「ここはショスタコービッチの五番の○○のようだ」
などと言っても「はあ?」というような顔をしていることが多い。
「トロンボーン、ここはリムスキー・コルサコフのシェラザードの出だしのように」
「???」
次から次へ名曲を披露しても、狐につままれたような表情をしていることが多い。
音大での友人が
「作曲していると、何かどこかで聞いたようなと思うと、○○という作曲家の□□という曲とそっくりだったりする」
と言っていた。
吹奏楽の作曲家も、作曲したと言っていても、どの作曲家かの影響を受けていることは多い。
だから、演奏者がたくさんの曲を知っていると、演奏を仕上げるのも早い。
「のだめカンタービレ」で、モーツァルトのアナリーゼができていないと主人公が言われて、ショックを受けている場面があった。
演奏する以上は、何かメッセージを送るのだから、アナリーゼされていなければ聞き手には伝わらない。
吹奏楽部不思議なところで、楽器を持って何か演奏をしているのだが、音楽とは隔絶されたところで何か違う活動していると感じることが多い。
吹奏楽部の指導を終えて帰った後、後日、生徒が顧問に
「先生、このCDこの間来た先生が言っていた曲です」
と言って、職員室に持ってきたという話を聞いたこともある。
もっと、生徒たちの音楽をする心を開いてやる指導をする方が好ましいと思うのだが。











沢山聴くさこで音楽がわかってくるものです。
音大生でもわとんど音楽を聴かない人は多いです、
私の感じではピアノ弾きとか女性に多い気がします。
スポーツをやっている人も、自分のスポーツに熱を入れている人は、試合を見に行ったり、テレビでの中継を見たりして、試合の流れだけでなく、選手のことなどもよく知っていますね。
吹奏楽部は他の音楽を聴いたりしないのか、不思議な気がします。
何か閉鎖的な活動をしているようにも思えます。
そう、ピアノを弾いている人の中には「ピアノを弾くと言う作業」だけしているように思える人もいます。
そうかも知れません。
でも、コンクールの自由曲で選んでいる曲は、すごいクラシックなんです。
それで、クラシックの有名な曲と似た部分が出てくるという話です。
例えば、脚本に「とても嬉しいです」と書いてあれば、嬉しいように話さなければなりません。
先入観なく、嬉しいところを無表情で言えば、それは解釈でも何でもなく、無知ということになります。
要するに、音楽としてのセオリーですね。
「音楽言葉」と言っている人もいます。
CDなどを聴いてから演奏しろということではないのです。
音楽は、小節のように楽譜から解釈してイメージするのがよいのです。
自分が演奏する前に、参考演奏を聴いてしまうと、どうしてもそのイメージが残ってしまうので、それは避けたいということは前にも書きました。