プロはプロフェショナルの略で「専門の」という意味があるが、通常はその仕事(この場合は演奏すること)を職業としている人のことを言う。
しかし、職業としていなくても、非常に卓越している人をプロと呼ぶ場合もある。
一方、アマチュアという言葉を調べてみるとはてなキーワードでは次のように説明してある。
ある分野において一定以上の経験や知識をもっているが知識や技術が専門的な水準にないことや、そのような状態の人のこと。芸術・学問・スポーツなどを、職業ではなく、趣味や余技として行う人。素人。愛好家。アマ。
当該分野における活動の動機づけを形づくる精神活動が趣味性、規範性などを中核とする場合、これを汎くアマチュアリズムと呼ぶ。
この意味によると、アマチュアには二つの意味がある。
1.知識や技術が専門的な水準にない
2.職業ではなく、趣味や余技として行う人
ゴルフではプロもアマチュアもいっしょにプレーすることがある。
ハンディも設けていない。
つまり、技術的水準に差がないとしてプレーをするわけである。
音楽を演奏する場合、知識や技術が専門的な水準にない人もいるが、職業ではなく、趣味や余技として行っている人でもプロに劣らない水準の人もいる。
これらのことを考慮して、音楽を演奏する立場として、プロとアマチュアとどちらがいいかということであるが、一方的にどちらがいいとも言えない。
これは、音楽を演奏したいという人、本人の立場にもよる。
アマチュアのよいところは、純粋に音楽を演奏したいという、音楽に対する熱意である。
これに対して、プロの場合、自分が演奏したいという時にだけ演奏できるという立場の人は少ない。
それは、ひとえに生活がかかっていると言えるからである。
指揮者のカルロス・クライバーは一回の指揮で、数年生活ができるほどの報酬をもらったそうだが、そういう人は例外的である。
しかも、気が進まなければ指揮をしないということでも有名だった。
こういう態度では普通、仕事がなくなってしまう。
だから、たいていのプロは仕事のスケジュールを組んだら、それをきちんと守って仕事をしていかなければならない。
人は時に、気が進まないという時もあるだろう。
それでも、プロは仕事をしなければならない。
気の進まない時に演奏をしても、よい演奏はできないだろう。
これが、プロは知識・技術が高くても感動のない演奏してしまうことがある所以である。
プロとしても、クライバーのように仕事ができるのが理想だろうが。
アマチュアは、知識・技量が水準になくても活動できる、熱意があるというところはいいところである。
言葉を返せば、聴くほうの立場からしたら、アマチュアは熱意で成り立っていると言える。
ここまでで、プロとアマチュアに関してまとめると、
1.プロのよさは知識・技量の高さであり、時に熱意がないことが欠点である
2.アマチュアのよさは、熱意のあることで、知識・技量のなさが欠点となり得る
と言えるのではないか。
実際、技量は少々不満があるが、あふれるほどの情熱で感銘を受けたアマチュアの演奏もある。
しかし、何のための演奏かという疑問を持つものもあった。
音楽を演奏したいという気持ちは感じられるものの、本当に、他人に聴かせたいのかと思ったのである。
アマチュアの演奏家では、メンバーがチケットを分担して入場者を集めたりするが、それもノルマとして大変そうに見えるものもある。
入場者はたくさんあった方がいい。
それはなぜか?
そりゃあ、大勢の人に聴いてもらいたいからだ、と言えるのか?
こういうところに疑問を持つ団体もある。
チケットはたくさん売りたい、それは多くの人に聴いてもらいたいではなく、経費の面、会場を人で埋め尽くすの二点が目標ではないかと、思ってしまうものがある。
なぜそう思うのか?
大勢の人に聴いてもらいたいなら、自分たちの団体の良さをアピールした方がいいと思うのだが、チケットを作ったり、ポスターを作ったりはするのだが、それ以上の広報活動は望まない感じを受けるからである。
たとえば、今ではYoutubeはよい宣伝手段である。
もちろん、著作権には十分注意しなければならない。
あまり上手いと言えない演奏でも、Youtubeで公開することにより、さまざまな批評を受けて、自分たちの演奏の反省にすることができるはずである。
また、公開することにより、演奏にもよい緊張感が生まれるはずである。
入場者は多いほうがいいが、批判はされたくないという態度があるとすれば、アマチュアだから下手でもいい、しかし何か認められたいという変なものを感じてしまう。
アマチュアであっても、積極的に厳しい批判を受け、アマチュアであるがゆえの甘えはなくしてほしいと思うのである。



