2011年08月28日

N響ほっとコンサート

チャンネル :Eテレ
放送日 :2011年 8月28日(日)
放送時間 :午後9:00〜午後9:57(57分)

「シンフォニア・ノビリッシマ」
(指揮)現田茂夫、(吹奏楽)NHK交響楽団
「風紋(原典版)」
(指揮)現田茂夫、(吹奏楽)NHK交響楽団
「ディスコ・キッド」
(指揮)現田茂夫、(吹奏楽)NHK交響楽団



年に1度のN響メンバーを中心とする吹奏楽の演奏。

「現田 茂夫」で検索すると、フリー百科事典「ウィキペディア」にありました。

現田 茂夫(げんだ しげお)は、日本の指揮者。妻はソプラノ歌手・佐藤しのぶ。東京都で生まれ、千葉県船橋市で育つ。千葉県立千葉高等学校を経て、東京藝術大学を卒業。
経歴

1986年 二期会オペラ『ヘンゼルとグレーテル』でオペラ・デビュー。
1987年 新星日本交響楽団指揮者に就任。
1988年 新星日本交響楽団の定期演奏会でマーラーの交響曲第5番を指揮し、オーケストラ・デビュー。
1996年 神奈川フィルハーモニー管弦楽団指揮者に就任。
2000年 神奈川フィルハーモニー管弦楽団常任指揮者に就任。
2009年 神奈川フィルハーモニー管弦楽団名誉指揮者に就任。


率直な感想

なんと、感動のない指揮をする指揮者なのだと思いました。
だから、演奏もそれなりでした。

また、ピアスをしている指揮者を初めて見ました。
趣味が悪くないですか?

指揮法の勉強では、身に「光ったもの」などをつけるなと教わりました。

Youtubeで検索したら、次の演奏がありました。

映画音楽メドレー

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posted by dolce at 23:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | 指揮者

2011年08月09日

指揮の意味を考える

指揮の意味がわかっていない指揮者もいる

もちろん、アマチュアの話だが、アマチュアで指揮している人も、なぜそういう役割になったのか事情はさまざま。

(1)誰か指揮者やってくださいということでやった人

人前に出て指揮をするのには、それだけで適性というものがあるだろうから、そう言う意味で推薦されてなった人という場合。

(2)指揮者の意味はわかっていないが、格好いいのでやってみたいという動機でなった人

こういう人は性格的に「押しが強い」だろうから、特にライバルがいなければ、すんなりと指揮者として承認されるという人。

以上の2つぐらいかなと思う。

もちろん、指揮者としての素養、意味がわかっていてなった人。これが一番いいのだろうけど、数としては少ないように思う。

プロだからと言って、指揮者に適しているとは限らない

きちんとした音楽教育を受け、音楽的知識もあり、耳もよいとしても、指揮者として疑問な人もいる。
いや、プロでも中には音楽的素養に欠けているのではないかと思う人もいる。

では、なぜそういう人がプロの指揮者になれたのかと言うと、それは、人脈があったとか、音楽界に力を持っていてわがままが通るとか、容姿がいいので客が集まるなどの理由がある。
プロの場合、音楽は商売だから客が集まるということは大切なのだ。

指揮者になるには、免許とか資格はいらない。
音楽の道を歩んできて、指揮者ということでデビューしたが、次第に仕事がなくなり自然消滅のようになってしまった人もいる。

次の動画はサラ・チャンのヴァイオリン独奏/プラシド・ドミンゴ指揮/ベルリンフィルだが、指揮が指揮になっていない。

サラ・チャンがドミンゴを指揮しているようなものだ。
ドミンゴのの方は指揮者として、オーケストラをリードしていくのではなく「あなたまかせ」である。

ドミンゴのテナーはすばらしいが指揮者としてはいただけない。



ドミンゴはなぜ指揮をするのだろう?
自分が指揮をしたいから、わざわざそういう機会を求めているのだろうか?

演奏者が迷惑して、不機嫌だってことがわかっているのだろうか?

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posted by dolce at 12:15 | Comment(0) | TrackBack(0) | 指揮者

2011年08月04日

宮本 文昭

宮本 文昭(みやもと ふみあき、 1949年11月3日 - )は、日本の元オーボエ奏者で、東京音楽大学教授。2007年3月31日にオーボエ奏者を引退した。東京都港区出身。ジャパンアーツ所属。指揮者としても活動している。
フリー百科事典「ウィキペディア」より

宮本文昭氏がオーボエ奏者を引退したということは知っていたが、彼が指揮をするところを見たことはなかった。
最近偶然にも、民放の「題名のない音楽会」で指揮をしているところをみた。

人によっては、会ったこともない、話をしたこともない人を好きだ嫌いだと言う人がいる。
本人からしたら「別にお前から嫌いと言われたって」というところもあるだろう。

私としては、そういう先入観のようなものはなしで、演奏家をみたいと思っている。
だから、宮本氏に対しても、すばらしいオーボエ奏者だと思っていたことはあるが、彼が指揮者に転向したというニュースがあっても「へえ、そうですか」というぐらいで、その活躍がよかったら率直によいと言いたいし、そうでなかったら否定的なことも言うだろうという感じであった。

ところで、偶然見たテレビでの彼の指揮ぶりはどうであったか。
残念ながら、否定的な印象を持った。

その印象を短く言うなら、小澤征爾の真似をするコメディアンというところだ。

本人にはそういう意識はないかも知れないが、多くの人は小澤征爾の指揮を思い出すだろうと思う。
もちろん、そうであったとしても何も悪くない。

問題は演奏そのものである。
しかし、彼の指揮ぶりと実際に出てくる音が、いわゆるプロと言われる指揮者のそれではない。

知人に、ずいぶん音楽に憧憬が深い人がいるので、指揮をしてみたらと勧めたら、彼は「僕が指揮台に立って振り出すと、みんな笑い出しちゃうんですよ」と言った。

宮本氏の指揮もそのようなものだ。

私は指揮を見て、振っていることが音楽的に意味をなさないとすら感じた。
音楽に合わせて踊りをしていると言った方がよい。

聞こえてくるメロディーに合わせて、表面をなぞっているだけという感じで、コメディアンのショーならいいのだが、チャイコフスキーを演奏していますとは感じられないのだ。

クルト・レーデル氏は、音楽を勉強したからと言って指揮者になれるとは限らないと言っている。
指揮者という仕事は、学んでも学びきれないところがある。
そういう意味では、指揮者になれない人がいるわけだ。

私は宮本氏が指揮者として、これから成功するとは思えない。

指揮者ではなくて、指揮者のモノマネという分野でいけば、何か受けるかも知れない。

以上、辛口の率直な批評を述べた。

なお、批評を書く前に、宮本氏の指揮の動画を探したが見つからなかった。
見つかった動画は話をしているものばかりだった。

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posted by dolce at 14:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | 指揮者

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