2010年02月18日

吹奏楽はいいんだけど

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吹奏楽の透明感は魅力的である。

でも、私はクラリネットを吹いているが、吹奏楽の中に入って演奏する気にはなかなかならない。
人によっては、えらそうなどと言う人がいるかもしれないが、決してそういう意味ではない。

神経を使って音を出しても、ぶっきらぼうな音にかき消され、演奏の意欲をなくすという経験をしばしばしたからだ。

決して上手ではないが、編成の中にクラリネット一本、あるいは純然たるソロの方が好きだ。
理由は、その方が自己責任であるし、私はこう表現したいという意図がよく伝わるからとも言える。

クラリネットは自分だけの場合「クラリネットが下手だ」と言われたら、それは自分に言われているということがよくわかる。

そういう意味では、オーケストラの中に入って演奏するというのは魅力がある。

こういうことはもいい悪いという問題ではなく、性格的なものだと思う。

人によっては、大勢の中で演奏するのがうまい人もいる。
それは、下手でもよいという意味ではない。
集団の一部として溶け合うやり方がうまいということであって、それも大切な人材であると思う。

だから、編成はそういう人の性格も考慮してつくることがいいのだろうと思う。

と、ここまで考えてくると、楽器と人の相性というのもある。
体格的な相性もあるが、性格的な相性もある。

優柔不断な性格の者に打楽器をやらせたら、遅れることが多いだろうし、トランペットに控えめな性格も合わないだろう。

学校では、やがて迎える新学期、部員募集、パート決めで指導者はよく考えてもらいたい。
posted by dolce at 21:22 | Comment(5) | TrackBack(0) | 吹奏楽
この記事へのコメント
こんばんは。チューバ吹きのすだっちです。
約20年、吹奏楽でしかチューバを吹いたことありませんでした。
最近、初めてオーケストラで演奏できる機会ができて
吹奏楽とオケ(で吹く)の違いっていうのがわかるようになりました(^^)
dolceさんがお書きになった通り、もし自分が失敗したら
ほかにチューバは誰もいないので
ステージの上では逃げも隠れもできませんネ・・(^_^;)
吹奏楽だったらチューバは常に数人はいるので
失敗しても涼しい顔でいられますが・・(笑)
チューバは吹奏楽もオケもどちらも魅力的です♪
楽器によって向き不向きな性格はありますよね。
チューバは性格、というよりは体格で選ばれることが多いですね(^^ゞ
Posted by すだっち at 2010年02月18日 23:45
すだっちさん、今晩は。
コメントありがとうございます。
オーケストラで演奏なさったんですね。

オーケストラでの管楽器は、みなスターだと思うんです。
だから、オーケストラで要求される管楽器奏者は、主役の意識が必要だと思います。

吹奏楽では、チューバは縁の下の力持ちが多いと思いますが、オーケストラはチューバ独特のキャラクターを作曲家が要求して書いていることが多いと思います。

吹奏楽もオーケストラも経験できるのは、とても良い環境にあると思います。

ところで、チューバで思い出すのは、昔教えた生徒で、やはり体格がよく、楽器を決めるときに、以前の先生に「お前はチューバ」って無条件に決められた者がいました。
その生徒は、私と初対面の時、わざわざ私のところにやってきて「ぼく、本当はフルートがやりたかったんです」と言いました。
そして、学校ではチューバを吹き、学校が終わるとフルートのレッスンに通っていました。

それから、私がチューバ奏者で驚いた人がいます。
それは、この人です。
http://www.youtube.com/watch?v=2-NVMsj6lXA

今後ともよろしくお願いします。
Posted by dolce at 2010年02月19日 00:12
『部活には教育的意味がある。』
と言っておきながら、性格・適正に合わせなどにパートを決めろとは乱暴。

音符が読めない人が、
せめてト音記号は読めるようになりたい。
いや、ヘ音記号だけでも読めるようにしたい。
いやいや、音符は読めなくてもリズムだけ担当するよ。
いろいろな目標を持って取り組む人が居る

性格はともかく指導者になるために木管・金管・打楽器の音の出し方のコツを知り体験したい。など人生に必要な経験として捕らえている子も居るかもしれない。これは私の同級生に居たタイプ。



確かに クラリネットは特に金管に思いっきり吹かれるとかき消されてしまう。

Clarinet Candy
際立つ曲などもあるし
木管全体としての音量アップに居り組む必要もあるだろうし、そう言った曲・音楽もある。全力でやることだけが良いわけではないことを教育していく持って来いの場ではないのですか?但しこのとき萎縮させすぎてしまっては元も子もない。そこが指導力ではないのですか?
指揮の指導だけでは不十分であればゆっくり生徒と対話していくことも必要だろうし。

私は21年前に7年その中学で顧問を務めた先生の下で3年間その時は10年目で最後の年だった。兄弟も7つ上の姉が新任で来たその教師に世話になり兄弟全員世話になった。そういう人が同級生にも多く従順な生徒が多くはなっていました。

Posted by ティンパニー&パーカッション at 2010年02月19日 19:04
楽器と人の個性との相性は大切なものだと思います。
性格、体格と楽器が合わないのは問題だと思います。

あとは、何かバラバラで何を言いたいのかよくわかりません。
Posted by dolce at 2010年02月20日 00:27
クラリネットについて書いているのは、自分が演奏者として集団の中に入った場合の話です。
誰かを教育しようとという場合ではないです。
文章をよく読めば、どういう立場で言っているのかわかると思います。

ついでに、
自分が指導者として携わる場合、楽器(パート)の選定は、その人の適正や性格を考えて決めるのが、教育的配慮だと思います。
Posted by dolce at 2010年02月22日 11:33
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