2011年02月27日

楽器の故障は参りますね

mente_kinkan.jpg
自分の楽器の故障のことではない。
自分の演奏は、10年ぐらい前からソロもしくはアンサンブルが多いので、楽器の状態には神経を使っている。

楽器の故障で参るのは、学校の吹奏楽部である。
もちろん、全部が全部とは言わないが、故障は多い。
しかも、故障と気がついていないので、余計に始末が悪い。
楽器が故障していたらプロだって、演奏は不可能だ。

金管楽器のバルブが動かない、スライドの動きが悪い、ロータリーが故障しているというのは論外だが、木管楽器は複雑なだけに故障が多い。

トーンホールがきちんと塞がらないというのは多い。
特に、キーが連結になっている場合、コルクや調節ネジが狂っていて塞がらないというものが多い。

学校の吹奏楽は、大勢で演奏するので、故障があっても、誰かが音を出しているという状態の中で、自分の音が完全でなくても過ぎていってしまう。

終了時間ぎりぎりまで練習をしていると、あわてて楽器をしまうので、楽器も傷みやすい。
翌日、練習時にあわててオイルをさしているというバンドはいただけない。

mente_mokkan.jpg

オイルは基本的に、練習開始時にさすものでなく、練習後丁寧に点検し、ツバを拭きとりその後にさすものである。
そうしないと、楽器にツバがたまったまま一夜が過ぎることになり、その間に錆びる。
油をつけてしまえばそういう恐れがない。

練習時間を長くとりたいのはわかるが、楽器のメンテナンス、扱い方の指導もしてほしい。

楽器の状態をきちんとしておかないのは、練習以前の問題である。

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posted by dolce at 22:47 | Comment(0) | TrackBack(0) | 吹奏楽

2011年02月25日

バロックトランペット

最近は、古楽器が流行りつつあるような気がする。

バロック時代の音楽を、オリジナル楽器で聴くと、かえって新鮮な感じもする。
バロックというと、いつも、あんな高い音大丈夫?と感じるのがトランペット。

実際はトランペット奏者に聞いてみないとわからないが、バルブのない当時は倍音がたくさんある高域に音を書かないと吹けないので、音域が高かったとあるが、日頃聴いているトランペットからすると、大変そうに聞こえる。

当時は、トランペット奏者が演奏会の翌日心臓麻痺で亡くなったととか書いてあった。
そりゃあ、大変でした。



burandenburug.jpg

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posted by dolce at 22:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | 楽器

2011年02月18日

ブラームス 《クラリネット三重奏曲 イ短調》 作品114 第一楽章 完全版

以前、カラオケ版を作ったが、独奏のクラリネットも入った完全版をという希望があったので作ってみました。



クラリネット吹きにとって、ブラームスの室内楽は演奏してみたい作品だと思う。
私もそう願ってきたが、はからずも、昨年はトリオ・ミンストレルの皆さま方と共演させていただいたことは、大変記念に残る思い出となりました。

今年もトリオ・ミンストレルの公演は企画されているので、再会が楽しみです。

この曲は、ピアノ、チェロの共演者がいないとできませんが、ブラームスは尻込みされる方が多く、今年はまだ演奏の機会がありません。
どなたか、共演してくださる方があれば、よろしくお願いしたいと思います。

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posted by dolce at 16:41 | Comment(0) | TrackBack(0) | DTM・DAW

2011年02月17日

コンクールで全国大会へ出場したい人へ

すごい人がいますので、コンクール(合唱、吹奏楽)で全国大会へ出場したいと思っている人に、よろしかったら紹介します。

その人は下記のように言っています。

私は吹奏楽なら2年、合唱なら3年で全国へ行き、次の年には1位を取る自信があります。
試してみますか?いかがですか?


私の今までの人生の中で、このように言い切る人はいませんでした。
きっと凄い人なんでしょうね。
でも、本人がそう言っているのだから、真面目な話、興味のある人には紹介したいと思います。

私も指導ということをやっていますが、私としてはこんなことを言い切れる自信はありません。
それは、コンクールへの障害というものをいくつか体験してきたからです。
もちろん、自分の指導能力のこともあると思います。

kinsyoyori.jpg


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posted by dolce at 12:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | コンクール

2011年02月14日

ルチアーナ・セッラ (ソプラノ)

PHILIPS_CD.jpgモーツァルトの歌劇「魔笛」の有名な夜の女王のアリア "Der Hölle Rache" 地獄の復讐を聴いたとき、驚いたCDである。

このソプラノは高い「F」が出てくることで有名だが、プロの歌手なら誰でも出すのだが、これほど余裕で出す歌手を聴いたのが初めてだった。
このCDちょっと変わったCDで、歌手がなかなかわからなかったが、後で、ルチアーナ・セッラ(Luciana Serra)だということがわかった。F.jpg

余裕というだけでなく、きれいでなんとも魅力的な声である。
詳細は、フリー百科事典「ウィキペディア」に説明がある。
夜の女王が娘パミーナにナイフを渡して、宿敵ザラストロを殺害するように命じる場面で歌われる。歌詞の内容も、パミーナがザラストロの殺害を断わるようなら、もはや娘ではないと宣言するほどの、復讐心の苛烈さを歌ったものである。

ニ短調で書かれ、フルート、オーボエ、ファゴット、ホルン、トランペット、ティンパニそして弦楽合奏で伴奏される。『魔笛』全体で使われる楽器のうちで、トロンボーン以外のすべての楽器が使用されることになり、夜の女王の1番目のアリアよりも多くの種類の楽器が演奏される。
コロラトゥーラメロディーの出だしの楽譜

オペラでも稀な高音を使用するため、歌うことが難しいことでも知られる。一点ヘ(F4)から高音の三点ヘ(F6)まで、2オクターブにおよぶ声域を歌いこなす必要がある。テッシトゥーラは一点ロ(B4)から二点ロ(B5)の高音で構成される。このアリアの高音を出す場所のように、高い音域での装飾的、技巧的な歌唱様式はコロラトゥーラと呼ばれ、歌唱にはこの高音を出す天性の資質に、その高音を自由自在に使いこなす技術が求められる。




hofman.jpg
ルチアーナ・セッラの出演するオペラのDVDを探したら、オッフェンバック 歌劇《ホフマン物語》全曲 [DVD]
が発売されていた。

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posted by dolce at 20:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | 演奏家

2011年02月13日

市民バンドの練習

市民バンドの運営は大変だと思う。
まず練習場所だが、中には市の理解で専用の練習所を提供してもらっているという恵まれたバンドもあるが、そうでないバンドは大型楽器の保管場所や運搬に苦労する。

練習時間を毎週土曜日の午後6時からと決めているようなバンドも多い。
毎週土曜日ごとに、同じ練習場所で練習できるバンドはいい方で、毎回のように会場が変わると、運搬係は大変である。

どのように練習計画を組んでいるのかはわからないが、いつも全員が集まる必要があるのだろうかと思うこともある。
いつも全員が集まるようにしておかなければ、結束がはかれないというバンドもあるだろう。
それはまだバンドの創世記と言えるのかなと思う。

アマチュアバンドは、各メンバーが仕事を抱えているので、仕事の都合で参加できないこともある。
それはそれで仕方がないことであるが、アマチュアバンドの欠点は安易に欠席しやすいということもある。
サボリというのは格好が悪いので、理由として「仕事」と言っておけばよいなんてことも通用してしまう。suisogakubenricho.jpg

だから、アマチュアバンドの大切なところは、如何に出席の意欲を高めるかということであると思う。
仕事でもないのに、継続して出席するということは大変なことである。
始めは音楽が好きだからと言って参加しても、そのうちに飽きてきて出席しなくなるということもある。

また、今のところなんとか出席しているが、気持ちが欠席の方向に向かっているという者もいるかも知れない。
リーダーは自分だけ、あるいはスタッフだけの価値観で、欠席者を継続性のない人間なのだと決め付けず、バンドに何か魅力がないのだろうかということを、時に考えてみることも必要だと思う。

私が考える練習方法

1.全員集合の練習

曲が決まったら、指揮者がどういう曲作りをするかメンバーに伝えるための練習。
合奏が不完全でも、曲の全容をつかむために最後まで通す練習をする。
指揮者は当然、予め勉強しておいて、曲作りにおいてブレないようにしなければならない。

2.木管、金管、打楽器というようにグループで別れた練習をする

それぞれリーダーが中心になって練習をする

というように、いつも全員が集まるのでなければ、つまり人数が少ないほど集まりやすい。
もっと細かいパートごとでもよいだろう。

市民バンドは、大人のバンドなのだから、小グループに分けてリーダーをおいて、練習をするということも可能と思う。
時には、誰それの家で練習ということも可能かも知れない。

そして、演奏会の近くで全員が集まる日を設定する。
あるいは、演奏会まで日があるなら、全体練習を途中で設定してもよいと思う。

小グループでの練習は人数が少ないので、人間関係を高めるにはいいと思う。

となると、核になる何人かのリーダーを確保するということが大切になってくる。

並び方

しばしば、並び方について聞かれることがあるので、参考図を下に示す。

Band_Narabikata.jpg


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posted by dolce at 22:15 | Comment(0) | TrackBack(0) | 吹奏楽

2011年02月11日

吹奏楽の編成を考える

SuisogakuHensei2.jpg左の図にあるように三種類の吹奏楽の編成を考えてみた。
メンバーはみな一応演奏できる者を想定している。こういう言い方は変なのだが、アマチュアの多い吹奏楽では人数はいるが、一人前ではないという人が混じっていることもあるからだ。

私は概して大きな編成は好きではない。必要最小限と言った方がよいかも知れない。
編成1は27人だが、これでは少ないと感じるだろうか?

モーツァルトの作品に「13管楽器のセレナーデ」という曲がある。
文字通り13人である。

それからみると27人というのは、けっこう大きな編成である。

楽器の魅力は音色にある。
その楽器をたくさん混ぜるほど、各楽器の音色という個性は失われる。

吹奏楽の楽譜には、やたらといくつもの楽器が混ぜて書いてあったり、一つの旋律を大勢で演奏するように書いてある楽譜がある。
こういう楽譜は、教育的意図を持ったものが多い。

つまり、不特定多数の人が集まっても、どこかの声部が欠けないようにとか、一人では演奏できない場合でも多数でなんとかするとかの配慮である。
そこは、吹奏楽のよいところでもあり、悪いところでもある。

初心者や、初歩のバンドではそれでも満足感があるかも知れないが、自立した演奏者には満足感なくなる。

編成はどんな曲を演奏するのかということにもよる。
小さな編成では「嵐がそよ風になってしまう」という人がいた。
だから、編成3の46人が必要な場合もあるだろう。



オーケストラでは、作曲家が書いた楽譜のように編成を考えるのが普通だが、吹奏楽の場合は集まっているメンバーを中心に、作曲家の意図する編成を考えないということが多いような気がする。
しかし、吹奏楽も、作曲者は一体どういう編成を意図しているのかを考えてみて欲しいと思うことがある。

作曲家にとっては、自分が想定しない編成で演奏されるのは、あまりおもしろくないことだろうと思うからである。

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posted by dolce at 23:28 | Comment(0) | TrackBack(0) | 吹奏楽

2011年02月09日

吹奏楽の練習

アマチュアの場合の話。
それも市民バンドのような一般のバンドのことなのだが、ずいぶん個性的な練習が多いなと思う。
個性的なというより、いろいろな練習の仕方をしているといった方がよいのかも知れない。
それは、指揮者というかトレーナーの性格によるところが大きいのだろう。

人が違えば、好みも気になるところも違うだろうから、指揮者になった人が自分の気になるところを練習すればよいと思うが、困るのは練習の意図というか目的のわからない練習だ。

ソロの発表会、例えばソロ楽器にピアノ伴奏だけというのは、ソリストと伴奏者の打ち合わせだけで曲作りは進むのだが、吹奏楽のような団体となるとそうはいかない。

どういう練習をしようが、最終的にはどういう音楽をやりたいのかという設計図があって、それを設計図どおりに仕上げるということだ。

家を作るとき、はじめに柱を削ってばかりいるということはない。
きれいに仕上げた材料を使いたいのはもちろんのことだが、一番初めに知りたいのはどういう家ができるのかということだ。
家の設計図は一般の人にはわかりにくいので、最近ではパース図と言って、設計図をもとにして実際どういう家ができるのか立体的でカラフルな完成予想図を示すことが多い。

吹奏楽の練習も、同様に、全員にこれから作ろうとする音楽がどんな音楽なのかを示すことが一番最初にやることだろうと思う。
それを伝えるのが指揮者なのだが、指揮者は当然設計図なるものを頭に持っていなければならない。

それで、練習の時は全員に明確に伝えることが仕事であり、練習に際して考え込んでしまうのはいただけない。また、練習のたびに言うことが変わるというのも問題だ。

指揮者は楽器を演奏しないので、練習ではなんとなく棒を振っていれば時間が過ぎてしまうということだが、何も勉強してきていない指揮者につきあわされるメンバーは苦痛である。練習がおもしろくない。
指揮者は、前もって念入りに勉強してきて、練習でははっきりしたメッセージをメンバーに伝えてほしいものだ。

出席がしっかりしているバンドはいいが、コンサートまでにまだ時間があるという時には、出席が少なくて、コンサート直前に集まるというのも困りものである。
何ヶ月も前から曲作りをしてきて、直前だけ参加されたらバランスも音色も、つまりそれまでやってきた練習の意味がなくなってしまう。
それぞれが勝手に音を出している烏合の衆と同じになってしまう。
それでは、お客さんも満足しない。

練習回数は少なくても、全員参加という気風を作らなければ、やがてそのバンドは魅力がなくなってしまう。
だから、練習計画をきちんと作って、はじめからバランスがとれるよう、曲作りができるよう運営してもらいたいものだと思う。

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posted by dolce at 16:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | 吹奏楽

2011年02月08日

ECLIPSE TD712zMK2

TD712zMK2_2.jpg富士通テンのECLIPSE TD712zMK2は卵型の筐体に12cmのスピーカーがついている。
正確に言うと、スピーカーは筐体に固定されていない。それは、極力、共振を防ぐためだ。
私はこのスピーカーをオーデテオショーで3回聴いて、その実力を確認した。

スピーカーが小さいので、設置場所を考えてとか、安くするためと考える人もいるかも知れないが、そういうスピーカーではない。
富士通テンの音響理論に基づいて、高級オーディオへ参入したものだ。

できれば、スピーカーは1個で全域を再生するフルレンジがいいし、口径も小さくなることで、点音源に近づく。
スピーカーが小さいと低音が出ないのではないかと思う人もいるようだが、そんなことはない。

近年、スピーカーの口径は小さい方向になっている。
それは、はからずも、再生音を生音に近づける、いわゆるHIFIをねらったものである。
スピーカーは口径を大きくすると、空気を押し出す面積は大きくなり低音再生には有利だが、コーン紙の剛性を高くすることと、オーバーダンピング(音源にない振動まで、惰性でスピーカーが振動してしまう)で不利となり、音源に忠実な再生では不利になる。
車のボディが大きくなれば、それだけ丈夫な構造しなければならないし、大きなエンジンにしなければエンジンブレーキが効かないようなものだ。

スピーカーの口径を小さくして低音を再生しようとすると、コーンを重くしなければならないので、能率が下がることになる。
そこは、トランジスタアンプになって駆動力が増したこと、スピーカー自体の許容入力をおおきくしたことで、克服している。
だから、小さいHIFIスピーカーは概して能率は低いので、より強力なアンプが必要である。

このECLIPSE TD712zMK2は設計の意図通り、余計な振動が極力少なくなっているため、楽器の音が生々しく空中に再現される。
その筐体からは想像できない、音のパノラマが眼前に展開され、フルオーケストラのスケール感や楽器の定位がよく表現されている。

コントラバスを再生してみると、演奏の表情がよく出る。
よく勘違いされるのは、コントラバスは音が低いので、もっぱら低い音ばかり再生することを考えがちだが、コントラバスと言えどもたくさんの高調波を含んでいて、それが楽器の音色を作っているわけで、低音以外の中高域を再生しないと、その楽器らしさが再現されない。

ECLIPSE TD712zMK2というスピーカーは、スピーカー自体が何か音を作ってくれるというものではない。あくまでもソースに忠実なスピーカーであるので、そこを間違えないことである。

近頃の薄型テレビのスピーカーに使いたいと思うが、そんなに安くはないので、一般的とは言えないが、実現できれば贅沢な鑑賞ができると思う。



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posted by dolce at 10:31 | Comment(0) | TrackBack(0) | オーディオ

2011年02月06日

タンノイが変わった

TANNOY.jpg2010年8月、タンノイ社はKINGDOM ROYALというスピーカーを発売した。
このスピーカーの発売によって、タンノイは伝統のスピーカー、音をわずかに残しながら、大きくこれまでの方向を変えたと言える。

従来のタンノイは家具調で、エンクロージャーは弦楽器の胴のように積極的に鳴らしてきた。
壁や床を利用し低音を稼ぐという設計であったとも言える。

しかし、近代的なスピーカーはむしろ壁から離し、床から離すか振動を伝えないという方向である。
それは、トランジスタアンプになってから、アンプの駆動力は大きくなり、壁や床を利用することなく、スピーカー単体でアンプ強力な駆動力を背景に低音再生も可能になったからだと言える。

オーディオファンには様々な傾向の人がいるが、昔の音を懐古的に楽しむ人から、より生音に近くという人までいる中で、生音、リアル感を求める人が多くなってきたと思う。
それは、メーカーの主力製品をみることでもわかる。

タンノイやJBLは日本人のファンに受け入れられ、一時代を作ってきたと思うが、タンノイはクラシック向きでジャズを聴くスピーカーではないとか、JBLは反対にジャズ向きで、クラシックには向かないとされてきたのが大多数の人が認めるところであろう。

しかし、近代的なスピーカーはジャズ向き、クラシック向きではなく、何でもソースを忠実に再現するという方向に変わってきた。
JBLはエヴェレストというスピーカーを発売し、タンノイはKINGDOM ROYALによって何でも忠実にこなすスピーカーに舵を切ったと思う。



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posted by dolce at 20:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | オーディオ

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