コントラバスが独奏楽器かという疑問もあるかも知れない。
それは「あれで独奏ができるのか?」という想像からくるのかも知れない。
だが、独奏楽器かと感じさせるには、やはり奏者と作曲家がどれだけ関心を持つかということに関係してくる。
コントラバスをソロ楽器として、認識させることに貢献した人物としてドメニコ・ドラゴネッティを忘れてはいけない。
ドメニコ・ドラゴネッティ(Domenico Carlo Maria Dragonetti, 1763年4月9日 - 1846年4月16日)は、イタリアのコントラバス奏者、作曲家である。生まれて30年間を故郷で過ごし、喜劇オペラ、サン・マルコ寺院、ヴィチェンツァのグランド・オペラで働いた。その間に、彼の名は徐々にヨーロッパ全土にわたって知られるようになり、1794年のロシア皇帝から招待されるなどいくつかの招待を受けたが、彼はそれを断っている。結局、彼はロンドンの王立劇場オーケストラの一員となる誘いを受けて、残る生涯はかの地で暮らした。50年にわたり、王配アルバート公やリンスター公爵(Duke of Leinster)のような有力者が集まる社交パーティーや、ロンドン楽友協会(Royal Philharmonic Society)のコンサートなど、イギリス首都における音楽行事には欠かせない人物となった。彼はハイドンやベートーヴェンとも親交があり、ウィーンを何度か訪れ、彼らに コントラバスをソロ楽器として使う可能性を示している。それまでは、オーケストラの譜面ではチェロとコントラバスを同じパート譜にするのが普通だったが、ドラゴネッティの演奏技術の影響で、コントラバスのパート譜をチェロのパート譜とは別に変えるようになった。彼の名はまた、彼が生涯をかけて改良したドラゴネッティ弓を通じても今日に伝わっている。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

それ以来、コントラバスと言えばドラゴネッティという作曲家が印象づけられた。
発売されているCDを探したら、ドラゴネッティの曲は収録されているが、協奏曲は載っていなかった。
しかし、ボッケリーニという作曲家も父親が、チェロ・コントラバス奏者だったことから優れた作品を残している。
