

指揮者はドメニコ・ファンティーニで、発足当時は24名のメンバーだったが、その後増員されて102名になったということだ。
ところで、このCDは吹奏楽を鑑賞する上では、数少ないCDのうちである。
だから、吹奏楽ファンのみならず、音楽の好きな人一般にも薦められるものであるが、これを聴いていると吹奏楽は大変だなとも思わせる。
それは、演奏の評価ではなく、オーケストラの編曲ものを演奏するとなると、クラリネットがヴァイオリンパートを奏することが多いので、これほどにも上手い楽団であっても、その大変さが伝わってくるのである。
もっと具体的に言えば、オーケストラの弦楽器は常にビブラートをかけているので、音程にはもともと曖昧さを含んでいる。
だから、少々下手な弦楽器奏者が集まっても、大勢になればそれらしく聞こえると言われるのである。
だが、吹奏楽ではビブラートは例外的である。
だから、真っ直ぐな単音をきちんと合わせなくてはならない。
ユニゾンでは特に大変だ。
さらに、木管の高音域にあってはもっと厳しくなる。
それでも、大勢のメンバーになると、大体の音程があっていれば、なんとか聞き苦しくなくなるものである。
そういう意味では、小編成は不利である。
大勢で演奏するほど、一人一人は下手でも様になって聞こえる。
コンクールでは大編成が有利なわけである。
このことは、大編成の中に紛れ込んでいては、いつまでも上手くならないと言えることにもなる。
上手くなりたい人は、大編成の中に埋もれているだけでなく、一人1パートのアンサンブルやソロにも挑戦した方が上手くなる。

>それでも、大勢のメンバーになると、大体の音程があっていれば、なんとか聞き苦しくなくなるものである
>このことは、大編成の中に紛れ込んでいては、いつまでも上手くならないと言えることにもなる。
吹奏楽の中には『本当は吹けてないんだけど
吹けている人の音が耳に入って自分も吹けているような
気になっちゃってる人』っていうのが結構いるような気がします。
個人練習する時に録音して聴けば
一目瞭然吹けていなのがわかるんですけどねぇ。
吹けてない、って自覚するのが怖いのか・・(-_-;)
そういう人がたくさんいる吹奏楽団は音が濁って聞き苦しいですよねぇ。
私は金管アンサンブルを始めてから、成長できたと思っています(^^♪
吹奏楽は教育的意味もあるんですね。
吹奏楽の先進国、アメリカでは休日や会社帰りなどにそれとなく集まってきて、楽譜が配られ、偶然集まった人だけで合奏するという習慣もあるんですね。
不特定多数の吹奏楽団です。
そういう場合、どういう編成になってもよいように、主旋律がどのパートにも書かれてあったりします。
昔、私はそういうことを知らずに、アメリカの人に「どうして、こんな編曲をするんだ」と聞いたことがあります。
そしたら、その「教育的意味」のためにそういう編曲がしてあると教えてくれたのです。
それはそれとして意味があると思うのですが、そういう意味を知らないで、そのままコンサートで使ってしまうのはよくないですね。
少ししか吹けなくても、参加できるよさはありますが、だんだん自立してほしいと思いますね。
でも、性格上、1人はとてもというような人もいるようで、そこは目をつむることも必要かなと思います。
しかし、そんなことばかりやっていると、今度は上手な人の不満やストレスが出てくるように思います。
だから、吹奏楽のコンサートは、どのプログラムも全員で演奏するのではなく「選抜メンバー」の編成も入れたらどうかと思います。
そして、それが独り立ちできない人の憧れになるように運営できるといいんじゃないかと思います。
いつも複数で演奏していると「二分の一奏者」と言われるように、音そのものが1人では通用しない音になってしまうことですね。
(響く音と響かない音ができてしまう・・・当然、全音域にわたってムラなく響かないといけません)
機会があれば、オーケストラで演奏させてもらうのもいいのではないかと思います。
>そういう人がたくさんいる吹奏楽団は音が濁って聞き苦しいですよねぇ。
私はクラリネットですので、吹奏楽では特に人数が多く、偉そうに聞こえるかも知れませんが中に入って吹く気が失せます。
そういう意味では、ソロやオーケストラでの方が緊張感はありますが、意欲が出てきます。
私はオーケストラと室内楽で吹いておりまして、
吹奏楽の経験はあまりないのですが、
吹奏楽ではビブラートをかけないというのは初耳です。
実際、バンドジャーナルという吹奏楽の出版社から出ている
オーボエ奏法の入門書(恐らく吹奏楽の中高生向け)にも
ビブラートの奏法は解説されています。
また、私もエキストラなどで吹奏楽に呼ばれても、
いつもと同じように吹きますし、周囲からビブラートをかけるな
という話は聞かされたことがありません。
私が思ったのは、
「ヴァイオリンは基本的にビブラートをかけるものであるが、
クラリネット、特に中高生の吹奏楽のクラリネットでは
そうではない」ということではないのかな、ということでした。
吹奏楽ではビブラートをあまりかけないクラリネットが主体だからこそ、
全体的にビブラートがあまりかかっていない印象になっている、
ということはないでしょうか?
クラリネットがビブラートをあまりかけないというのは
聞いたことがありますが、それ以外の楽器においては
私は初耳です。無知なだけかも知れませんが、
どうぞご教示くださいますとうれしいです。
吹奏楽がビブラートをかけないというのは、クラリネットの話と言った方がよいと思います。
もともと、クラリネットは奏法としてビブラートはかけませんが、そのクラリネットは吹奏楽では大勢なので、まっすぐな音で合わせることが難しいということです。
フルート、オーボエ、サクソォフオーン、トランペット、トロンボーンなどではビブラート奏法がありますが、ソロで効果的にかけるのはよいとしても、ハーモニーの一部として演奏している場合はかけるべきでないと思います。
言い方を変えれば、管楽器ではビブラート奏法のある楽器でも、soliではビブラートをかけるべきではないと言えます。
特にそういうきまりがあるわけではないですが、それは演奏効果を考えてのことです。
最近はオーケストラの弦楽器群にも、ノンビブラートを要求する指揮者もいますが。
もう一点、質問です。ハーモニーの一部として、ということですが、
ダブルリードの場合、弦楽器と異なり正しい奏法でビブラートをかければ
音程は動かないはずなのですが、
(教則本の受け売りですが、ダブルリードのビブラートは音程ではなく
音量に対してかけるものとのことですので)ここでは音程ではなく、
全体の統一感、という意味での「ハーモニー」と理解すれば
よろしいのでしょうか?
他楽器のことはよくわからないのですが、
たとえば、同じ木管でサキソフォンのビブラートでは音程が動くそうですので、
そうした楽器とうまく合わせるためには
両方の楽器がノンビブラートにする、ということでしょうか。
簡潔に言うと、基本的に、合奏では管楽器はビブラートなしで行くべきだと思います。
ソロ奏者に限って、どう音を揺らすかはセンスで許されるものだと思います。
そして、その揺らし方が、揺れているのかはっきりしたビブラートなのかは規則的に決めるということはよくなくて、あくまで曲の表現で行うべきだと思います。
別の言い方をすれば、歌うことで自然に揺れ、もしくはビプラートになるべきで、ほとんど無意識に奏されるのがよいと思います。
自分が、ハーモニーの一部、つまり伴奏側に回った場合は、そのハーモニー(コード)を保つことを考えるべきで、ビブラートはかけるべきでないと思います。
クラリネットは伝統的にビブラート奏法は行いませんが、それでもソロの場合、音が全くまっすぐなんてことはまずあり得ません。それは表現の一部、あるいは音色の一部と考えるべきでしょう。
昔、フランスの世界的なクラリネット奏者であるジャック・ランスロ氏のクリニックを受けたことがありますが、氏が模範演奏してくれたのを聴いて、あるひとが「先生の奏法にはビブラートがかかっていませんか?」と質問をしたことがあります。
その時の、氏の答えは「私の演奏の音の揺れは、ビブラートではなく、心の高まりです」でした。
まあ、少しユーモア的でもありましたが。
ビブラートの奏法についてですが、音程の変わらないのをトレモロと称している場合もありますが、区別が曖昧な場合もあります。
腹筋を使う方と、顎を使う方とあり、腹筋を使う方は、まあ音程は変わりにくいですが、サックスのように顎を使うと音程はかなり変わります。
どちらにしても、あくまで、音楽表現として好ましいかどうかで使うべきだと思います。