昨年は、思いがけなくコンサートが多かった。自分が演奏者である場合、聴衆である場合ともに多かった。
昨年一番の思い出は、何といってもトリオ・ミンストレルさんとブラームスの三重奏曲、作品114を共演させていただいたことである。
これに大いに刺激されたこともあって、活力が増してきた。
私はたしばしばオーディオについても、書いたりするが、私にとってのオーディオの位置は
1.自分の演奏を客観的に反省するために録音したものを再生
2.他人の演奏を録音し、聞き直して解析すること
3.市場に出回っている商品としての録音物の再生
という3つがある。
いずれも、自分の音楽レベルを引き上げたいという気持ちが強く働いてのものである。
自分の音楽レベルのことを仮に「音楽力」と呼ぶことにすれば、まさに自分の音楽力を高めるためにあると言える。
俗に言うオーディオマニアというのは、もっぱら機械部分に重点を置き、音楽を聞いていないとは言わないが、マニア同士の討論を聞いていると、音楽については表面をなぞっているだけのように見える。
だから、自分としてオーディオマニアとは呼ばれたくない。
もちろん、音楽力もあり機器にも強い人はいる。だが、いろいろなやり取りを呼んだり聞いたりしている限りは上っ面であたり形式的な話に終わっているような気がする。
かなり、固執した意見もあるが、嫌だなと思うのは、どうでもいいというと思うところに、ひどくこだわったり、反対に神経を使うべきというところに鈍感であったりする。
そして、自分がオーディオの権威であると誇示したいと感じる人が多い。
テレビでよく放映されるプロスポーツの世界では、優秀な選手は例外なく謙虚で偉そうなことは言わないし、ほのめかしたりしない。
音楽の世界も同じで、優れた奏者や真剣に音楽力の向上を求めている人はやはり謙虚である。
1.の自分の録音を聞くというのは、演奏している自身が冷静になって改めて聞くという意味もあるが、自分の音が聴衆にはどう聞こえているかを知りたいためだ。
コンサートホールのステージに立って、自分の出した音が聴衆の位置でどう聞こえるのかを想像できるまでには、何年もかかるような気がする。
そして、自分の音楽力を高めるには、特にクラシックにあっては楽譜が大切で、
アンサンブルやオーケストラ曲ではスコア(総譜)から音楽を読み取ることは必須である。
音楽の三要素として、リズム、メロディー、ハーモニーと言われるが、楽譜から読み取るのはそれら三要素だけではない。
俗に言う解釈というものだが、大作曲家の楽譜からは汲めどもつきないものがたくさん埋もれている。
だから、ベートーヴェンの曲がもう演奏つくされたということはない。
過去に名演の録音があるから、それを聴けばよいという人もいるが、これは大きな間違いである。
そもそも過去の名演奏家と、現代の演奏家を同列にして語ることが間違っている。
江戸時代のくらしと現在の暮らしを同列に比較することがナンセンスであるように、音楽も絶えず時を刻んでいて、テクノロジーが過去の資産を受け継いでその上に現在が成り立っているように、音楽も現在の優秀な演奏家たちも先輩たちの資産を勉強しその上で活動している。
だから、現在の素質ある演奏家は昔では信じられないほど上達が早い。
例えば、チャイコフスキーのピアノ協奏曲は、作曲された当時は、当時最も有名なピアニストでも弾けないと言って断られた。
現代、そんなことを言うプロのピアニストはいないし、キーシンはなんと12歳で、カラヤン/ヘルリンフィルと共演している。
音楽はテクニックだけではないという人がいるが、それはテクニックはなくてよいということではない。テクニックがなくては音楽を表現することはできない。
だから、早くテクニックを身につけるということは、それ以外の解釈などに多くの時間をかけられるということで、すばらしいことでもある。
コンサートに行くと、たまにスコア持参で来る人もいる。楽譜と実際の演奏の間を聞き取ることがより深く音楽を聴けるということであり、演奏家はもちろん録音エンジニア、カメラマンも楽譜が読めない人はいい仕事はできない。


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