それも市民バンドのような一般のバンドのことなのだが、ずいぶん個性的な練習が多いなと思う。
個性的なというより、いろいろな練習の仕方をしているといった方がよいのかも知れない。
それは、指揮者というかトレーナーの性格によるところが大きいのだろう。
人が違えば、好みも気になるところも違うだろうから、指揮者になった人が自分の気になるところを練習すればよいと思うが、困るのは練習の意図というか目的のわからない練習だ。
ソロの発表会、例えばソロ楽器にピアノ伴奏だけというのは、ソリストと伴奏者の打ち合わせだけで曲作りは進むのだが、吹奏楽のような団体となるとそうはいかない。
どういう練習をしようが、最終的にはどういう音楽をやりたいのかという設計図があって、それを設計図どおりに仕上げるということだ。
家を作るとき、はじめに柱を削ってばかりいるということはない。
きれいに仕上げた材料を使いたいのはもちろんのことだが、一番初めに知りたいのはどういう家ができるのかということだ。
家の設計図は一般の人にはわかりにくいので、最近ではパース図と言って、設計図をもとにして実際どういう家ができるのか立体的でカラフルな完成予想図を示すことが多い。
吹奏楽の練習も、同様に、全員にこれから作ろうとする音楽がどんな音楽なのかを示すことが一番最初にやることだろうと思う。
それを伝えるのが指揮者なのだが、指揮者は当然設計図なるものを頭に持っていなければならない。
それで、練習の時は全員に明確に伝えることが仕事であり、練習に際して考え込んでしまうのはいただけない。また、練習のたびに言うことが変わるというのも問題だ。
指揮者は楽器を演奏しないので、練習ではなんとなく棒を振っていれば時間が過ぎてしまうということだが、何も勉強してきていない指揮者につきあわされるメンバーは苦痛である。練習がおもしろくない。
指揮者は、前もって念入りに勉強してきて、練習でははっきりしたメッセージをメンバーに伝えてほしいものだ。
出席がしっかりしているバンドはいいが、コンサートまでにまだ時間があるという時には、出席が少なくて、コンサート直前に集まるというのも困りものである。
何ヶ月も前から曲作りをしてきて、直前だけ参加されたらバランスも音色も、つまりそれまでやってきた練習の意味がなくなってしまう。
それぞれが勝手に音を出している烏合の衆と同じになってしまう。
それでは、お客さんも満足しない。
練習回数は少なくても、全員参加という気風を作らなければ、やがてそのバンドは魅力がなくなってしまう。
だから、練習計画をきちんと作って、はじめからバランスがとれるよう、曲作りができるよう運営してもらいたいものだと思う。



