2010年04月04日

曲想が変化する時こそ指揮者が必要なのだが

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指揮者がどういう役目を持っているのか、知らない人は意外に多い。
知人で学校へ音楽の講師へ行っている人でさえ知らないのには驚いた。

知らないと言っても、まるきり知らないわけではない。
その知人の音楽講師がわかっていないのは、年の多い指揮者は役得で指揮をやらせてもらっていると考えていることだ。
まあ、それだけ音楽を聴く力がないとも言える。
でも、指揮者は飾り、誰がやっても同じとは考えていないところだけは救いだ。

ところが、始末に終えないのがいる。
彼は若い時から、アナチュアのオーケストラを指揮している。
曲はほとんどポップスしかやらないから、ヨーイドンの合図とあとはドラムに任せておけばことは足りる。

だが、シニアと呼ばれる年齢に達した彼は、よせばいいのにクラシックに手を出した。
これで、何十年もやってきたのに、指揮の意味がわかっていないということが暴露してしまった。

拍子の変わり目が指揮できない。フェルマータの処理ができない等々、音楽解釈とかを伝える以前に最小限のテクニックを持ち合わせていないので、曲想の変わり目ではいつもストップする

曲想が変わって、次に移る時、何だか意味の分からない余計な拍が入ったりする。
そんな指揮でも、演奏者は、いつ飛び込むかをひたすら様子を伺い、適当にここだと思うところで音を出す。
ものすごい緊張感のみなぎる瞬間である。
音楽的緊張感ならいいのだが、車の運転中崖っぷちから落ちるのではないかと思う不安な緊張感である。

指揮者というのは安心感を与えるというのが仕事なのに、余計な不安を与えている。
だから、本番では指揮者を無視して演奏するか、萎縮してしまって音を出す者が少なくなってしまうかのどちらかだ。

そんな指揮でも、華を持たせてやろうと何人かはおもいやりの心でいるのだが、ある演奏会では本番にしか参加しない人たちがいると聞いたので、その人達が飛び出すといけないと思い、危ないところでは「そこは一旦棒を止めてください」などと基本のテクニックを伝えたら、その後呼ばれなくなったので、以来「いやなやつ」と思われたらしい。

それでも、彼氏は指揮をふりつけか勢いぐらいしか思っていないので、練習は曲の練習というより、実体は、彼の変な指揮でも演奏が止まらないという練習なのだ。

アマチュアはただでも練習時間が少ないのに、みんな指揮者のための練習に参加しているという、本当に心優しい人たちばかりである。

救いは、彼が「俺は指揮者だ」という顔をして、中学校や高校へ行かないでいることだ。
最近の吹奏楽は変拍子があったり、拍子やテンポの変化が多い。
指揮者ぶる以前に、必要なテクニックを駆使しなければ、かえって中学校や高校の方が通用しない。

中学校、高校では特に合図をきちんとしてやらねばならない。そうしないと、本番で不安になり音が出なくなる。
本番で音が出なくなるというのは、指揮者として信頼されていないと思った方がよいだろう。
子どもは正直である。
posted by dolce at 23:47 | Comment(2) | TrackBack(0) | 指揮について

2009年12月08日

プラシド・ドミンゴ

パヴァロッティ、カレーラスとともに、三大テノールとも言われたように、歌はすばらしいのだが、この人の指揮はどうもいただけない。

レーザーディスクの機械が発売されて、まだあまりディスクそのものの数が少なかったころ、ヨハン・シュトラウスの喜歌劇「こうもり」を買った。

その指揮がドミンゴであった。

指揮そのものが喜劇という感じで、まるでコメディアンが急遽指揮をまかされたようなものだった。

オーケストラも不機嫌で演奏している様子が、感じ取れた。

某プロに、どうしてこのようなものが企画されるんでしょうかと聞いたら、オペラ歌手が指揮をすると、他の歌手たちも協力するということだった。

それにしても、どういうきっかけで、この人が指揮をするようになったのかわからないが、自分で指揮をやりたくなったのか、また自分ではどう思いながらやっているのか、私はこの人の指揮はゴメンだ。

サラ・チャンがヴァイオリン協奏曲をやるとき、ドミンゴが指揮者で出てきたことがあった。
少しはマシな指揮をするようになったのかと思ったら、全く指揮は上達していない。

サラが時々妥協して、ニヤッとしているところもあった。

オペラや協奏曲の指揮をするという度胸は、たいしたものだと思うが。



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2009年12月03日

ブロムシュテットのヘートーヴェンNo5

ヘルベルト・ブロムシュテットは私の好きな指揮者だ。

この指揮者を初めて知ったのは、パイオニアがレーザーディスクを開発したとき、そのディスクで演奏を聴いた時だ。

奇をてらったような演奏をせず、その指揮ぶりも大げさ過ぎない。
それでいて、作品の中身はきちんと伝える演奏であると言えよう。

来日して、NHK交響楽団を振ったこともあるが、楽員の話では、練習をするごとに、演奏の中にあるゴミがなくなっていくような感じだと言ってた。

現在、ドイツのライプチヒゲバントハウスの音楽監督であるが、この伝統あるオーケストラで名演を残してほしいものだと思う。

このベートーヴェンの第五も、実に清潔感のある演奏で聴いていて心地よい。あっという間に第1楽章が終わってしまう感じだ。



ヘルベルト・ブロムシュテット(Herbert Blomstedt, 1927年7月11日 - )は、アメリカ生まれのスウェーデン人指揮者。称号はバンベルク交響楽団名誉指揮者など。

仕事で渡米していたスウェーデン人の両親の元マサチューセッツ州スプリングフィールドに生まれる。2歳の時一家は帰国し、ストックホルム音楽大学やウプサラ大学に学んだ後、イーゴリ・マルケヴィッチに師事。さらにアメリカ合衆国に留学してジュリアード音楽学校でジャン・モレルに、タングルウッドのバークシャー音楽センターでレナード・バーンスタインに師事。1953年にクーセヴィツキー賞を獲得し、1955年にザルツブルク指揮コンクールで優勝した。

1954年2月にロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団でベートーヴェン、ヒンデミットなどの作品を指揮して指揮者として本格的にデビュー。その後、ノールショピング交響楽団、オスロ・フィルハーモニー管弦楽団、デンマーク放送交響楽団、スウェーデン放送交響楽団の首席指揮者を歴任した後、名門のシュターツカペレ・ドレスデンの首席指揮者に就任。ドレスデンを去った後はサンフランシスコ交響楽団(1985年〜1995年、現在は桂冠指揮者)、北ドイツ放送交響楽団(1995〜1998年)を経て、1998年から2005年までライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の首席指揮者を務めた(現在は名誉指揮者)。また、バンベルク交響楽団とNHK交響楽団の名誉指揮者でもある。N響を振っていることから 日本国内でもよく知られた外国人指揮者の一人である。

2009年秋には、東欧の名門チェコ・フィルハーモニー管弦楽団との客演指揮者としての来日が予定されており、東京・大阪をはじめとする全国数箇所での公演で、アントン・ブルックナーの交響曲第8番などのドイツ音楽の大曲や、アントニン・ドヴォルザークの交響曲第8番や第9番「新世界より」などのチェコ音楽が演奏される予定である。

ブロムシュテットの演奏は、華やかな個性とはあまり縁がなく、高い名声を誇りながらもどこか地味な印象が強いが、指揮するオーケストラの持つ美質を最大限に引き出して充実感溢れる演奏を行うという点では現代屈指の指揮者の一人であるといえるだろう。ドイツ読みの名前で親しまれているように(スウェーデン読みではブルームステート)、この世代に人材が手薄なドイツ音楽の大家として信頼が厚く、また北欧系レパートリーにも秀でている。近年は、以前にもまして熟練の度合いを深めており、今後、更なる深化が期待される。
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2009年12月02日

カラヤンの左手



やはり、カラヤンの指揮はすばらしい。
特に左手。曲の表情をよく表している。

指揮者がいいので、オーケストラは落ち着いて演奏ができる。
演奏に安定感がある。

指揮者とオーケストラの関係

1.音は指揮者が振ってから出てくる

あたりまえのことだが、そうでない指揮をよく見る。
ひどいのは、音が先に出て、指揮が追っかけている場合がある。

2.拍がよくわかるように振らなければならない

音楽の流れで、当たり前にわかるところは省略してもよいが、曲が変化するところでは、特にわかりやすく振らなければならない。

3.体をむやみに動かすと、指揮がわかりにくくなる

その結果、演奏者に不安感を与えて、演奏が縮む。
指揮は踊りの振り付けではない。

4.指揮棒は腕の延長上になければいけない

たまに、指揮棒を持っている点から腕に対して直角になっている指揮者がいる。
演奏者にとって、非常に目障りで気持ちが散漫になる。

5.指揮棒は確信を持って振る

指揮者が迷うと、演奏者に不安を与える。

6.何を振ったらいいか、曲をよく分析しておくこと

いつもメロディーばかり振っている人がいる。
伴奏を振らないと、わかりにくい場合がある。

7.必要以上に大振りしない

いつも大振りしているとpp〜ffが表せない。
いつも大振りしていると、演奏者は指揮者に集中しなくなる。

反省を兼ねて、あらためて、気がついたことを箇条書きしてみた。

ただし、効果をねらって、あえてよくない指揮をする場合がある。
もちろん、そういう意図がなくてやってはいけない。

例えば、頭を振って突入する指揮をする人がいる。
あえて不揃いをねらっているようである。

フルトヴェングラーは、指揮がわかりにくいとの伝説がある。
それで「振ると面食らう」などと言った人もいる。

確かに、残っている映像を見ると、拍がわかりにくいところがある。
出だしが不明確であったりする。

だが、拍がわかりにくいので、奏者は緊張し、もうこれ以上待ったら拍がずれてしまうというぎりぎりのところまで我慢して、一気に音を出すので、そこにエネルギーがたまるのだと言う人もいる。

音のためをどう表現するのかというのも、指揮者のテクニックの一つでもある。

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posted by dolce at 21:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | 指揮について

2009年12月02日

指揮とは何か?

まず、次の動画を観てみよう。



はじめに、断っておくが、私はこれを悪いというつもりはない。
ただ、指揮ではないと言いたいだけだ。

しばしば、指揮とは何かわからない人に出会い、説明を求められることがあるので、そういう場合によい素材と思ったので取り上げてみた。

音楽に、それなりに携わっている人には、説明する必要はないが、それでも、この人は音楽を教えているのだがと思われる人でも、年の多い指揮者を見て、年の功でやっていると考える人がいるのには驚く。

次の演奏を観てみよう。



こちらは、指揮をしている動画である。

指揮の意味がわからないという人には、この二つを見比べさせて、気がついたことを言わせてみよう。

もっとも、先の方はオーケストラのメンバーがいないので、その違いは大きいのだが。

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posted by dolce at 01:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | 指揮について

2009年03月10日

指揮棒、持つべきか持たざるべきか

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エックハルト・レルケ野口 剛夫
指揮棒は魔法の杖? マエストロが語る指揮棒考

指揮法について述べた本はいくつかある。
また、指揮者について書かれた本もある。

しかし、指揮棒について指揮者がどう考えているかを書いた本は珍しいと思う。

著者が指揮者たちと会って、取材しまとめたものである。
登場する指揮者は、

ベルナルト・ハイテンク
セミュン・ビシュコフ
ヴラディーミル・アシュケナージ
ヘルベルト・ブロムシュテット
シモーネ・ヤング
ジェフリー・テイト
インゴ・メッツマッハー
ミヒャエル・ギーレン
ジェイムズ・レヴァイン
レナード・スラトキン
ピエール・ブーレーズ
レイフ・セーゲルスタム
エサ=ペッカ・サロネン
クリストフ・エッシェンバッハ
ケント・ナガノ
マリー=ジャンヌ・デュフール
マーク・アルブレヒト
ハンス・ツェンダー
ルネ・ヤーコプス
シアン・エドワーズ
アルトゥーロ・タマーヨ
コリン・デイヴィス
トン・コープマン
ハルトムート・ヘンヒェン
コンスタンティア・グルツィ
エリアフ・インバル
ネーメ・ヤルヴィ
ペーター・エトヴェス
ローター・ツァグロゼク
クワーメ・ライアン
ダニエル・ハーディング
アリシア・モンク
マリス・ヤンソンス
クルト・マズア
フイリップ・ヘレヴェッヘ
マイケル・ティルソン・トーマス
ミヒャエル・ホワシュテッター
ヤコフ・クライツベルク
ゲルト・アルブレヒト


と凄い人たちが並んでいる。

指揮棒に対する指揮者の考えはそれぞれで、共通した結論というものはない。
強いて言えば、指揮棒を持った方が離れていても合図がわかりやすい。
指揮棒がない方が細かなニュアンスは伝えやすいというところか。

また、指揮棒そのものについては、愛用のものがある人、街の楽器店ですぐに手に入るようなものなどこれも、楽器のようにブランド品はない。

それぞれの指揮者が、かなり熱心に語っていて、そこからは指揮棒に関することだけでなく、音楽に対する姿勢がわかっておもしろい。

ヘルベルト・ブロムシュテットは私の好きな指揮者だが、彼が遭遇した指揮棒にまつわる事件が述べられている。

彼の師匠はマルケヴィッチであったが、彼が指揮をしている最中に、右にいた師匠のあごを殴ってしまったということである。
フォルテの瞬間に、右手が当たってしまったということである。
そして、師のあごから出血しまったということである。

また、ブロムシュテット自身が先生で、ある生徒を指導していた時の話。
熱心な生徒であったそうだが、あるとき指揮棒を手にしたまま寝入ってしまったところ、指揮棒が鼓膜を貫通してしまったという不幸なことがあったとか。

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2008年08月28日

正しい指揮をすることの必要性

演奏団体が未熟であればあるほど、指揮は正しく行う必要があります。

それは、何拍子であるか、今何拍目なのかなど演奏者がわかるように指揮をする必要があるからです。

特に、拍子や曲想の変わり目は、いちいち口頭で言わなくても、棒でわかるようにしなければなりません。

演奏がおもうようにいかないからと言って、頻繁に演奏を中断することは演奏者にストレスを与えます。
もちろん、演奏者が一つ一つの音を大切にするように促すために、緊張感を与える必要があって演奏を中断することはあります。

いい加減に演奏すると、すぐ止められてしまうと感ずることで、演奏者が一生懸命演奏しようとする気持ちを高めることはできます。

しかし、一旦、止めたからには十分意義のある言葉を指揮者が発しないなら、ストレスは倍増します。
どう振ったらよいかわからないので、中断して、何か抽象的なことを言うということは慎まなければいけません。

アマチュアの演奏団体では、定期演奏会が年に1〜2回程度ということが多く、1曲にかける練習時間は多いので、何回も練習しているうちに、指揮に関係なく演奏の形ができていくということがあります。

団体によっては、ほとんどコンクールだけが目標で、1年間に課題曲と自由曲の2曲しか演奏しないところもあります。
こういう団体で、たいそういい演奏をするところがありますが、指揮と演奏がすごくチグハグという場合もあります。

つまり、練習回数が多ければ、指揮者が何をやっていても、演奏の形はできてしまうものです。
このような吹奏楽団を指揮しているある人が、別のオーケストラを指揮したことがあります。
多分「あのようなすばらしい演奏をする吹奏楽団の指揮者だから、きっとすばらしい指揮をするに違いない」と、関係者は考えたのでしょう。

ところが、オーケストラでの指揮は惨憺たるものでした。

オーケストラがプロのような場合は、指揮者がダメと感じれば、コンサートマスターを中心に、勝手に演奏してしまうということはあります。

しかし、指揮をたよりにしているような団体では混乱してしまいます。

練習が少ないほど、プロ的でない団体であるほど、基本にかなった指揮をする必要があります。

アマチュア指揮者は、あらかじめよく勉強していくことによって、練習日に演奏者といっしょに自分の指揮の練習をするということを少なくすれば、練習の能率は上がり、曲の完成は早くなると思います。

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タグ:指揮
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2008年08月25日

指揮のテクニック

sikinotekunikku.jpg
クルト・レーデル著「指揮のテクニック」音楽の友社

これはすばらしい本である。
まだ、出版されているようなので、アマチュアの指揮に関係している人、指揮に関心のある人は読むといいと思う。

まずはじめに

「指揮は学ぶことができるか」

から始まっている。

指揮が学ぶことができるものなら、学ぶ意欲さえある人なら、誰でも指揮者になれるということになる。

アマチュア指揮者で、指揮法を学んだ人はどれほどいるのだろうか?

指揮法を学んでも学ばなくても、実際、指揮(のような?)はできる。
いや、何となく指揮台に立って、指揮だか何だかわからないがやっているというのも多くないだろうか?

学生のころに立ち戻ってみると、中高大と吹奏楽が盛んな中で、一番問題となっていたのは指揮者だった。

学校の現場へ指導者(大先生)を呼ぶと、注意されるのは先生の指揮だった。

「こどもはいいぞー、指揮は悪くてもちゃんとやってくれるで」

という言葉をよく聞いた。

私自身も

「まず、指揮が0点だな」

と言われたことがある。

アマチュアの場合、誰かを指揮者に選出しなければならないので、話し合いなどで指揮者を決める。

それはそれでよいのだが、ひとたび指揮者に選ばれると、指揮者になったと錯覚してしまうのではないかと思う。

指揮者に選ばれたということと、指揮者になったということは違うと認識した方がよくないか?

指揮係になったと思った方がよくないか?

指揮者となったと錯覚すると、自分の言うことは全て、音楽の源のような発言をしてしまう。

もっとも、指揮者(指揮係)が自信なさそうでは、全体の志気にも影響する。

プロの指揮者がアマチュアを指揮することはあるが、その反対はめったにない。
プロのオーケストラも、金をとってアマチュアに指揮させることをやったらいいと思うが、なかなかそういう余裕はないものだろうか。

ここに紹介した本は、あまり厚いものではないので、最後まで読み通すにはそんなに時間はかからないだろう。
アマチュア指揮者はぜひ読んでもらいたい。

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タグ:指揮者
posted by dolce at 19:42 | Comment(3) | TrackBack(0) | 指揮について

2008年08月25日

指揮を見ていない!?

吹奏楽団の練習を見ていると、指揮者が

「指揮を見ていない」
「もっと指揮を見るように」

との注意を演奏者に言っている場面に出会う。

だが、そういう指揮者は、なぜ指揮を見ないかということを考えたことがあるだろうか?

私のある経験を話そう。

私はある演奏団体の、演奏者の立場での話である。

練習の帰り、次のような会話があった。

「最近、合うようなったねえ」

「うん、指揮を見ないようにしたもん」

「・・・・」

つまり、指揮者の指揮に我慢がならなかった表現だ。

その指揮者は「指揮を見るように」と言ったことはない。
自分の指揮の未熟さがわかっていたのかも知れない。

指揮をする立場にある人は、自分の指揮が見るだけの価値のあるものか、時折、振り返ってみる必要がある。

演奏する者が子どもだから、アマチュアだからと言ってあなどってはいけない。

子どもだろうが、アマチュアだろうが見ると害のある指揮は見ないようになる。

見ても、意味がない指揮。
見ると不安になる指揮。

当然、見なくなる。

特に本番では、演奏者が指揮者を信頼していないと、縮んだ演奏になる。
あるいは、誰かが張り切りすぎてバランスを崩すこともある。

一応、プロだという指揮者の演奏会で、演奏後、私は楽屋へあるトランペット奏者を訪ねた。

私:「先生、指揮より早く出ていませんか?」
トランペット奏者:「出なしょうがないもんな」

指揮者として威厳を保つためには、本当の意味での指揮をするしかない。

指揮者の立場にある人は、自分の指揮ぶりをビデオにとってもらって見るとよいと思う。
見ながら、いろいろな人に意見を言ってもらうのもいいと思う。
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posted by dolce at 10:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | 指揮について

2008年03月19日

楽しい練習 充実感のある練習

プロでもアマチュアでも、演奏者に充足感を与える指揮者はよい指揮者である。

指揮者という仕事はワンマンでもあるから、独りよがりに陥りやすいとも言える。
まあ、指揮者の独りよがりでも、それが演奏者に満足感を与えているなら、それはすごい指揮者である。

いずれにしても、指揮者と演奏者が練習によって何回も顔を合わせるごとに、心地よい関係が築かれるかどうかは大切なことである。

指揮者の意味がわからない聴衆は、指揮者とは音楽に合わせて振り付けを考えてくる人ぐらいにしか考えていない人もいる。

そういった聴衆を意識するのか、聴衆にアピールスタイルを気にして指揮をする指揮者もいないわけではない。
それはそれで、好きにやってくださいと言いたいが、それが過剰となって演奏のじゃまになったのでは何のための指揮者かわからない。

音楽をうまく引き出す機能的な指揮は、美しい方向になっていくと私は考えている。

指揮者の人柄として、演奏者に充足感を与えることも大切だが、毎回の練習が充足感を与えるものであることは大切と思う。

技量を上回る難しい曲の練習ばかりだと、どうしてもごまかすことが多くなる。
これを繰り返していると、演奏者の心には不満足な気持ちが残る。
当然、こういうことの繰り返しはよくなく、出席を悪くする方向になるだろう。

アマチュアの場合、演奏技術の差が大きい個人の集まりであることが多い。
これは、大抵の曲で満足感を得られない人が常に存在することになる。

だから、1回の練習の中に、誰でもできる非常に易しい曲も取り入れることが望ましいと思う。
練習に参加したら「今日は一応満足なことをやった」という感じを持たせて帰させることがいいと思う。

やさしい曲集を用意しておいて、それを順にやっていくようにしてもいい。
曲がやさしいと、楽譜を読む余裕と技術のゆとりも出てくる。
そういう曲で、指揮者は音作りの要求を出すようにする。

やさしいというと、ひとつひとつの音符が長いが、実はそういう単純な音の並びこそが大切であり、レベルが上がってくると別な意味での難しさがある。

忙しい曲、テクニックに追われる曲ばかりで音をじっくり聴かない習慣をつけていないか、時に練習方法を振り返ってみることも大切であると思う。

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posted by dolce at 23:24 | Comment(4) | TrackBack(0) | 指揮について

2008年02月18日

指揮者は何をすべきか?

指揮者と演奏者が一体となって、緊張感を生み出す演奏はそんなに多くはない。

双方が煮え切らず妥協の産物の演奏はプロでもある。
そんな演奏の時、奏者たちは演奏後不機嫌である。
コンサートのあと、指揮者をこきおろして酒を飲んでいるかも知れない。

アマチュアの演奏となると、ほとんど妥協の産物ということが多い。
これは、アマチュアをバカにしているわけではない。
事実を言っているのである。
ひどい演奏では、演奏の方が指揮者より先を行っている場合もある。

その理由は、指揮者が指揮者として意味のないことをやっていることが多いからである。

なのに、演奏はすばらしいことがある。
その理由を考えてみると、アマチュアの場合は練習回数の多いことが挙げられる。

アマチュア指揮者でも、音楽性の豊かな人もいる。
まあ、その豊かさがかりに受け売りやある録音のまねであってもそれが悪いということはない。

一応、こうしたいと言う音楽さえ持っていれば、その方向で音楽は仕上がっていくものである。
だが、その音楽が棒に現れていない場合は、口数が多くなり練習の能率も悪くなるが、回数を重ねることである方向でまとまっていく。

それが、時には一曲を仕上げるのに半年もかかる場合がある。

中学生も良い演奏をする場合があるが、それはわずか五分ぐらいの曲に半年も時間を割いたという場合がよくある。

ある熱心な中学校の指導者が、有名な指揮者に教えを請うために、学校へ呼んだことがあるが、その有名な指揮者が「一番良くないのは、あなたの棒です」と言ったことがある。

指導に呼んだ人が、そのような率直な言葉を発することが少ないが、それは先生の名誉を考えての事が多い。
しかし、あえて嫌われても率直に言ってくれる人の方が本当は親切なのである。

わたしも、かつて、子どもの前で

「そうだな、まず指揮が零点だな」

と言われたことがある。

話がまとまらない方向になってきたが、アマチュアの指揮者が実質指揮者になかなかなれないのは、アマチュアの演奏者を相手にしているからだと思う。

アマチュアの演奏者は、時にプロの指揮者に振ってもらうことがあるが、アマチュアの指揮者がプロのオーケストラなどを指揮することはめったにない。

しかし、そういうことが実現できたらすばらしいと思っている。
だから、プロのオーケストラは時に金をとって、アマチュアの指揮者に指揮させる機会を作ったらどうだろうと思う。

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posted by dolce at 23:31 | Comment(2) | TrackBack(0) | 指揮について

2007年10月07日

美しい響きを求めて

美しい響き、感動する響きは最終的には感性の問題だと思う。
それは、腕の立つ調理人でも、最後は味見をして納得するかどうかということと同じである。いくら、料理ブックの通り作ったとしても、味見をする力がなければ、どうにもならない。
しかし、何事も基本が大切なように、基本を踏まえずに感性だけに頼っていても、混乱して収拾がつかなくなったり、現在の方法で将来良い結果が得られるかどうかの見当もつかなくなってしまう。
音楽では、和声学、音響学、楽器学の上に「聞く耳」が大切である。

ところで「聞く耳」と言っても、聴音にはめっぽう強いが、汚いアンサンブルで平気な人もいる。
どうも、聴音に優れているということと、美しい音に感じるという感覚は別物であるようだ。
音色についても、同じことが言える。
トランペットのB♭管とC管ではかなり音色が違う。同様に、クラリネットのB♭管とA管もかなり音色が違う。
しかし、どちらでもかまわないとか、同じですよと言っている人がいた。
私は、モーツァルトやブラームスの五重奏曲、モーツアルトの協奏曲をB♭管で演奏する気にはなれない。

音にうるさいというと、オーディオマニアが浮かぶが、マニアにもよるが、オーディオマニアの音がいいというのと、音楽家のそれとはまた感覚が違うように思う。
それでも、オーディオ文化が頂点に達したと言われる1960年代にはいい音を求めて、生活費まで節約して、いい音のレコードや機器を買い求めた頃と現在では人々の音に対する感覚も変わってきているような気がする。

あるプロのオーケストラのメンバーが、同じ所属のあるメンバーのことを「あいつは、楽器に金をかけないで、車の方に金をかけている」と怒っていた。いわゆる「今時の若い者は」というような口ぶりだった。

猫は、一度旨いものを食べさせると、贅沢になって、それ以上の物でないと食べなくなると言っていた人がいるが、人の耳もそういうところがあるような気がする。
それは、音にこだわる人は、ある時、いい音だと満足したかと思うと、そこでとどまらずまた果てしなくいい音を求めてさまようからである。

とりとめのない話になったが、では、合唱や器楽のアンサンブル、オーケストラ、吹奏楽の音を良くするには、それは、指導者の耳、感覚が最も大切であると思う。
特に指導者がああだこうだ言わなくても、その「指導者の音になっていく」ということからもわかる。
だから、指導者、指揮者は時には交代して、客観的に他人の指揮をみてみることも大切ではないかと思う。

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posted by dolce at 20:43 | Comment(2) | TrackBack(0) | 指揮について

2007年08月26日

指揮者が楽曲を理解していることの大切さ

指揮者が演奏している曲について、周知していることが大切なことは当たり前だが、そうでない場合はどうなるかということについて述べてみたい。

指揮者は楽器を演奏するのではなく、ただ棒を振っているだけであるから、拍子さえ間違いのないように指揮をすればよいようにも思う。

演奏者がプロの場合は、それでも何とか破綻なく演奏はできる。
しかし、アマチュアの場合はそうはいかないのである。

アマチュアの場合は、指揮者が音譜の読み方から指導していかなければならない場合が多い。
楽譜が読めていない場合は、指揮を止めて説明する場合も多い。
しかし、特に説明していなくても、指揮者自身が楽譜をよく理解している、よく読めていると演奏者もよく読めるから不思議な感じもする。

ただ棒を振っているだけなのに、楽譜もよく読めるのである。
これは、私自身が実際に体験してのことである。

だから、どうしても演奏したいという曲があって、それを練習に持っていった場合、ただ演奏したいから、実際演奏するのは楽器を持っている者だからと思って、不勉強でいくと練習ははかどらない。

逆にかなり難しい曲でも、指揮者がよく勉強して理解していると、仕上がりが早い。
特にくどくどと説明したりしなくても、仕上がっていくので、人というのは何も言わなくても伝わるものがあるような気がする。
あんな難しい曲がなぜできてしまったんだろう、と言う声を聞く場合もある。

だから、演奏できないのはメンバーの力量不足のように言うアマチュア指揮者もいるが、メンバーは自分たちの力量不足を承知しているものの、指揮者の勉強不足は次第にメンバーに不満をもたらすようになる。

人からは、何か見えない電波のようなものが出ているのかも知れない。
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2007年08月25日

汚い棒

「あいつは汚い棒を振るぜ」という言葉を聞いたことがある。
指揮者は棒(タクト)で指示をするのだが、その棒を振っている様が汚く感じられれば、音も汚くなる。
棒を振っている本人が意識するしないに関わらず、楽員からそう見えたら、それはそれで仕方がないことである。
だから、指揮をする者は自分の指揮ぶりをビデオに撮ってもらって見てみるとよい。

特に、指揮者は観客に対して常に後ろ姿を見せているわけだから、自分の後ろ姿を観てみることも必要である。

ただ、どうしても直せないという本人の持ち味のようなものもある。
それは個性と言ってもよいのかも知れないが、どこから音を出したらよいのかわからないような指揮を個性と言って開き直ってもらっても迷惑である。

指揮の軌跡は、基本的には当加速度運動でなければならない。そうでなければ、人は到達点を予測できないからである。

人は何も言わなくても、他人に与える印象、空気みたいなものを持っており、オーケストラもそのような音になっていくのもおもしろい。

スイス・ロマンド管弦楽団を創立し、以後50年にわたって指揮をしたエルネスト・アンセルメからしたら、スイス・ロマンド管弦楽団は完全にアンセルメの音になっていたわけであり、それはアンセルメが意図して作った音だけでなく、アンセルメの体臭すら音になっていたと言えるのだろう。

だから、アンセルメ以後はスイス・ロマンドをかつての栄光ほどまで持っていった指揮者はいない。
ヴォルフガング・サヴァリッシュをもってしても、評価が分かれた。
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スイス・ロマンド管弦楽団では創設者エルネスト・アンセルメ亡き後のオーケストラの再構築に尽力した(この再構築を評価する者と、「アンセルメの響きが失われた」として評価しない者が二分している)。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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このようにみていくと、世界のオーケストラは最適な指揮者との組み合わせがあり、レコーディングもそういったものがいくつかある。
たとえば、「ユージン・オーマンディ/フィラデルフィア管弦楽団」「ジョージ・セル/クリーブランド管弦楽団」「ゲオルグ・ショルティ/シカゴ交響楽団」「レナード・バーンスタイン/ニューヨーク・フィルハーモニック」「エフゲニ・ムラブィンスキー/レニングラード管弦楽団」・・・・。
挙げていくと、巨匠たちばかりで、彼らは他界してしまっているので、現在は指揮者とオーケストラのよい関係を築き上げている途中であると言えるのかも知れない。

そういう関係を築くには、数十年という期間が必要であり、商業主義のもとに指揮者が入れ替わっていてはできるものではない。

そういった意味では「シャルル・デュトワ/モントリオール交響楽団」は指揮者現役としては望ましい組み合わせの一つだろうと思う。
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posted by dolce at 16:39 | Comment(0) | TrackBack(0) | 指揮について

2007年08月22日

指揮者の仕事とは何か

noteceg.jpg
ある人から「指揮者って必要なのか?」と言われたことがあります。
そのような人のために、指揮についてというカテゴリーを設けたわけですが、指揮者がいないと演奏できないかというと、そんなことはありません。

スタートだけ合図をすれば、たいていの音楽は演奏できるでしょう。
いや、複雑な音楽であっても、話し合いで約束事を決めておけば問題ないでしょう。
実際、指揮者のいないオーケストラもあります。
有名なオーケストラにオルフェウス管弦楽団があります。

しかし、ざっと100名からの人がそれぞれ勝手に音を出したら、揃わないということはないが、バランスが問題になります。
バランスというのは、音量とか音色のバランスのことです。

たとえば、ごくわかりやすく説明すると、図にドミソの和音がありますが、100人はこの三種類の音のどれかを出しているわけです。
それを各人が正しい音程で出したとしても、きれいな響き、よい響きにはならないのです。

音の強さの順番から言うとドソミの順番になります。
これはピアノでも言えます。
ピアノは調律さえ正しければ、音程が悪いということはありません。
しかし、音のきれいなピアニストとそうでないピアニストがいるのは、タッチの違いもありますが、同時に鳴らす音の強さのバランスの違いがあるのです。

オーケストラでは、全体のバランスをよい響きになるように全員が心得て出さなければならないわけですが、それを客観的に聞き取る役目として指揮者が必要になるのです。
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posted by dolce at 08:29 | Comment(0) | TrackBack(1) | 指揮について

2007年08月18日

ヘミオラ

finlandia.jpg
ヘミオラとは楽譜に書いてある拍子とは違って聞こえる音型のことを言います。
図にはシベリウスの交響詩「フィンランデイア」の例が示してあります。

この部分は記譜は4拍子ですが、5拍子のように聞こえます。
当然、指揮は4拍子に振らなければなりません。
1拍目は図ののところになります。
ここが1拍目になるように振らない指揮者は、演奏者を混乱させます。
または、指揮者がそのように正しく振ってくれない場合は指揮を見ない方がよくなってしまいます。

こういう間違いは、アマチュアの指揮者によくあります。
プロの指揮者でも、こういうところがどうなっているのかわからない指揮者がまれにいますが、それは指揮者は指揮者でも「タレント指揮者」つまり格好とか容姿とか、何か商業的な作戦で売り出しているのではないかと思います。

こういったポイントを指揮者がきちんとやらないと、アンサンブルはきちんと揃わないというか、引き締まった演奏にはなりません。
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posted by dolce at 06:07 | Comment(2) | TrackBack(0) | 指揮について

2007年08月11日

一人一派

いろいろな指揮者を見ていると、その指揮ぶりは十人十色である。
流派というか、師弟の関係にあった指揮者同士でも指揮のスタイルは違う。

それは、この世界が一人一派の世界だからである。
だから、基本的な部分で問題がなければ、指揮を教える先生もそのスタイルについてとやかくは言わない。
指揮は好きなようにやっていいわけだが、その好きなようが好き勝手すぎて、演奏者に迷惑をかけているような指揮者もいる。

フルトベングラーのように、指揮がわかりにくいと文句を言われた大指揮者もいるが、それ以上の芸術的魅力を備えていたから著名なオーケストラからも指示されていたわけであり、そのようなこともない限り、中身もなくわかりにくい指揮をする人は迷惑でしかない。

プロの指揮者が実にいろいろなスタイルの指揮をするので、指揮って何でもいいと勘違いしているようなアマチュア指揮者を見ることがある。

アマチュアであっても、ひとたび「指揮者」という名前をもらうと本当に自分は指揮者なんだと錯覚して、やることなすことメンバーに迷惑をかけている者もいる。

もちろん、アマチュアでもよい指揮をする人はいるが、よい指揮者というのは演奏者を快適にする人であって、練習の能率もよい人である。
posted by dolce at 08:48 | Comment(0) | TrackBack(0) | 指揮について

2007年08月10日

指揮の姿勢

zukei.gif
指揮者は、図形がきちんと振れなければだめだと言ったが、それでは図形をきちんと振っていれば指揮になるのかというとそういうものではない。

ただ機械的に図形を振っているだけなら、それこそ機械をおいておけばよいということになってしまう。

図形がきちんと振れるということは基本であり、実際の演奏の時、ここは図形をきちんと振るべきかもっと他のことをやった方がいいのかの判断が必要なのである。

しかし、図形を振っていないときでも、常に図形の意識があるということは大切なことである。
つまり、図形はしばしば省略されるが、省略の部分はきちんと図形の理にかなっていなくてはならない。
もう少し詳しくいうと、指揮の図形が省略されても、拍子の各拍の方向は常に同じでなければならない。

そして、タクトを振る指揮者の体はどっしりと構えて、重心がぶれないようにしなければならない。
タクトを振る手と腕以外が余分な動きをすると、指揮は見にくくなる。
指揮者は音楽に合わせて踊るダンサーではない。

必要な体の重心移動はあるが、指揮台の上で踊ったり意味のないアクションをすることは、演奏者を混乱させる。

指揮の基本を頭に入れておいて、実際の指揮者を見てみるのもまた新しい発見があっておもしろいかも知れない。
posted by dolce at 22:19 | Comment(0) | TrackBack(0) | 指揮について

2007年08月10日

図形

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指揮者って何をやってるんですか?
とか、
指揮って必要なんですか?
あるいは、指揮者は必要ないんだけど、年の功であそこ(指揮台)に立たせてあげているみたいに思っている人もいるようなので、自分の考えの整理のためにも、指揮についてまとめておこうと思いました。

ご意見や質問があればお寄せください。
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指揮者は図形がきちんと振れないとだめである。
図形が振れるということは、二拍子とか三拍子、四拍子など振り方の基本図形(流派よって異なる)があって、音楽の拍子にもとづいて振り分けられなければだめということです。

最も大切なことは、一拍目が明確にわかることです。
たとえば、四拍子の一拍目を体の正面から真下に振りおろすなら、常に一拍目はそうでなければなりません。

指揮者の大切な仕事の一つは、今演奏している音楽の流れが何拍目であるかを演奏者に伝えることができないなら、演奏者は混乱します。
演奏者が安心して、拍をくみとれるように指示を与えることです。

演奏者に安心感を与えることは、指揮者の大切な条件でもあります。

音楽によっては、常に同じ拍子で流れているとは限りません。
四拍子の連続の中に、突如三拍子や二拍子が入り込むこともあります。
その場合は、当然演奏者に拍子が変わったことを伝えられなければなりません。

もちろん、演奏者の音を聞いてからそれに指揮者が合わせるのではなく、指揮者が合図をして演奏者が音を出すのですから、指揮者は常に先を読んで、実際の演奏より一歩先に合図をすることが大切です。

連続した四拍子を振るとき、一拍目がずれてしまう人は、指揮をやらない方がいいでしょう。
また、指揮者を選ぶ必要があるとき、まず拍子がずれないかテストしてみるとよいでしょう。
posted by dolce at 00:52 | Comment(0) | TrackBack(0) | 指揮について

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