2011年10月31日

お金をかけないオーディオ

お金をかけないオーディオと言うと、コストパフォーマンスの高い機器選びと思う人もいるでしょうが、今回はそういうことではありません。

コンサートによく出かけること

音がどう聴こえているか他人にはわからない。
当然のことだが、これが非常に大切なことだと思う。

音は「耳で聞く」というが、実際には脳で知覚されるわけだ。
脳には過去の記憶が残されていて、それが実際の音と相まって知覚になると考えられる。

梅干しを食べた経験のある人は「梅干し」という言葉を聞いただけで唾液が出てくるという、無意識の記憶がそうさせているように、似たような現象が「音を聞く」ということにも当てはまると言ったらよいでしょうか。

オーケストラの指揮者は、交響曲の楽譜、つまり全楽器の音符が書いてある総譜(スコア)を見るわけですが、その楽譜を見ただけで頭の中で音が鳴っています。

その頭の中の音をイメージして指揮をするわけです。
指揮者はオーケストラが音を出す前に、指揮棒を振ります。
練習の時は、そのイメージ通りの音が出ない時、棒を止めてメンバーにイメージ通りの音を出すように指示をするわけです。

こういう音楽の世界を知っている人には、釈迦に説法ですが、知らない人は指揮者とは、まるで音楽に合わせて踊っているようなものだと思っている人もいるようです。

だから、指揮の練習はCDを再生してその音に合わせて指揮をしても、ほとんど練習にならないわけです。

あるピアニストの家を訪問した時、ちょうど鍵盤の部分だけはずして作ったようなものが置いてありました。
rajikase.JPG鍵盤だけですから、弾いても音は出ません。
でもピアニストはこれで練習するのです。
音が実際に出なくても、ピアニストの頭の中では音が鳴っているのです。

まあ、紙鍵盤でも同じことですが、実際の鍵盤と同じでないと、指の力の入れ具合の練習にならないわけです。

ラジカセも存在価値がある

話が長くなりましたが、音楽を仕事としていない人も、コンサートに行くことで、脳が無意識に音の学習をし、自宅のオーディオ機器で音楽を聴いた時も、無意識のうちに記憶された音を引き出すのです。

だから、高価なオーディオ装置でなくても音楽は楽しめるわけです。
そういう意味では、ラジカセでもミニコンポでも存在価値があると言えます。

実際のコンサートを聴かずに、オーディオ装置ばかりにお金をつぎ込むのは、その人の行き方でいいのですが、それは現実の音を知らないで、装置そのものの音にこだわっているだけで、こういう人が私の感覚では「オーディオマニア」という感じがします。

何かまわりくどい説明になりましたが、私が言いたいのは音楽を聴くのに、装置は必ずしも高価でなくてよいと言うことです。

そのかわり、現実のコンサートに出かけることだと言いたいわけです。

実際、プロの音楽家は意外なほど、高価なオーディオ装置にこだわらない人が多いと、私は感じています。
「一応、音が聞こえればいい」と言います。

写真を載せた、ラジカセは5千円もしませんでした。でも、存在価値はあります。
ミニコンポでもそうです。

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posted by dolce at 21:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | オーディオ

2011年10月30日

オーディオ製品はいい加減という話

オーディオ製品は、ほんとにいい加減です

1.電流帰還がいいとわかっていてもできない。
2.ピンコードに流れる電流があまりに少なすぎる。こんな規格だれが決めたんだ。
3.インピーダンスを無視している。最適な終端も考えてないのでピンコードでかなり音が変わる。
4.アースの設計がいい加減だから電源コードの差し込み方で音が変わる。


これを読んだ方はどう思われるのだろうか?

電気のことはさっぱりという人は、そんなものかと思われるかも知れない。
しかし、一応、電気回路、特にアンプの基礎知識がある方は、驚かれるに違いない。

私のような未熟者ですら、驚きを隠せない。

1.電流帰還がいいとわかっていてもできない

この「できない」というのは「メーカーが、電流帰還回路のアンプを作れない」という意味なのだろうか?
もし、そういう意味で言っているのなら、とんでもないことである。オーディオ用アンプを作っている知られたブランドのメーカーが作れない(技術がない)ということはない。

電流帰還を採用するか電圧帰還を採用するかは、意図するアンプを作る時の選択の問題だ。
それとも、この人自身が製作に挑んだが作れないということなのだろうか?

いや、もっと穿った見方をすれば、この人自身は「電流帰還」とは何かわからないが、誰かの受け売りか、こういう専門用語を使ってみたかっただけかも知れない。

2.ピンコードに流れる電流があまりに少なすぎる。こんな規格だれが決めたんだ

この発言にも驚きました。電流が少なすぎると言っていますが、逆に質問したいですね。
「なぜ、電流を多く流す必要があるのですか?」と。

この方は、アンプの仕組みがわかっていなくて、発言しているのじゃないかと思います。
オーディオで使われているアンプは、回路が電圧増幅部電力増幅部に分かれているということを知らないのでしょう。

amp_kozo.jpg


この2つの増幅部が1台のアンプに内蔵されているものを、プリメインアンプまたはインテグレーテッドアンプと言い、2つの部分を独立させたアンプを、それぞれプリアンプ(もしくはコントロールアンプ)、メインアンプ(もしくはパワーアンプ)と呼ぶということは、オーディオマニアや増幅回路に知識のある人はわかっているはずです。

そして、電圧増幅部は電圧を増幅することが目的なので、あまり電流を流す必要がないのです。だから、もともとピンコードは多くの電流を流すようには作られてはいません。

L-15G_mini.jpgこの方は、ピンコードに大電流を流したいんでしょうか?
例えば、スピーカーコードに使うとか、家庭用の電気製品のコードとして使いたいんでしょうか?

「こんな規格だれが決めたんだ」と言っていますが、論理的に必要十分な規格を業界で話し合って決めたんでしょう。何の問題もないと思います。

3.インピーダンスを無視している。最適な終端も考えてないのでピンコードでかなり音が変わる。

インピーダンスを無視したら、アンプは作れません。
ピンコードで音が変わるのは、終端のインピーダンスのせいではないでしょう。

スピーカーに接続するメインアンプの出力端子は4Ω〜8Ωぐらいのインピーダンスのスピーカーにつなぐことを前提としています。
しかし、そうは言ってもスピーカーのインピーダンスは低域から高域までずいぶん変動しますから、その変動に耐えられるアンプがいいアンプです。

sp_imp_hendou.jpg


ピンコードで音が変わるのは、ピンコード自体の問題でしょう。


4.アースの設計がいい加減だから電源コードの差し込み方で音が変わる。

これも、意味不明の発言ですね。
「アースの設計がいい加減」てどういうことですかね?
アンプの中を見たことがあるんですか?

しかし「アースの設計」て何だろう?

確かに、プラグの差し込み方で音が変わることはあります。
でも、それはアンプ側のせいではないと思います。

オーディオの高級機では、プラグの差し込み、つまりコンセントの接地側が明示してあることが多いです。
そこまで、機器の設計に責任を持っているということでしょうが、問題といえば壁コンセントにあるのではないかと思います。

コンセントは少し穴が広い方と狭い方がありますが、穴の広い方が接地側ということになっています。
ところが、必ずしも、工事で守られていないこともあると聞いたことがあります。

気になるなら、検電ドライバーなどで確認しましょう。

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オーディオ製品はいい加減と題して、意見を発表している人がいたが、いい加減な方はメーカーではなくて、本人の思考だったようです。

巷に情報はあふれています。それで、便利になった一方で、おかしな情報もあるので受け取る方は気をつける必要があると思います。

人は時として感情に左右されやすいと思います。

情報の発信者が友人であったり、懇意にしている店の店主であったりなど、親しい人の発言にはカタを持ちたい場合もあるでしょうが、友人であれ何であれ、正しいことを取り入れようという姿勢がないと、変な宗教のようにもなりかねません。

自分が裸の王様になったり、オーディオの場合、電気回路ですから事故になるかも知れません。

私が他人のそんな心配をする必要はないのかも知れませんが、このような指摘をすることで、救われる人がいるかも知れないということで記事にしました。

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posted by dolce at 18:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | オーディオ

2011年10月23日

オーディオを語りたいのなら、電気回路の基本は勉強しておこう

ケーブルは細い方が立ち上がりが良い??

オーディオが一般の家庭電化製品と違うのは、個人の趣向が大きく影響することだろう。
それで、何でも言いたいことが言えるようなところがあり、教祖がいて信者がいるというような構図にもなりかねない。
中には、本当に聞こえているのか?と疑問に感じるものもある。

今回、こういうタイトルで書き始めたのは

「ケーブルは細い方がいい」

と言っている人がいたからである。

細いケーブルに換えてみたら、好みの音になったと言うのなら納得できるのだが、そうではないらしいからちょっと待てと思ったのだ。

この「ケーブルは細い方がいい」と言う人をM氏とすると、M氏の理屈は、水道の蛇口につなぐホースと同じく、ホースを細くすると水が勢いよく出る。これと同じでケーブルも細くした方が電流も勢いよく流れ音の立ち上がりもよいと言うのだ。

ケーブルを細くしたことで、本当に音の立ち上がりがよいと聞き取れたの?と疑いたくなる。

同種の金属のケーブルで、細くして音の立ち上がりがよくなるとは極めて考え難い。
というより「あり得ない」と言った方がよい。
それは、ケーブルを細くすることで抵抗(直流抵抗)が増加するからだ。

2本の並行したケーブルは構造上、キャパシティを含むので直流抵抗の増加は時定数の増加になる。
時定数が大きいということは、立ち上がりが遅くなるということを表す。

だからA氏がケーブルを細くしたことで、音の立上りがよくなったと感じたのは

1.音質が変化してA氏にとって好ましい音質になった
2.ケーブルの金属そのものが別のものになった。例えば銅線から銀線に換わって実は直流抵抗が小さくなった
3.音の変化はわからないのだが、ゴムホースを流れる水流と同じというイメージをしているだけ

と考えられる。

このケーブルを細くするということで、思い出したことがある。
知人がたこ焼きを作って振舞ってくれるというので、楽しみにしてご招待に応じた。
ところが、たこ焼き器なるもののスイッチを入れても、たこ焼きができるほどに、なかなか温度が上がらない。

私がコードをチエックしたら、たこ焼き器からコンセントに行くまでに途中に細いビニルのコード(テーブルタップ)が使ってあった。
原因はこれだと思った。
たこ焼き器となると、少なくとも1000Wぐらいの消費電力はある。
これを使うと、少なくとも10Aの電流が流れることになるのだが、延長のために使ったコードの許容電流が10Aなかった(つまり細い)ので、たこ焼き器はなかなか熱くならなかったのである。
つまり、これはケーブルが細いと立ち上がりが悪くなる、よくわかる例である。

たこ焼き器を壁のコンセントに近づけ、延長に使ったケーブルをやめたら、すぐにたこ焼き器は熱くなった。

ケーブルが細いと立ち上がりが良くなるのなら、電力会社は大いに助かる。
しかし、理論的にも現実にもそんなことはあり得ない。全く正反対である。

denkikairo.jpgダンピングファクターが理解できていない

ダンピングファクターとは、スピーカーのインピーダンスをアンプのインピーダンスで割った数値である。

例えば、スピーカーのインピーダンス(Z)を8Ω、アンプのインピーダンス(X)を0.04Ωとすると、ダンピングファクター(D)とすると、

D=8/0.04=200

となり、ダンピングファクターは200ということになる。
ところで、これが実際に何を意味するかと言うと、アンプがスピーカーを駆動する能力を表し、この数値が高いほど駆動能力も高いということになる。
具体的には締まりの良い音、歯切れのよい音になる。

アンプを発電機と考えると、アンプが発電した電力を如何に効率よくスピーカーに伝えられるかということとも言える。

しかし、ケーブルが細くなると、ケーブル分の抵抗が加味されてその分アンプの電力がケーブルの抵抗分に食われることになるので、ケーブルが細くなることは効率を悪くすることになって好ましくない。

ここでもM氏の驚くべき発言は

「コードの直流抵抗分はスピーカーに直列に抵抗が入るだけだから、ほとんど気にする必要がない。抵抗分が多い場合はその分アンプのボリュームを上げればよい」

と言っている。
いかに電気回路を理解していないかがわかる。

ケーブルが長くなるということは、直流抵抗が増えるということだけではない。
インダクタンスやキャパシタンスも増加する。
これは位相のずれに影響してくる。

M氏は交流回路のことが全く頭にないようである。

ケーブルが長くなったら、その影響分だけアンプのボリュームで調節すればよいと考えているのは、単純な電圧降下しか考えていないとみられる。

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posted by dolce at 00:38 | Comment(42) | TrackBack(0) | オーディオ

2011年10月14日

クラリネットの音の録り方

PAを使うロックやジャズのコンサートでは、マイクを使わざるを得ない時がある。

クラリネットは音の出る場所がいろいろなので、マイクのセッテイングをどうしたらよいか困ることがある。
具体的には、指の動く側にマイクを置くか、ベルの開口部に置くか迷う。

そこで、クラリネット専用のマイクがないか探したところ、作っているメーカーを発見した。

ntm_mic2.jpg


写真の通りだが、2つのマイクを使って、これを合成し、マイク入力端子へセットするようになっている。

右の写真は実際に楽器を構えたところだが、背景の関係でちょっとわかりにくいかも知れない。

nmt_mic.jpg実際にPAにつないで演奏してみたところ、軽いので特に演奏しにくいということはなかった。
ホールや野外ステージではどんな風に聞こえるかわからないが、音響機器を通すことによって、生音が変化してしまうことはやむを得ない。

しかし、その変化が好ましいものであればよいわけで、そこはエフェクターでどのくらいコントロールできるかは、まだ試していない。

楽器は生音がいいのだが、店のステージやレストランで演奏する場合、騒音のレベルが高いので、PAをこのようなマイクを利用して使った方がよいかも知れない。

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posted by dolce at 18:57 | Comment(5) | TrackBack(0) | クラリネット

2011年10月13日

耳に馴染んだ音

俗に「おふくろの味」という、それぞれの家庭の料理の味があるように、これと似たような「馴染みの音」があると思う。

私がはじめてFIFI用スピーカーを手にしたのが、PIONEERのPAX-20Aだったということは、前に述べた。

pax20a1.gifこのスピーカーを手に入れた時、私は裸のままで使っていた。
それは、スピーカーのボックス(エンクロージャー)まで用意する余裕がなかったからである。

どんなに良いスピーカーでも、指定箱に入れないと真価を発揮しないということは、雑誌で知った。
それからは、何か適当な箱はないかと探しまわった。

タダで手に入るのは、八百屋さんでもらえるリンゴ箱だった。
それでも裸での使用とは違う。

密閉するのがよいらしいとわかったので、空気の漏れないように、隙間を塞ぐということはやってみた。

リンゴ箱だから薄っぺらいものだから、箱自体が振動する。
でも、スピーカーの箱は振動するものだと思っていた。
友人も、多分そう思っていただろう。
だから、スピーカーの振動が箱に伝わって、響きが止まらないようにしなければならないと思っていた。

ところが、オーディオの雑誌を読むと、板は重く厚いほうが良いとあった。
そりゃあ、振動しにくいのではと思った。

やっとの思いで、ラワンの20mmほどの1枚板が手に入った。

苦労して、糸鋸でスピカー穴を切り抜いた。

期待を込めて、スピーカーを取り付けて鳴らしてみた。

これが、さっぱり良くなかった。
なんだか寂しい音になったようだ。

ガッカリしたものの、やっと手に入れたものだからと思って、そのままにした。

ある日、またなんとなく鳴らしてみた。

「まてよ、これはいい音ではないのか?」

という気がした。

そういえば、ヴァイオリンの音はきれいだ。
現実の弓で弾いたような音がする。

中音が出ないのは、・・・もともと音源に音がないのだ。
と次第に聴き方が変わっていった。

「いやいや、これがいい音なのだ」

と気がつき始めた。
これが正直なところだ。

インスタントラーメンに慣れていて、有名なラーメン店の味がわからないようなものと言えるか。
そういえば、ある親から

「うちの子ども、ラーメン店に連れて行ってやったら、インスタントラーメンの方がいいと言うんですよ」

という話を聞いたことがある。

その人の馴染んでいる音からは離れにくい

オーディオに関心のある人の装置の音を聴かせてもらうと、それぞれである。
「いい音」と言うのだが、私としてはちっともそうは感じないということがある。
レンジが狭くて古臭いまどろっこしい音。

そういう人の性格をみると、やはり古い骨董的なものに関心が高いように思う。

やさしい性格の人は、刺激のない音を好む。

というようなことで、それぞれの趣向で、装置は、どんなソースであろうとその人好みの音にしてしまうような傾向がある。

これが、私から言うと「おふくろの味」ならぬ「馴染みの音」ということになる。

私の求める音の方向

オーディオの評価で「いい音」というのは誤解を生むおそれがある。
それを考慮して言うなら、私の求める音は「ソースに忠実な音」である。

だから、振動は抑える方向である。

私のスピーカーは黒いピアノの塗装と同じ塗装がしてある。
それを知ったある人は「ピアノ塗装すると、音が響かなくなってしまいます」と言った。

「いや、塗装することによって共鳴を防いでいるのです」

と言ったら、その人は沈黙してしまった。

今の装置は、かけるCDによってみな違う音になるという方向になってしまったので、どれがこの装置の音(キャラクター)なのかわからなくなってきた。

あるCDをかけた時

「あれ、装置のどこか具合が悪いのか」

と思ったりすることもある。

だいたい、どのメーカーも共振を止めることに工夫を凝らしているようだが、例外としてはタンノイがある。

タンノイは箱がまるで楽器のようで、弦楽器の胴を想像させるところがある。

ある、タンノイの所有者は

「タンノイは良いも悪いも、すべての音をタンノイ色に染めてしまう」

誠に、短い言葉でタンノイの特徴を表していると思う。
そのタンノイもKINGDOM ROYALを最近発売して、従来のタンノイの音から脱却しつつあると感じた。




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posted by dolce at 16:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | オーディオ

2011年10月12日

音楽の科学

ongakunokagaku.jpgCDでわかる 音楽の科学 (図解雑学)の紹介である。

演奏活動をしている人、音楽を鑑賞している人、評論をしている人など、音楽に携わっている人はいろいろだが、いずれにしても、自分の音楽のレベルをアップしたいと言う場合、いろいろなアプローチの仕方があると思う。

演奏する人にとっては、練習は欠かせないものであるが、時に視点を変えて、違った方向から見つめていみることもいいと思う。
また、これまでの経験を思い出し、振り返ってみることも大切だ。

私も一応演奏活動をしているが、昔の演奏が録音で残っていたりする。
そういうものを、あまり聴きたくはないのだが、時には勇気を出して聴いてみる。

自分の未熟さがよくわかる。
未熟さは技術的なものもあるが、一番大きいのは精神的なものだと思う。
自分がいかに小さな人間であったかと感じる。

子どもを引き連れての演奏の場合は、やはり、自分の未熟さのために子どもの能力を十分に伸ばせなかったと思うことしきりである。
過ぎ去ってしまったことはどうしようもないので、それらの反省をこれから生かしていくことが大切である。

反省を生かすということは、いかに自分を客観的に見つめることができるかということでもある。
それは第三者の批評を大切にするということでもある。

第三者の意見を聞けない時は、過去の録音を聴いてみるというのもひとつの方法だが、音楽を科学的に捉えてみることも意味のあることだと思った。

経験を踏まえながら、この種の本を読んでみると「なるほど」とか「やっぱりそうか」と思うことがある。

例えば、ピアノの調律について書かれているところがある。

調律師は200Hzから1KHzぐらいの間では、オクターブを1:2の割合に忠実に調律しているが、それより低いところ、高いところはそのようにしない。
これをレイルスパック・ストレッチと呼ぶのだそうだが、吹奏楽の合奏などでも、グロッケンやチューブラベルはチューニングのピッチより高くする。

市販されているものでは、A=442と刻印されているものもある。
これは、ピッチを440Hzで行うという意味で、このような高さにしてあるのだが、このグロッケンのA=442の刻印を見て、全体のチューニングを同じピッチのA=442Hzにしているところがあった。
実際に聴いてみれば、これではグロッケンが音痴に聞こえるはずである。
合奏のチューニングもレイルスパック・ストレッチがいいのである。

このように、実体験と科学を併せて、音楽の練習に取り入れることは合理的であると思う。

この種の本に、CDが付帯されていて、実際の音で確かめられるのは、これも非常に好都合である。

純物理的な章から、楽器、コンサートホール、オーディオに至るまで幅広く解説してある。
持っておいて損のない本と思う。

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posted by dolce at 14:18 | Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽と生活

2011年10月07日

自前でPAを持つことにした

時々演奏依頼があり、伴奏者やメンバーの都合がつかない時はシーケンサー(SONAR)を使った打ち込みを用意する。

combo_Pro_zenkei.jpg


会場にPAのプロがいる時はいいが、そうでない時はどういう音響になるか不安がつきまとう。
それで、月1回程度のペースで行う演奏に対処するために、PAは自分で持ち込もうと考えた。

combo_pro_a.jpg私はクラリネットだが、楽器だけ持っていけばよい時は本当に楽だ。
そういう時はなるべく電車で行く。
しかし、楽器以外の機材を持ち込むとなると、車を使わざるを得ない。
それでも、荷物はなるべく少なく軽量にしたいものだ。

PAを持ち込むとなると、どうしても荷物は大がかりになりやすい。
そこで検討したのが、VICOUNT社のCombo-Proだ。

combo_Pro_c.jpgこれは、少し前までCombo-55という製品名だった。
Proと名が変わっても、少しデザインが変わったぐらいで性能の変化はないらしい。

このPAがいいと思ったのは、スピーカー、アンプ、ミキサーが写真のように一体となり、持ち運びに便利になっている。

音量は、以前、ヤマハの合歓の郷で野外ステージでデモをやっていたのを見ているので、かなり大きな会場でも大丈夫と思う。



早速、今月の演奏で試してみたいと思う。

・出力120w+120w
・許容入力=145w
・エフェクト=18ビットステレオ
・プリセット=16
Mic/Lineインプット4チャンネルステレオリンク
・ステレオイン1
・ギターイン1
・テープイン/アウト1
・3バンドのピュアーサウンドマスターイコライザー

サイズ 62.5(w) x 29(d) x 36.5(h) cm
重量 22.5 kg

combo_pro_caring.jpg


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posted by dolce at 22:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2011年10月07日

悲愴、好きですか?

「悲愴」って、チャイコフスキーの交響曲第6番 作品74の「悲愴」のことです。
私がこの曲を最初に聴いたのは、中学生の時です。

多くの交響曲がそうであるように、この曲も第1楽章が最も長いです。
それだけ重みがあるようにも感じていました。

そして、この曲を思い浮かべる時、いつも第1楽章のことを考えることが多かったのですが、歳とともにその傾向が変わってきました。

次第に第4楽章が好きになり、ここを聴くと胸がしめつけられるような時があります。

この6番の交響曲はチャイコフスキーの最後の交響曲ですが、彼はこの交響曲を書いた時、自分の人生がもう残り少ないと感じていたのではないでしょうか。

hiso.jpg記録によると、この曲の初演の9日後に彼は亡くなっています。

4楽章は次第に消えゆくように音楽が終ります。
ため息のように弦楽の演奏が続き、最後はコントラバスのピチカートで終ります。

この最後のピチカートを聴くまで、聴衆はしばらく息をこらしているのだと思います。

こういう曲の終り方は、当時としても異例で、聴衆は当惑したとありますが、チャイコフスキーのこの曲に対する自信は確固だったようです。

人は晩年には、自分の人生を回想するものなのでしょうか。

チャイコフスキーは何を考えていたのでしょうか?

いまだに名演の誉れ高い、ムラヴィンスキー/レニングラード管弦楽団を、今、聴いています。

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posted by dolce at 09:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

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