三本の演奏ではない。
このように、ピアノ、チェロ、クラリネットという編成である。

曲はブラームス晩年の作曲で、ブラームスが作曲活動の衰えを感じ、静かな老後を迎えようと居を構えたころ、ミュールフェルトというクラリネットの名手と会い、そのすぐれた演奏にいたく感動し、再び創作意欲が湧いてきて作られたものである。

クラリネット五重奏曲(ロ短調)も同様な動機で作曲されたものだが、大変な人気をよび、聴衆が興奮し5回もアンコールを行ったという記録もある。

ブラームス自身は三重奏曲の方が好きだと言ったと言われるが、どちらも名曲で、クラリネット吹きにとっては重要なレパートリーだ。

今回紹介のCDだが、ストルツマンは何でもこなす優秀なクラリネット奏者で、武満徹も「彼がいたから作曲できた曲でした」という作品があるくらいである。

しかし、私はストルツマンの明るい音色がこの曲に合わないのではないかという懸念をいだいていた。
しかし、聴いてみると、その気持は払拭された。
抑制の効いたすばらしい演奏で、チェロが自己主張しすぎるのではという批評もあるが、この曲はクラリネットだけでなく、チェロもピアノもそれぞれ主張する部分があり、チェロとピアノが伴奏に徹するような演奏ではおもしろくない。

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posted by dolce at 10:23 | Comment(2) | TrackBack(0) | DTM・DAW

2010年08月22日

音色に対する感性

昨年からDTM(DAW)を始めた。
それで、時々セミナーにも参加するようになった。
このセミナーなんだが、どうもこの世界はロック中心の人が多く、しかもエレキギターが大きな役割を占めているようである。
というのは、音楽制作(作曲)の手順としては、ドラムパターンを作りベースを入れて、時にはストリングスを入れ、次にギターソロをMIDで演奏して入力する。
最後に、ボーカルを入れるというパターンである。

最終的には編集してCD制作をするのだが、全体の過程を通して感じたことは、この世界の人たちの感じる「いい音」というのは、私のようにオーディオで主にクラシックを聴く者と感覚が違うのではないかと思った。

簡単にいえば、このようなロック系の人たちは「電気的な音の範疇を超えないで『いい音でしょう?』『こちらの音の方がいいでしょう?』」との言葉が出てくるが、聴いている私にとしては、アコースティックな音源までもが電気的な音、人工的な音に統一されてしまっていて、普段オーディオで聴くオーケストラや室内楽の音とは隔たりを感じるのである。

つまり、エレキギターが活躍するようなロック系の音楽の人と、アコースティックな楽器の録音を聴く者とは、そもそも「いい音」と感じる感じ方が違うように思うということです。

セミナーはメーカーから派遣された人が来るのだが、例えばY社ではDTM製品もオーディオ製品も扱っている。
そこで、講師に、オーディオ製品の音のことを聞いたら「部門が違うので全然わからない」と言われた。

DTM(DAW)は元来、電気的な、人工的な音だと思っている人もいるかも知れないが、そんなことはない。
アメリカ映画を観ているとバックで聴こえてくるオーケストラが、DTM(DAW)にも関わらず、本物と間違えることもあるぐらいレベルが高い。

これは、私の別のサイトに記述したものだが、音質についてもう少しつきつめて言うと、例えば、クラリネットはA管、B♭管を持ち替えて演奏することは多い。
これは、調性の問題もあるが、音質にこだわる面も大きい。

モーツァルトのクラリネット協奏曲(イ長調)や、同作曲家の五重奏曲(イ長調)をB♭管で演奏するとなると、どうも気分がのらない。

gakki.jpg
ブラームスの五重奏曲(ロ短調)にしてもそうだ。
ブラームスはさらにできれば、エーラー式かウィーンフィルのウィーンアカデミー式がいい。

クラリネットについて例を挙げたが、他の楽器でも同様である。
トランペットはB♭管かC管か、ホルンはFで吹くかB♭で吹くか、チューバもB♭、C、Fなどが使われる。

どれを使うかで音色が違ってくる。
それはバンド全体の音色にも関わる。

このような音色にこだわらないようなレベルの演奏、あるいは目指さないような演奏は感覚が鈍感という感じがして、私としては近寄りがたい。

オーディオも同様で、それらの楽器の音色が表現できないような装置はメインの装置としては落第である。

ギャルドを聴くと、日頃聴いている吹奏楽と音が違うなと感じる人は多いと思う。
それは上手い下手のもんだいではなく、ギャルドではトランペットはC管、トロンボーンもC管というところが全体の音色に変化を与えていると感じる。

吹奏楽は変ロ長調の楽器が多く、変ロ長調の曲またはその近親調が多いせいか、たくさん曲を聴いてもみんな同じような音色に聴こえてしまう。

B♭管楽器は変ロ調以外の曲を演奏しても、B♭管の倍音が出てしまうので、やっぱりB♭という感じを受ける。

だから、作曲家は持ち替えを指示していることも多く、マーラーの楽譜に、突如C管が出てくるのは、マーラー自身がC管の音色を指定したらしい。
その証拠に、マーラーは「ここは断固C管だ」と強調したことがあるという記録が残っているからだ。

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posted by dolce at 09:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | 吹奏楽

2010年08月18日

アップ サンプリングと高域補完

フリーのFrieve Audioを使って、アップサンプリングを試してみた。

使ったPCはintel Corei7 8600、4G RAM、1T HDで、サウンドはオンボード。
Asioドライバーを使って、20W×2(4Ω)のデジタルアンプRSDA202にTang Band W3-1319SAという8cmフルレンジで音を出してみた。
なお、メインで使っているオーディオでも試してみた。

FrieveAudio.jpg


これは、ネットでもたくさん見かける情報だが、人の耳に聞こえる高域限界は20kHzであり、CDもそれ以上の高い音は必要ないとして20kHzぐらいから上をカットしてある、というよりCDのサンプリング周波数44.1kHzでは、理論上その半分の値22.05kHzが記録の限界で収録されている・・・それで云々と続いている。

20kHz以上が聞こえ、なんと90kHzまで聞こえるという論文まであるらしい。
こういう超高域は、単独では聞こえないが、可聴周波数の音と一緒の場合音の味付けに微妙な役割をする。つまり聞こえるのだと言う。

そこで、CDを再生する場合、失われた20kHz以上の音を予想解析して付加しようという試みもある。
具体的な製品としてはアコースティック・ハーモネーター (AH-120K)なるものがある。



でも、私のような貧乏人では気軽に買える値段ではないので、宝くじでも当たったらと考えていた。

ところが、今回使用したFrieve Audioでは、その機能が実現できる。
アップサンプリングとともに、この20kHz以上の補完も試してみた。

下の図を見てもらえばわかるが、上は補完前、下は補完後である。

spector3.jpg


spector4.jpg


聴いた感じは、両者を比較すると、補完前の音の方がきつい感じの音がする。
補完すると、滑らかというか聴きやすい感じになる。
多分、これはほとんどの人が違いを感じると思う。

(なお、私の家のオーディオはスーパートゥイーターが接続されていて、150kHzまで再生できることになっている。実測テストではテスト機が100kHzまでしか測れないので、この限界まで測定したたころ正常に再生することはわかっている。)

今まで、特別な装置を買わないと実現できないかと思っていたが、PCのソフトで可能となったことは喜ばしい。

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posted by dolce at 11:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | オーディオ

2010年08月17日

ギャルド・レピュブリケーヌ

ギャルドの演奏を聴いたある評論家が「これぞ吹奏楽が芸術となる時」と言った。
ということは、吹奏楽が芸術とみられていないことが多いということか?
ルーアン音楽院の教授でかつてギャルドの主席奏者でもあった、ジャック・ランスロ氏が、かつて日本の吹奏楽コンクールを聴いたとき「もっと音楽的に」と評したのが記憶に残っている。
何か凄いという印象を受ける、日本のアマチュア吹奏楽だが、何か戦い明け暮れていたようにも思える。

それから数十年経った、日本の吹奏楽はどうか?
ランスロ氏の「音楽的に」に近づいているか?

私にはそうは思えない。
何か、音楽とは違ったところで活動しているように感じるのは私だけであろうか?

夏はアマチュアの吹奏楽コンクールが真っ盛りだが、会場の雰囲気が昔と変わったなという印象を受ける。
それは、何か冷めた空気が漂っていることだ。

そんなことはないという人がいるかも知れないが「もっと音楽的に」と言われた頃の方が熱気があったように思う。
その熱気とは、他の団体の演奏に関心を持っていたことである。

昔はホールのロビーでは、他団体の録音もよく売れていた。
出演者も、自分たちの演奏が終わると他の団体の演奏を早く聴きたいという意向が強かった。

しかし、この頃は、ややオーバーに言うと、さっさと自分たちの役目を終えてさっさと帰るという空気を感じる。

学校の練習をたまに見に行くと、何か運動部の訓練のようなところもある。音楽をやっているのはずなのだが、あまり曲名や作曲家も知らない。
体育会系という言葉があるが、吹奏楽も体育会系のような臭いがする。

楽器にチューナーのセンサーをつけて、これって、工場の生産ラインで機械に使われているようなイメージを起こさせる。

ランスロ氏の「もっと音楽的に」を活かす、子どもたちの感性に音楽心の灯をともす指導者がたくさん現れてほしい。



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posted by dolce at 11:26 | Comment(4) | TrackBack(0) | 吹奏楽

2010年08月16日

イベール / 寄港地 他

iber.jpgシャルル・デュトワ指揮
モントリオール交響楽団
フルート:ティモシー・ハッチンズ
演奏:★★★★★
録音:★★★★★

イベールは「寄港地」でよく知られているが、このCDに収録されているその他の曲もおもしろい。それらも聴くことによって、イベールという作曲家の作風もわかってくる。

曲目
寄港地・・・3つの交響的絵画
フルート協奏曲
モーツァルトへのオマージ
交響組曲「パリ」
バッカナール
ボストニアーナ
ルイヴィル協奏曲

フルート協奏曲は、フルート吹きの中ではよく知られていて、レパートリーの一つにもなっている。

交響組曲「パリ」はパリの風景を描写したもので、地下鉄、郊外、パリの回教寺院、ブローニュの森のレストラン、イル・ド・フランス、旅芸人の6曲から成っている。
色々な音があって、色彩的な曲である。
デュトワ/モントリオールの卓越した演奏が、密度の濃い演奏で楽しませてくれる。
ジャック・フランソワ・アントワーヌ・イベール(Jacques François Antoine Ibert,1890年8 月15日 - 1962年2月 5日)は、パリ生まれのフランスの作曲家。しばしばその作風は、軽妙、洒脱、新鮮、洗練などと言った言葉で評される。
イベールはパリ音楽院に1910年に入学した。第一次世界大戦中は海軍士官として従軍。1914年に音楽院を卒業し、5年後の1919年、カンタータ『詩人と妖精Le poète et la fée』にてローマ大賞を受賞した。1923年まで3年間ローマに留学、『寄港地』などを作曲する。1937年からローマのフランス・アカデミーの館長に任命される。1940年、フランス政府よりの依頼を受けて、日本の皇紀2600年奉祝曲として『祝典序曲』を作曲。1955年から1957 年までパリのオペラ=コミック座の監督をつとめ、1962年にパリにて死去。
フリー百科事典ウィキペディアより。
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posted by dolce at 12:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | レコード・CD

2010年08月15日

PCオーディオ

CDから音楽をリッピングして、iPodなどの携帯プレーヤーに転送して楽しんでいる人は多い。

私は外出先までプレーヤーを持ち出して聴くということは、ほとんどないので、携帯プレーヤーは持っていない。

それでも、CDの音楽をPCのパソコンへ取り込んで聴くということはある。
その時に使うのが、iTunesやWinAmp、Windowsに付属のMediaPlayerなどである。
私は高音質化に興味があるので、mp3は使わず非圧縮のWAVで、ドライバーもAsioを使用している。

いろいろな場面で使うPCだが、これも高音質化へ向かっている。
最近、その高音質化を飛躍的に高めるアップサンブリングのソフトが、PC用に公開され始めた。

アップサンプリングとは、例えばCDを44.1kのから176.4kに変換するというものである。
具体的なソフトとしては、フリーのFrieve Audioダウンロートでききるので、興味のある方は試してみられるとよい。
これまでは専用のDACやCDPにその機能を内蔵しているものだけの世界だったが、PCの活用でアップサンプリングができることは喜ばしいことである。

ただし、それなりに音の良い環境を整えておかなければ差は感じられない。PCに付属してくるような数千円程度のものでは意味が無い。
私は、現在PCからメインのオーディオへつなぐことを考えている。
この場合、サウンドカードも良くないと意味がない。

64bitのVISTAから専用のサウンドインターフェースを通して、オーディオに接続してみたが、音の刺々しさがなくなって聴きやすい音になった。
しかし、ピンケーブルがあまり上質のものでないので、ややハイ落ちになってしまった。
ケーブルもよくして、環境を整えたいと思っている。

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posted by dolce at 20:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | オーディオ

2010年08月13日

ショスタコーヴィチ 交響曲 第7番

SHOSTAKO_No7.jpgワレリー・ゲルギエフ指揮
キーロフ管弦楽団
演奏:★★★★★
録音:★★★★★

私が聴いたのはSACDとCDのハイブリッド盤で、CDの方で聴いた。
演奏は素晴らしく、密度が濃い。

録音も特筆すべきで、ff〜fffでもうるさくないのが凄い。
交響曲第7番ハ長調作品60は、ソ連の作曲家ドミートリイ・ショスタコーヴィチの作曲した交響曲である。1942年3月29日にプラウダ紙上にて

「私は自分の第七交響曲を我々のファシズムに対する戦いと我々の宿命的勝利、そして我が故郷レニングラードに捧げる」

と作曲者によって表明されたことから『レニングラード』という通称を持つ。

ショスタコーヴィチの全作品中でも交響曲第5番と並び最も有名かつ人気のある曲のひとつでもあるが、題材や書法を巡って一部には「壮大なる愚作」との評もある。ショスタコーヴィチの交響曲のなかで最も演奏時間が長い。

第二次世界大戦のさなか、ナチス・ドイツ軍に包囲(レニングラード包囲戦)されたレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)市内で作曲された戦争をテーマとした交響曲として知られる。音楽の内容はきわめて壮大であり、ナチスのファシズムへの反感もあって初演当時から共産圏はもちろん非共産圏においても高く評価されていた。しかしそこにはソ連のプロパガンダを強く感じさせるものもあり、「壮大なる愚作」との評もこのことと関係がある。そのため、冷戦の激化とともに作品の評価の下がった時期もあった。

1970年代後半に出された「ショスタコーヴィチの証言」でこの作を「スターリンによって破壊され、ヒトラーによってとどめを刺された」とレニングラードを意味すると書かれたころに評価が変わり始めた(ただし「証言」そのものは偽書である可能性が大きいことを忘れてはならない)。

作品完成直後の1941年12月27日にショスタコーヴィチ家のパーティーに招かれたの疎開先クイビシェフでの隣人フローラ・リトヴィノワは、作曲者の次のような発言を回想している。
「ドミトリー・ドミトリエヴィチは言った。『ファシズム、それはもちろんあるが、ファシズムとは単に国家社会主義(ナチズム)を指しているのではない。この音楽が語っているのは恐怖、屈従、精神的束縛である』。その後、ドミトリー・ドミトリエヴィチは、第7番ではファシズムだけでなくソビエトの全体主義も描いたと語った。」[1]現在ではショスタコーヴィチはこの作品においてナチス・ドイツのみならずソ連政府の暴力をも告発しているのだという説が有力になりつつある。そのため記憶を現代に伝える歴史的な記念碑的作品としての見方もあり、再評価の動きが高まりつつある。
ウィキペディア フリー百科事典より

解説にあるように、いわくつきの作品だけに一聴に値すると思う。

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posted by dolce at 20:45 | Comment(0) | TrackBack(0) | レコード・CD

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