
コンクールも盛んだが、アメリカと日本では事情が違うようだ。
それはさておき、演奏会も各地で行われていて、市民バンドだけでなく、大学はかなり昔からだが、中高でも多くなってきた。
少子化により、吹奏楽部の人集めが大変な学校もあるようだが、多いところは70人を越す、いや100人を越すところもある。
そういった大所帯のところは、コンクールへの参加も熱心である。
ところで、吹奏楽部へ入った動機は何だろう?
市民バンドに入った動機は何だろう?
そして、何を求めているのだろう?
「そりゃあ、音楽をすることだよ」が答えなのか?
私がなぜこういう疑問を持つのかと言うと、しばしば、何か私は人と違うことをやっているのではないか?とか、求めるものも違うのか?と思ったりするからである。
私は中学校の吹奏楽部に入ってから、マーチを演奏できるようになり、ワクワクとした気持ちで活動していた。
そのうち、自分の吹いているクラリネットを通じて、いつかモーツァルトの協奏曲が吹けるようになることが夢だった。
レコードを聴いては、あんな風に吹けたらなということを心に秘めていた。
だから、何人もの奏者の演奏を聴いた。
同じクラリネットでも、ずいぶん音が違うものだなあと思い、名人はあんな音がするんだと思っていたが、音が違うのは名人たちがうまいだけでなく、楽器そのものがA管であるということを知った。
私はどちらかと言うと、A管が好きである。
ものの本によっては、A管の音を牧歌的と表現しているが、うまく言い表したものだと思う。
B♭管より少し地味で、心の内面に染み入るような感じがする。
私はある時、車上ねらいにあってA、B♭を盗まれてしまったことがある。
大変なショックだった。
クラリネットのない世界なんて私には考えられないので、一生懸命働いて、真っ先にA管を買った。

いや、正しくは吹く気がしないということだ。
それほど、これらの曲はA管と密接である。
クラリネットをA、B♭2本用意しているのは、#の多い曲になるとクラリネットでは運指が難しくなるという理由もあるが、私にとっては運指より音色である。
こんな経緯で、私はよりクラシックへの傾斜が強くなり、オーケストラでのクラリネットのむ出番に関心を持つようになった。
吹奏楽の持つ透明な音色に感動することもあるが、私の場合は少しずつ演奏技術が高まるにつれ、より少人数のアンサンブルやソロに関心が移った。
吹奏楽団の指導でも、クラシックの名曲を引用して説明することが多いが、意外に名曲を中高生、いや一般でも知らないことに驚く。
私のやり方や意向がベストだと言う気持ちはさらさらないが、盛んな吹奏楽活動の中で他の人たちは何を求めているのか、私にはよくわからないところがある。
私としては、最近、ブラームスの晩年の名曲、クラリネット三重奏曲・イ短調・作品114が素晴らしい人たちと共演できたことは、いつまでも心に残る大切な思い出となった。


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