

音楽鑑賞を趣味とする人の中には、過去の録音を大切にし、繰り返し聴いている人がいます。
古くはSP時代の録音からあって、有名なものはCD化されていますが、デジタルに変換されたもので聴くのに抵抗を持つ人もいます。
そういう人の中には、一切電気的な増幅装置のない、ゼンマイが動力の大きな朝顔型のラッパのついた再生装置や、ホーンを内蔵した箱型のやはり電気を使わない装置で聴いている人もいます。
そして、それらで聴く名演とされた録音があるので、今日ではそれに匹敵するような演奏がないと言って、新しい録音やコンサート不要論を唱える人もいます。
しかし、趣味としては自分の主義を貫くことは一向にかまわないと思いますが、現代、あるいはこれから名演は出ないと言って、閉じこもってしまうような行き方に私は同調できません。
というのは、演奏というものはその時代を反映するものであり、演奏環境は刻々と変化し、人生というものは、絶対に同じことを繰り返すことはできず、絶えず新しい時間に突入しているわけで、昔の名演が残っているかといって、それらを今の演奏家たちと単純に比較することはできないと思うからです。
昔と比べると、現代は演奏家にとって集中しにくい時代だと言えます。
昔の音楽家の多くは、スポンサーによって生活が支えられており、そのもとで活動していたわけで、音楽が次第に商業主義に飲み込まれることによって、職業音楽家が多くなり、今日、世界的に名を馳せている人たちは、まず職業音楽家です。
スポーツの世界でもそうですが、生活の基盤が商業主義に飲み込まれると、生活のためだけにするコンサートやレコーディング会社、音楽事務所などの言うとおりに、たとえ気が進まなくてもやらなければいけないものが出てきます。
私は今日の演奏家が昔の演奏家と比べて、決して劣っているとは思いません。
むしろ、昔の演奏家が神格化されてしまっていると感じるものもあります。
今日の若い音楽家のテクニックは素晴らしく、昔は演奏不可能とか難曲と言われたものでも安々と弾いてしまいます。
音楽はテクニックだけではないですが、テクニックがないことには、思うような表現はできません。
テクニックの話を持ち出すと、
テクニックだけが音楽ではないのようなことを言う人がいますが、それは、あるレベル以上のテクニックを持っている人たちから上の比較であると思います。
過去には素晴らしい演奏家、素晴らしい教師がいて、それらの先生から学んだ今日の若手演奏家の中には先生以上のテクニックを持った人もたくさんいます。
ただ、今日では落ち着いて演奏に没頭できる環境ができにくくなり、演奏者が満足に全力投球できることが少なくなってきていると思います。
そういう意味で、優れた演奏家に優れた演奏を残してもらえるように、音楽フアンや関係者は配慮すべきだと考えるのです。

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posted by dolce at 18:54
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