指導者の自己満足、独演会に終わることなく、練習が終わった後もメンバーそれぞれの記憶に残り、帰宅してからも練習をしたくなる、音楽の団体なら、音楽を聴きたくなる、仲間同士で音楽を語り合うような練習だ。
私が某中学校で教えていた時、生徒たちが下校しながら、練習曲を口ずさんでいて、それがハーモニーになっていたことがある。
ここで、自分のやり方を自慢するつもりではない。
それを聞いていて、私自身が感動したという話で、帰りながらも練習していく生徒を見て嬉しくなったということである。
それで、練習が終わったら
「ああ、終わった終わった。もうやりたくない」
という練習にしてはいけないと思った次第である。
自分の悪口はなかなか聞こえてこないものだが、他の指導者の悪口は聞こえてくるものである。
そういう時も「自分はどうだろう?」という指導者としての反省は必要だと思う。
指導者に直に、悪いところを言えるような包容力のある態度も必要である。
大指揮者フルトヴェングラーは指揮がわかりにくいということで有名であった。
それで、誰が言い出したのか「振るとめんくらう」ともじった人がいる。
ある時、楽員が「もっとわかりやすく振ってもらわなければ困ります」というようなことを言ったら、フルトヴェングラーは怒って帰ってしまったという話もある。
このわかりにくいとされる指揮ぶりについては、いろいろ話があって、わざとやっていたという話もある。
困った楽員は、みんなで相談してコンサートマスターで合わせることにしたという話もある。
ある日、フルトヴェングラーがいつものように指揮をし始めると、途中で指揮をやめて
「おかしい。合いすぎる」
と言ったとか。
まあ、これは歴史的大指揮者の話であって、大家は端で見ているとわかりにくいような指揮が、意図的であったりすることもある。
だから、そういうポーズを真似してはいけない。
出席が悪くなるのも、練習がつまらないせいかも知れないと考えてみることも必要である。
練習の始まりが遅く、終わりが延長するのは次第に悪い循環に陥っていくもとである。
反対に、時間通り開始し、終わりは15分ぐらい早く終わるようなゆとりが欲しいものである。










コメントは久しぶりですが
記事はいつも興味深く読ませていただいています。
指揮者の練習、充実した練習というのは本当に難しいですね〜。
一応プロと言われている指揮者でも、自分の自慢話、うんちくなどを何十分にわたって、貴重な練習時間を費やされる方もおられますね〜。ただ、そういう方はプロの演奏会にはほとんど呼ばれておられないように思います。
プロの前でそんなことを話し出したら、奏者は帰ってしまうか、私語を始めるかもしれませんね、爆〜。
日本でも、世界を見ても、少数の指揮者の演奏会が多いのは、やはり優秀な指揮者が少ないからかもしれませんね〜。
ミ(`w´)彡
20代で卒業して、コンクール受けて、そこそこの成績だとしても、音楽を知らない、合奏経験が少ない
表現力が無い・・・では良い指揮者には成れませんよね?
>やはり優秀な指揮者が少ないからかもしれませんね〜。
それだけ、指揮者には多くの能力と、人間性が求められるということでしょう。
>指揮科の有る大学も多いし、指揮者を目指して初めから勉強して
ある大学の指揮科の先生に習ったことがありますが、勉強になったこともあるのですが「どうも変だな」ということもありました。
同じ大学の先生に別のことで会う機会があったので、その指揮科の先生のことを聞いてみたら
「ああ、あいつか、あいつは指揮さえしなければいいやつなんだが」
と言っていました。
猛烈な皮肉に笑ってしまいました。
私はその指揮科の先生を悪く言うつもりはありません。
それだけ、指揮というのは個性的な面もあるということなんだと思っています。
自分が一番の人で無いと指揮者は出来ないし・・・
人に教えるとか習うと言うのは、初歩的な事だけで
後は自己流しか無いと思っています。
つき合うときは苦労します。
彼は指揮者として呼ばれるようなシロモノではありません。
(なくても、平気でウソを言っていますが)
周りの者が迷惑するというのは
「元、カラヤンの助手をやっていた」
ぐらいのことを平気で言ってしまうからです。
やたらと有名人の名が出てきます。
また、私がいろいろなところを訪れると
「○○さんは、一体、どこの大学を出られたのですか?」
と聞かれるのです。
というのは、彼が卒業したと言っている大学は一つや二つではないからです。
日本の有名な大学の名はたいてい出しているようです。
こちらが恥ずかしくなります。
まあ、病気ですかね。