ナタン・ミルシテイン(ヴァイオリン)ブラームス ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品77
ブルッフ ヴァイオリン協奏曲 第1番 ト短調 作品26
SERAPHIM EAC-30018(東芝EMI)
ナタン・ミルシテイン(Nathan Milstein 1903年12月31日、オデッサ - 1992年12月21日、ロンドン)はウクライナ出身のユダヤ系ヴァイオリニスト。1942年にアメリカ合衆国の市民権を取得。89歳の誕生日を目前にイギリスで没した。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
母親の奨めでヴァイオリンを学び始め、11歳のときレオポルト・アウアーの招きでペテルブルク音楽院に入学、アウアーのロシア時代の最後の弟子の一人となる。ロシア革命により1917年にアウアーがノルウェーに脱出してしまうと、キエフに戻り、ウラジミール・ホロヴィッツと知り合い、意気投合し、しばしば共演するようになり、1925年には西ヨーロッパでの演奏旅行も一緒に行なった。この頃にはウジェーヌ・イザイの門も叩いている。1929年にストコフスキー指揮のフィラデルフィア管弦楽団によりアメリカ・デビュー。ついにニューヨークに居を構えるが、たびたびヨーロッパで演奏旅行にとり組んだ。
しばしば20世紀の傑出したヴァイオリニストのひとりに数えられており、ロマン派の作品ばかりでなく、バッハの無伴奏ヴァイオリン作品の解釈で定評があった。多くの協奏曲のために独自のカデンツァを作曲しただけでなく、ヴァイオリンのために多くの編曲を手掛けている(中でもショパンの夜想曲の編曲は有名)。オリジナル作品では、パガニーニの主題による無伴奏ヴァイオリン作品≪パガニーニアーナ≫が近年とりわけ注目を浴びつつある。1975年にはグラミー賞を受賞、1968年にはレジオン・ドヌール勲章を受章。
傑出した超絶技巧の持ち主ではあったが、それを前面に押し出す演奏には消極的だった。むしろイザイを通じて身につけた、歌心と美音を尊重するフランコ・ベルギー楽派の優美な演奏スタイルが際立っている。そのためしばしばミルシテインは、「ヴァイオリンの貴公子」と称される。
昨年末、サラ・チャンのブルッフ/ヴァイオリン協奏曲第1番の演奏を聴いてから、他の人の演奏も聴いてみたくなった。

元気なサラ・チャンの演奏と比べると、こちらは知的な演奏という感じである。
オイストラフと同じ先生についていた(同門)というから、それなりの人である。
ジャケットの解説を読むと、ユジューヌ・イザイにつくためにベルギーに行ったところ「君に教えることが何もない」と言われたという話が逸話に残っているということである。
テクニックは演奏家にとって、土台であるが、レベルが高くなると、演奏はその人そのものの人格という気がする。










