2010年11月30日

信者に気をつけるべし

私はオーディオが好きだが、これはいつも言っていることだが、マニアとは言われたくない。
オーディオマニアと言うと、どうも機械そのものに興味があって、音楽にはあまり言及しないという気がするからである。
もちろん、オーディオの好きな人がすべてそうだと言うわけではない。

私の場合は、あくまで音楽を聴くためのツールであって、生演奏との間を行き来している。
先日も久しぶりに大編成のオーケストラを聴きに行ったが、帰宅して、あれをそのまま家で再現することは非常に難しいと感じた。
それは、ただ音量の違いというものだけではない。
あのスケール感といったものの再現は、なかなか困難と感じさせる。
結局、家をコンサートホールと同じにしなければダメなのかも知れない。

ところで、オーディオは以前より下火となったとは言え、関係のサイトは検索するとたくさん出てくる。
最近、感じるようになったことだが、ここは何だか信者の集まりのようだと思うところがある。

信者というからには教祖様がいて、投稿には教祖様の怒りに触れないように気をつけなければならない。
教祖様の怒りに触れると、教祖様からのバッシングや削除に遭うだけでなく、信者からの一斉攻撃に遭う。
こう言う場合「なんと心の小さい」という感じを抱く。swinggirls.jpg
私は何が嫌いかというと、弱い者いじめ、スケールの小さい人間である。
近年、特にこの「スケールの小さい人間」が増えてきたように思う。

日本という国は、世界的に見ても小さい。
そこに、スケールの小さい人間がひしめいて、わいわい言っているのを想像すると吐き気がする。

だいたい、リーダーというものは、スケールが大きくなくてはいけないと思う。
そうでないと、会社では社員が縮んでしまう。
学校も例外ではない。校長のスケールが小さいと窮屈で、ストレスがたまる。
それで、問題が起きるのかも知れない。

中高生を指導するとき、何か文句を言ってくる生徒はおもしろいと思う。
だから、私はなるべく何でも言いやすいような雰囲気作りに努める。
「この人は何でも言える」と感じると、ずいぶん失礼なことを言う者もいる。

全員女子ばかりのバンドだった。制服からして、まるでスウィングガールズの世界に入ったようであった。
ある日、女子の一人が「先生! 先生の言うことって何でも正しいんですか!?」と言った。
周りの女子は突然のことで、呆れた顔をしていた。
そして、当然のように私の態度に注目した。
「いや、全然そんなことは思わないけど」
と私が言うと、みんなは嵐の予感がなくなったようだった。
子どもが、先生に言いたいことも言えないようでは、組織としての発展はないと私は思っている。

それにしても、教祖様のサイトには気をつけなければならない。



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2010年11月29日

音大出身者に仕事を

cristmas.jpg来月はクリスマスシーズンと言ったところで、店もクリスマス商戦が盛んになる。
と言っても、今年はエコポイントの関係で、今月末の駆け込み需要で、来月はあまり売上の期待はできないかも知れない。

話題は商売のことではなく、来月も演奏依頼がある。
スーパーや店が集まっている○○タウンというところの一角で、クリスマスに因んだ演奏をやって欲しいという依頼である。

出演するのは、他にもトランペット、サックス奏者がいるということである。
私はクラリネットであるが、いつもの私専属の伴奏者とだけ出かけていけばよいのかと思っていたら、話が拡大して、せっかく何人もの奏者が集まるのだから、全員で演奏するもの、つまりアンサンブルができないかということになった。

ヴァイオリン、クラリネット、アルトサックス、トランペット、ピアノという変わった編成のアンサンブルをするために目下編曲中である。

私以外の奏者は、音大卒ということだが、音大卒で仕事にあふれている者は多い。
現在のように不景気の空気が漂っている時には、よけいに音楽の需要は少ないのかも知れない。

しかし、この国が変だと思うのは、昔、エコノミックアニマルと呼ばれたように、景気浮揚に音楽は関係ないと思っているとしたら、それは間違いであると思う。

日本が戦争に負けて、東京も焼け野原になっているところから復興したのも、音楽によって元気づけられた面が多い。
音楽は人々のやる気を高揚させるという不思議な力を持っている。
牛だって、音楽を聞かせると乳の出がよくなるそうである。

もっと、音楽を使って景気をよくするといった新しい発想を考えたらどうかと思う。
そして、音大卒の仕事を増やしてほしいものだと思う。

音大も「経済と音楽」というテーマで研究をしたらどうか。

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2010年11月28日

なぜN響はおもしろくないのか?

放送を通じての感想だが、なぜかNHK交響楽団の演奏はおもしろくない。
上手いとが下手とかいうレベルの話ではない。
楽しくないのである。

このところ放送を通じて聴いたものでは、

ニコラウス・アーノンクール指揮 ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス演奏会 
J.S バッハ ミサ曲 ロ短調 BWV232

アンドレ・プレヴィン指揮 NHK交響楽団演奏会       
「交響曲 第3番 ヘ長調 作品90」     ブラームス作曲
「交響曲 第4番 ホ短調 作品98」     ブラームス作曲

指揮 児玉宏,大阪交響楽団 
「交響曲第4番 ハ短調 作品12」タネーエフ作曲

アーノンクールのウィーン・コンツェントゥス・ムジクスはとても魅力ある演奏で、音もいいし、音楽が生き生きとしていた。

N響のブラームスは、ただ淡々と演奏しているだけというか、何か金縛りにあったような演奏で、演奏者が生き生きとしていない。
個々の奏者の表現の自由がないという感じだった。
大抵、個のような演奏をする。

児玉宏、大阪交響楽団はN響を聴いた後では、ホッとする。
束縛から解放され、いい意味で自由に音楽を表現しているという感じがする。

N響は、デュトワを常任に迎えたことがあった。
しかし、音は変わらなかった。
デュトワと言えば、モントリオール響であるが、そういう音にはならなかった。
というより、全く変わらなかったと言ってよい。

N響の演奏会への客が減ったので、デュトワを招いたという話を聞いたことがあるが、その後客は増えたのだろうか?

デュトワの後、アシュケナージが常任になったが、やはり音は変わらなかった。
アシュケナージは変わった指揮をする。

私はN響に特別偏見を持つものではない。
日本を代表するオーケストラであるから、魅力ある演奏をして欲しいと思っている。
「N響の音」というものを作ってほしいと思う。

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posted by dolce at 22:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | 動画

2010年11月21日

名古屋市民管弦楽団第65回定期演奏会

今日は、名古屋市民管弦楽団第65回定期演奏会に行ってきました。
アマチュアのオーケストラを聴くのは久しぶりです。

========== プログラム =================

デュカス/交響詩「魔法使いの弟子」
プーランク/バレエ組曲「牝鹿」
ラヴェル/道化師の朝の歌
ラヴェル/亡き王女のためのパヴァーヌ
ラヴェル/「ダフニスとクロエ」第2組曲

=======================================

アマチュアのオーケストラとしては、すごいプログラムだと思います。
デュカス/交響詩「魔法使いの弟子」は、バスーンが活躍する曲ですが、最近は吹奏楽にもバスーンが入っているのを見かけます。
しかし、吹奏楽でバスーンが聞こえてくるバンドはめったにありません。

バスーン自体は、そんなに音量のある楽器ではないので、ユーホニウム、チューバ、バリトンサックスといった楽器が入っている吹奏楽では聞こえにくいでしょう。
バンドの指導者は、バスーンを何のために入れているのか考えて使うようにしたいものです。

オーケストラの中のバスーンはとっても大きく聞こえてきます。
その音色もよく生かされているというか、オーケストラにはなくてはならない楽器です。
デュカス/交響詩「魔法使いの弟子」では、バスーンという楽器の良さが生かされています。

今回の演奏会では、二人のバスーン奏者がとっても上手に演奏していました。
併せて、オーケストラ全体もデュカスの色彩的なオーケストレーションをうまく表現していました。

休憩をはさんで、後半はラヴェルでしたが、どの曲も大変な曲です。
しかし、現代はアマチュアでもこんな演奏ができるんだと驚いた次第です。

名古屋市民管弦楽団は今回、第65回を数える伝統あるオーケストラです。
その伝統の重みというか、安定感も伝わってくる演奏会でした。
指揮の角田 鋼亮・氏の指揮も素晴らしく、無駄な動きがなく、的確にアンサンブルをまとめる棒でした。

今回の演奏会で一番印象に残ったのは「温かみ」です。
プロの演奏会では、とかく消化するだけの演奏というのもありますが、音楽に対する気持ちの違いというか、音楽をする楽しさが今日の演奏会では感じられました。

名古屋市民管弦楽団が今後とも末永く発展していくことを願っています。

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posted by dolce at 21:35 | Comment(2) | TrackBack(0) | 演奏評

2010年11月19日

何のためのオーディオですか?

私はオーディオマニアと呼ばれたくないと、言ったことがある。
それは次のような人たちといっしょにされたくないからである。
周波数特性などのスペックはオーディオ製品を評価する場合の指標とされるが、マニアの一部には、実際に自身の耳でどう聞こえるかよりも、測定機器類の示す数値の方を信用する「スペック信仰」ともいうべき傾向が見られる。また、コンサートの生音よりも、自宅のオーディオ機器による「理想の再生」を好み、自宅と比べてコンサートホールの音響を批判し、特定のホールの特定の座席位置以外では演奏を聴かないといった言辞も見られる。

また、ある一面で本末転倒ではあるが、高スペック・高音質を追求する高級オーディオ分野では、音楽よりも各種機材の収集と空気感や臨場感の追求・比較が専らの目的となり、CDやレコードはもっぱら音質チェック・機材比較用のサンプルとしてだけ利用され、記録媒体にコンテンツとして収録されている音楽の持つ芸術性や演奏者の感性などにはほとんど興味や理解を示さない者もいる。
フリー百科事典「ウィキペディア」より

誤解されないように断っておくが、私はこう言う人たちをよくないと思っているわけではない。
趣味だから、各人、どのような目的でもそれは構わないからである。

私が言いたいのは、同じオーディオ装置を所有していても、その目的が違えば評価も違ってくるということである。

私は、オーディオという機械の音を聴きたいわけではない

一番いいのは、家に小ホールでも作って、演奏家を招いて実際に演奏をしてもらって、音楽談義をすることだ。
しかし、そんな経済力もないから、オーディオを補助として使っているのだ。

また、すでに亡くなった演奏家の演奏を聴くのも、オーディオという機械を使わなくてはできないことである。

簡単に言えば、私が一番興味があるのは演奏そのものである。
演奏そのものをできるだけ忠実に再生したいから、そういう目的でのグレードアップには興味がある。

最近、銀を主体としたケーブルに変えてよかったと思ったのも、再生音が一段と透明化し、演奏者のテクニックがより鮮明にわかるようになったからだ。

だから、私のオーディオに対する評価は、より演奏者の音楽を忠実に再現できるかどうかである。
機械であるから、車と同じように整備は必要である。
ある時、煙を出すようでは困るからである。

歪率、周波数特性等、ある程度は関心がある。
しかし、聴いてみて不自然でないことが大切である。
ある特定の編成、例えば、数人のジャズにはいいが、オーケストラになったら変だというのは、装置が偏った音を出すと判断する。

わかりやすいのは、自分の演奏を録音してみて再生してみることだ。
自分が演奏したのだから、よくわかる。

ある高級オーディオ店に、自分の演奏したCDを持っていって再生してみた。
多くの装置は、実際の自分の演奏より立派に聴こえた。
「なるほど、装置がお化粧してくれるのだ」
と思った。

しかし、ほとんどお化粧をしてくれないものもあった。
それは、アラも正直に出して、恥ずかしいほどであった。
私はこういうのがいいと思ったし、メーカーのまじめさも感じたのだが、客の評価はよくないようだった。

だから、商品としては適当にお化粧をしてくれるものが売れるんだと思った。
演奏者にとっては好都合ではあるが、演奏の反省をするには適していない。

人気俳優でも、たまに素顔の姿を見ると
「えっ、テレビとは違うじゃないの? テレビではもっときれいだったが」
に似ている。

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posted by dolce at 23:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | オーディオ

2010年11月18日

ウエーバー/クラリネット協奏曲 第2番

協奏曲が格好いいと言ったところで、現在練習している曲が、このウエーバー/クラリネット協奏曲 第2番

クラリネット協奏曲で一番好きなのは、モーツァルトだが、こちらは一応演奏したことがあるということで、次の候補がこの曲ということです。

まあ、派手な曲ですね。それだけに、演奏すれば受けるでしょう。







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2010年11月16日

コンチェルトの魅力

コンチェルト(concerto)は、今日、協奏曲と書くがかつては競争曲だったか競走曲だったかどちらかの訳が用いられたことがあると聞いたことがある。

どちらにしても、協奏曲はオーケストラが純然たる伴奏にまわるソロの曲とは違って、独奏楽器とオーケストラが対等という関係で、聴いていると、競走(競争)であったり、協奏であったりでスリルがある。

と言うか、協奏曲はたいていその楽器の名手がいて、まさに名人芸を披露するものである。
それだけに、その楽器の持ちうるあらゆる性能も生かしている。
そういう意味では、協奏曲は楽器を奏する者にとっては頂点の曲であると言える。

だから、演奏者は専ら、プロのものという意識が強いのかも知れない。
しかし、私はアマチュアであってもコンチェルトを目標にしてほしいと思うのである。
第一、同じ演奏するなら、コンチェルトが格好いいだろう?
逆に、みんなと一緒ならできるし、そのレベルで偉そうなことを言うのは格好悪いと思う。

アマチュアのバンドやオーケストラは、演奏技術が未熟でも参加できるという魅力がある。
しかし、できれば「みんなと一緒ならできる」から脱皮し、ソロ〜コンチェルトに挑むようになってほしいと思う。

評論家になることはやさしい。その評論が適切か不適切かに関わらず。
偉そうに評論だけするのではなく、自分から挑戦する人がいい。

「そんなに言うならやってみろ」

と言われたら、上手下手は関係なく受けてたつ人が私は好きである。

コンチェルトに挑戦してみれば、一人で全責任を持つことの難しさがわかるはずである。
そういう経験をした上で、評論したら、その言葉にも重みがつくだろう。

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2010年11月15日

楽器のしくみ

gakkinosikumi.jpgナツメ社の図解雑学シリーズは音楽に関して何冊か出版されている。
音楽入門のような印象を持つ人もいるかも知れないが、長年音楽に携わってきた人にとっても有用な本だと思う。

大体、オーケストラの楽器ぐらい知っていると、侮ってはいけない。
この本は、楽器が羅列してあるだけでなく、音響の原理まで突っ込んで、同族楽器まで取り上げてある。
だから、個々の楽器は今日のオーケストラを基準とする、西洋音楽の楽器だけにとどまらず、民族楽器にまで及んでいるところがよい。
それも、CD付きで音が確認できるところは、音楽の本としては企画がよいと思う。
例えば、イランのサントゥールという楽器が、これこれしかじかと説明されても、一体どういう音がするのだろうと想像するしかないが、即、CDで確認できるというのは満足度が高い。

欲を言うと、もっとたくさん音源を収集してほしいという気持ちになっているが、手軽に誰でも読める冊子としてのバランスを考えると、適切かと思う。

さらに、この続編ともいうべき本が出版されたらと思うが、そこは、出版者として利益が出るか出ないかという線引きに関わることかも知れない。
それでも、iPadブームに乗って出版が容易になってきたこと、同時に映像や音源の配信もできることを考えると、ぜひ関係者が規格をたててほしいと思う。

何か楽器を習いはじめ、先生を手本として夢中に取り組んでいるうちはいいが、やがて、誰それのコピーだけでは虚しい気分になってくる。
そんな時、小泉文夫氏が語ってみえた、民族音楽を研究する意義を思い出す。
創造性が枯渇してきたとき、民族音楽の響きが新鮮に感じられる。

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posted by dolce at 19:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | 楽器

2010年11月13日

変なデジタル論争

昔、デジタル録音はPCM録音のメディアとしてビデオテープを使っていた。
知人は「デジタルだから、安いテープでいい」と言っていた。

私はそういう彼に、できるだけ良質のテープを使った方がいいよと提言したが、彼は頑として聞き入れなかった。

テープの違いで、明瞭に音質差は感じられたのだが、頑として「デジタルだから、テープの質の差は音質には現れない」と主張する彼は変えなかった。
彼は、実際、聴いてみて音質差が感じられなかったのだろう。

結論、音質差がわからなかったら、高い方を買う必要はないと思う。

しかし、明らかに差は存在する。
そして、差が存在する理由も明白である。

A:デジタルだから、コピーガードは必要である。
B:デジタルでも音質差が出るから、信号の伝送に関するものは良質のものを使った方がいい。

このA、Bが矛盾していると文句をつけている人がいる。

結論、AもBも正しい。

Aの方は、デジタルコピーは全くオリジナルと同じだから、劣化がないから子も孫もないという意見。
その意見からすると、Bの音質差というのは、劣化を言っているのだからAとは矛盾していると言いたいのだろう。

どちらも矛盾していないというのは、デジタル信号は矩形波で送っているから、伝送する媒介
kukeiha.gif物の周波数特性によっては、波形が変形してしまう。
高域特性が悪いと、角が丸まって、受け取る側からすれば、あまりにも変形が大きすぎると、矩形波として認識することができない。

どうにか認識できた場合は、それが矩形波として了解され、きちんとした矩形波として再生される。
波形がくずれていても、矩形波として認識されればいいのだが、認識されるかされないかの境目にあたる波形は、その時の状況により欠落、つまりエラーとなる。

エラーとなっても補正機能があるからいいのではないか、と考える人がいるかも知れないが、エラー補正というのは、あくまで「予想して補う」ものであるから、元のデータと同じになるとは限らない。

PCM録音の録音メディアとして、はじめにビデオテープを取り上げたが、ケーブルでも同じことが言える。

ケーブルは質が悪いほど、長くなるほど矩形波のデータがくずれて読み取りにくくなる。
つまり、デジタルといえども、アナログ的影響を受けるのである。

例えば、身近になったUSBケーブルも長く引き回すと、信号がうまく送られなくなる。
そのため、長くなる場合は特別な延長ケーブルが必要である。
そういう延長ケーブルには、劣化した矩形波を整形する部分が付属している。

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2010年11月12日

アンプやスピーカーを聴きたいわけじゃない

私はオーディオマニアと言われたくない。
オーディオマニアとはどういう意味か、定義はわからないが、自分が勝手に受ける印象を言うと、専らオーディオ製品をあれこれいじり回す、とっかえひっ替えし、わけのわからん独自の世界に埋没していくという感じを抱く。

オーディオ・マニア

オーディオ愛好家の中でも、並外れて高額な資金を投じて機器類を蒐集したり、機器類の自作にこだわる層をオーディオマニアと呼ぶ。ただし単に愛好している場合でもマニアと呼ばれる場合があり、マニアと一般愛好家の厳密な区分は困難である。

とくにマニアとされる人々は、大衆一般への普及を目指すゼネラルオーディオなど、廉価な製品には見向きもしない。ハイエンドと呼ばれる高級機器やそれら専門メーカーのブランドで機材を揃える者はごく一般的であり、理想の機器が無いとしてスピーカーやアンプの自作・改造に熱中する者もいる。機器類に限らず、スピーカーケーブルや電源ケーブル、コンセントの素材から配線の長さにいたるまで拘りの対象は向けられる。高価なケーブル類に熱中するマニアは「電線病」と自称・他称される様な固有の趣味文化も見出せる。

こういった「こだわり」は音響機器のみならず、それを設置する環境にも向けられる。例えば交流電源である家庭用電灯線から電力を得ているためハムノイズ等の問題をはらみ、また住宅街にあっては周辺環境の雑音を完全に防ぐ事は難しい。自分の楽しんでいる音が、逆に周囲には騒音の発生源となってしまうケースもあり、オーディオ・ルームの防音対策や専用の防音室の設計・改築するマニアのため、こうした施工を専門的に行う業者や組み立て設置ブース型の製品も存在している。また、ノイズ発生に対して敏感になるあまり、同じ建物内の照明に蛍光灯を使用しないという者や、エアコンや冷蔵庫などについてインバータを利用していない方式の機器を探す者も見られる。

周波数特性などのスペックはオーディオ製品を評価する場合の指標とされるが、マニアの一部には、実際に自身の耳でどう聞こえるかよりも、測定機器類の示す数値の方を信用する「スペック信仰」ともいうべき傾向が見られる。また、コンサートの生音よりも、自宅のオーディオ機器による「理想の再生」を好み、自宅と比べてコンサートホールの音響を批判し、特定のホールの特定の座席位置以外では演奏を聴かないといった言辞も見られる[5]。

また、ある一面で本末転倒ではあるが、高スペック・高音質を追求する高級オーディオ分野では、音楽よりも各種機材の収集と空気感や臨場感の追求・比較が専らの目的となり、CDやレコードはもっぱら音質チェック・機材比較用のサンプルとしてだけ利用され、記録媒体にコンテンツとして収録されている音楽の持つ芸術性や演奏者の感性などにはほとんど興味や理解を示さない者もいる。
フリー百科事典「ウィキペディア」より

ネットでオーディオに関するブログや掲示板を見ると、アンプがクリーンで無色透明な音のものはつまらないとか、コクがないアンプはおもしろくないなどの意見を書いている人がある。
スピーカーにしても、スピーカーが何か特徴のある音を出してくれることを期待している人がいる。

それはそれで、個人の趣向だから、好きなようにやってくださいと思うだけだが、それが音楽性云々と言われだしたら、ちょっと待ってと言いたくなる。

音楽って、CDの中にある情報だけでいいんじゃないですか?

と思うのだけれどどうだろう?

私が理想とするシステムは、アンプもスピーカーも存在を忘れさせるように再生してくれる装置だ。
だから、アンプやスピーカーが自己主張してもらったら困るのだ。

アンプやスピーカーに何がしかの音色を求める人と言うのは、私からすると変なのだ。
例えば、コーヒー出そうとする時の水は、コーヒー豆の味を損なわないようなものがいいと思う。
コーヒーを出すときの水が、何らかの味を含んでいたら、コーヒーそのものの味は損なわれる。

私から言わせたら、アンプやスピーカーに何らかの音色を求める人は、コーヒーを出す水にジュースを使いたい人のようなものだ。
コーヒーが好きな人なら、使う水はコーヒーの味の邪魔をしないものを使いたいと思うだろう。

もちろん、コーヒーにジュースを使うのは個人の自由だが、そう言う人が、CDに記録されている音楽に関心を持つ者に対して「あなたは音楽を聴いていないんだろう(だから、アンプやスピーカーの音がわからないんだ)」なんてことを言い出す。

「そういうあなたは、本当に音楽に関心があるのですか?」
「それとも、アンプやスピーカーの音が音楽だと錯覚しているのではないですか?」

と言いたい。

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