
NHKの名曲を紹介する番組で「名手中の名手」と紹介されたことを覚えている。
それだけに、フルート演奏家としては、演奏技術も音楽性も群を抜いている。
中学生時代、部活が終わって帰宅すると、晩ご飯が終わったころ、時々、先輩から電話がかかってきた。
彼は部長をしていて、無類の音楽好きで、クラリネットが大変上手だったが、帰宅するとフルートも吹いていた。
器用な人だった。
彼がよく聴かせてくれたのが、ランパルのレコードだった。
そういうこともあって、フルート奏者というと、ランパルは忘れがたい人になった。
そのランパルの話題で、もう一つ忘れがたいのは、彼がハチャトゥリアンにフルート協奏曲を依頼したが、ハチャトゥリアンはとても多忙(高齢?)でそれを断ったそうだが、その代わり以前作曲したヴァイオリン協奏曲をフルートに編曲をしてはどうかと提案したそうだ。
それで、ランパルは提案に応じて編曲をしたのだが、聴いてみると、これがなかなか大変な曲で、ランパルの演奏に圧倒された。
こういういきさつがあるので、ハチャトゥリアンのフルート協奏曲といっても、実はランパルの編曲なのである。
ハチャトゥリアン作曲/ランパル編曲/フルート協奏曲(1/5)
ハチャトゥリアン作曲/ランパル編曲/フルート協奏曲(2/5)
ハチャトゥリアン作曲/ランパル編曲/フルート協奏曲(3/5)
ハチャトゥリアン作曲/ランパル編曲/フルート協奏曲(4/5)
ハチャトゥリアン作曲/ランパル編曲/フルート協奏曲(5/5)
ジャン=ピエール・ランパル
マルセイユに生まれ、音楽院教授であった父ジョセフにフルートの手ほどきを受ける。はじめは医学の道を志し18歳で医科大学に進んだが、第二次世界大戦の影響で1943年にパリ音楽院に入学し、わずか5ヶ月でプリミエ・プリを得て卒業した。パリ音楽院ではガストン・クリュネル[1][2]に師事した。 1946年からはヴィシー歌劇場管弦楽団のメンバーとなり、1947年にジュネーブ国際コンクールで優勝しソロで活動を始める。1956年からパリ・オペラ座管弦楽団の首席奏者となる、1962年に退団後はフランス最高のフルート奏者として世界各地に演奏旅行の傍ら、フランス管楽五重奏団とパリ・バロック合奏団を組織したりした。78歳で逝去。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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