2012年09月28日

軍艦行進曲

なぜ、軍艦行進曲かって?

それは、週刊 戦艦大和をつくる 改訂版 創刊号 2012年 10/16号 [分冊百科]
を買ったからです。

こちらは海上自衛隊の演奏です。


こちらはギャルドの演奏です。


どちらも素晴らしい演奏です。

この瀬戸口藤吉・作曲「軍艦行進曲」は傑作だと思います。

しかし、戦時中の放送で「大本営発表」の声が流れ、同時にこの曲が流されて、当時放送を聞いていた人たちにはイメージがよくないので、敬遠されがちです。

なぜかパチンコ店でも流すんですね。

この音楽が流れると、パチンコを思い出すという条件反射のできてしまっている人がいるかも知れません。

しかし、やはり行進曲の傑作だと思います。

私は中学校時代の吹奏楽部を思い出します。

トリオの部分の細かいメロディーを先輩たちがスラスラと演奏していて、すごいなあと思っていました。

何を言わずとも、こういうところで先輩の凄さを感じ、尊敬していました。

ところで、肝心の、戦艦大和をつくる です。

昔から戦艦大和には憧れていました。

戦争は嫌いですが、このすごい戦艦の堂々たる姿には心を奪われました。

とにかく、46cm砲というとてつもない砲塔があり、射程距離は42kmだそうです。

子どもの頃、木片を集めて大和を作りましたが、子どもとしての想像の域で正確なものではありません。

しかし、このほどシリーズで戦艦大和をつくる が出版されましたので、ワクワクしています。

最近の子どもは模型を作らないそうです。

組立模型を買っていくのは大人が多いということですが、買っていく大人はずっと少年の心をいだいているのかも知れません。

yamato1.jpg


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2012年09月25日

吹奏楽演奏のお手本

すばらしい演奏だと思いました。



各プレーヤーの技術がしっかりしていて、その結果音がよく合っている。

音楽は音が合っていれば良いというものではない。
それは言うまでもないこと。

この演奏は、しっかりした技術の上に音楽性が乗っているという感じです。

指揮者も、演奏を邪魔せず、音楽の内容を演奏者に伝えています。

そして、妙に力の入った力みのないのが、耳に心地よく伝わってきます。

こういう演奏なら、CDなどに録音して観賞用にしたいと思います。

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2011年04月25日

初心者の吹奏楽顧問のために

こんなタイトルをつけると、偉そうにみえるかも知れませんが、突然、吹奏楽の顧問になって右往左往している人で、誰にも聞けない、今さらこんなことは聞けないと困っている人のために、お役に立てばということで、つたない私の経験が参考になればと思い、書いてみました。

1.音楽に親しむこと

まず、顧問は自身が音楽に親しむことだと思います。
親しむ音楽は何でもいいと思います。しかし、顧問になったきっかけとして、吹奏楽を特に聞いてみることもいいのではないかと思います。
仕事として考える前に、音楽を聴く、楽しむ余裕が大切だと思います。

2.学問に王道なし

この言葉は、先生には「釈迦に念仏」だとは思いますが、今一度再認識して「今から勉強するんだ」という気持ちで取り組むべきだと思います。
スポーツは肉体的な衰えをカバーできませんが、音楽は歳にあまり関係ありません。

クルト・レーデル氏は「勉強すれば指揮者になれるかと言えば、そうも言えない。しかし、学べるべきことは学ぶべきだ」と言っています。
これは、音大出ならば必ずしも指揮者になれるとは限らないと言っているともとれます。

3.楽譜は大切

楽譜から読み取ることは、永遠の課題だと思っています。
大指揮者も、何度がスコアを読み直しています。
音楽に浸るという意味で、大作曲家の主だった名曲は聴いておくべきだと思います。
その際、ミニチュアスコアを買っておいて、聴きながらたどっていくと、以下に楽譜に忠実に演奏しいるかがわかると思います。

4.指揮をする時は、基本図形を大切に

4拍子、3拍子、2拍子など曲の拍子が変化するときは、絶対に振り分けねばなりません。
こういうことは、初心者でも練習すれば短期間にできるようになります。
メトロノームのように、すべての拍子を振らなくてもよい(拍を省略して振ってもよい)ですが、拍の方向を絶対に間違えてはなりません
振り出しは、必ず実際の音が出る一拍前です。余計な反動をつけてはいけません。
フェルマータの処理をマスターしておきましょう。

曲の感情を盛り込もうとして、体が不用意に動いてはいけません。体が動くと指揮が見にくくなります。
今一度、クライバーの指揮を見てみましょう。体そのものは安定していることが、よくわかります。



自分の指揮の姿をビデオで撮ってもらって、研究しましょう。
鏡の前で練習するのもよいと思います。

5.前もって、楽譜をよく研究しておいて、練習中に考え込まないように

どういう風に曲を作りたいのか、どう練習したいのかを予めよく考えておいて、練習ではテキパキと迷いなく指示しないと、演奏者には余計なストレスがたまって、集中力がなくなります。練習の充実感もなくなります。

6.一応全ての楽器に関する基礎知識は勉強しておきましょう

本で調べるのもよいですが、専門家をたどって聞きましょう。

とりあえず、思いつくまま書いてみました。
未経験なのに吹奏楽顧問になってしまった人、頑張ってください。
はじめ、生徒が新米扱いすることはあっても、黙々と努力する先生を見て、それが次第に尊敬になっていくでしょう。
肩の力を抜いてやりましょう。

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2011年04月19日

新学期ですね〜吹奏楽部にお願い

特に中学校の吹奏楽部にお願いしたいこと。
もう、入部も決まって、そろそろ楽器も決まるところでしょうか?

伝統ある吹奏楽部やベテランの指導者には、釈迦に説法ですが、始めの間違いであとあと生徒が苦労するところを老婆心ながら、あえて確認をお願いしたいです。

それは、ホルンとトロンボーンに関する指導です。

ホルン

ダブルを使っているところが多いと思いますが、F-B♭の切り替えで、B♭を常時使っている学校が多いようです。
それは構わないですが、B♭ということで、運指をトランペットのB♭と同じように教わっている生徒がいます。
これは間違っていますので、今一度、運指表でご確認ください。

できたら、ホルンらしい音色のFも使ってください。
かつての記事
http://bestmusic.seesaa.net/article/55181840.html

もご参照ください。

トロンボーン

トロンボーンは管自体はB♭管なのですが、ポジションは実音で習うのが正しい方法です。
第一ボジションを「ド」(実音B♭)と習ってしまう生徒は、後々苦労しています。
6ポジションを「ド」(実音C)と教えてあげてください。

かつての記事
http://bestmusic.seesaa.net/article/54924080.html

をご参照ください。

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posted by dolce at 00:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | 吹奏楽

2011年02月27日

楽器の故障は参りますね

mente_kinkan.jpg
自分の楽器の故障のことではない。
自分の演奏は、10年ぐらい前からソロもしくはアンサンブルが多いので、楽器の状態には神経を使っている。

楽器の故障で参るのは、学校の吹奏楽部である。
もちろん、全部が全部とは言わないが、故障は多い。
しかも、故障と気がついていないので、余計に始末が悪い。
楽器が故障していたらプロだって、演奏は不可能だ。

金管楽器のバルブが動かない、スライドの動きが悪い、ロータリーが故障しているというのは論外だが、木管楽器は複雑なだけに故障が多い。

トーンホールがきちんと塞がらないというのは多い。
特に、キーが連結になっている場合、コルクや調節ネジが狂っていて塞がらないというものが多い。

学校の吹奏楽は、大勢で演奏するので、故障があっても、誰かが音を出しているという状態の中で、自分の音が完全でなくても過ぎていってしまう。

終了時間ぎりぎりまで練習をしていると、あわてて楽器をしまうので、楽器も傷みやすい。
翌日、練習時にあわててオイルをさしているというバンドはいただけない。

mente_mokkan.jpg

オイルは基本的に、練習開始時にさすものでなく、練習後丁寧に点検し、ツバを拭きとりその後にさすものである。
そうしないと、楽器にツバがたまったまま一夜が過ぎることになり、その間に錆びる。
油をつけてしまえばそういう恐れがない。

練習時間を長くとりたいのはわかるが、楽器のメンテナンス、扱い方の指導もしてほしい。

楽器の状態をきちんとしておかないのは、練習以前の問題である。

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2011年02月13日

市民バンドの練習

市民バンドの運営は大変だと思う。
まず練習場所だが、中には市の理解で専用の練習所を提供してもらっているという恵まれたバンドもあるが、そうでないバンドは大型楽器の保管場所や運搬に苦労する。

練習時間を毎週土曜日の午後6時からと決めているようなバンドも多い。
毎週土曜日ごとに、同じ練習場所で練習できるバンドはいい方で、毎回のように会場が変わると、運搬係は大変である。

どのように練習計画を組んでいるのかはわからないが、いつも全員が集まる必要があるのだろうかと思うこともある。
いつも全員が集まるようにしておかなければ、結束がはかれないというバンドもあるだろう。
それはまだバンドの創世記と言えるのかなと思う。

アマチュアバンドは、各メンバーが仕事を抱えているので、仕事の都合で参加できないこともある。
それはそれで仕方がないことであるが、アマチュアバンドの欠点は安易に欠席しやすいということもある。
サボリというのは格好が悪いので、理由として「仕事」と言っておけばよいなんてことも通用してしまう。suisogakubenricho.jpg

だから、アマチュアバンドの大切なところは、如何に出席の意欲を高めるかということであると思う。
仕事でもないのに、継続して出席するということは大変なことである。
始めは音楽が好きだからと言って参加しても、そのうちに飽きてきて出席しなくなるということもある。

また、今のところなんとか出席しているが、気持ちが欠席の方向に向かっているという者もいるかも知れない。
リーダーは自分だけ、あるいはスタッフだけの価値観で、欠席者を継続性のない人間なのだと決め付けず、バンドに何か魅力がないのだろうかということを、時に考えてみることも必要だと思う。

私が考える練習方法

1.全員集合の練習

曲が決まったら、指揮者がどういう曲作りをするかメンバーに伝えるための練習。
合奏が不完全でも、曲の全容をつかむために最後まで通す練習をする。
指揮者は当然、予め勉強しておいて、曲作りにおいてブレないようにしなければならない。

2.木管、金管、打楽器というようにグループで別れた練習をする

それぞれリーダーが中心になって練習をする

というように、いつも全員が集まるのでなければ、つまり人数が少ないほど集まりやすい。
もっと細かいパートごとでもよいだろう。

市民バンドは、大人のバンドなのだから、小グループに分けてリーダーをおいて、練習をするということも可能と思う。
時には、誰それの家で練習ということも可能かも知れない。

そして、演奏会の近くで全員が集まる日を設定する。
あるいは、演奏会まで日があるなら、全体練習を途中で設定してもよいと思う。

小グループでの練習は人数が少ないので、人間関係を高めるにはいいと思う。

となると、核になる何人かのリーダーを確保するということが大切になってくる。

並び方

しばしば、並び方について聞かれることがあるので、参考図を下に示す。

Band_Narabikata.jpg


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2011年02月11日

吹奏楽の編成を考える

SuisogakuHensei2.jpg左の図にあるように三種類の吹奏楽の編成を考えてみた。
メンバーはみな一応演奏できる者を想定している。こういう言い方は変なのだが、アマチュアの多い吹奏楽では人数はいるが、一人前ではないという人が混じっていることもあるからだ。

私は概して大きな編成は好きではない。必要最小限と言った方がよいかも知れない。
編成1は27人だが、これでは少ないと感じるだろうか?

モーツァルトの作品に「13管楽器のセレナーデ」という曲がある。
文字通り13人である。

それからみると27人というのは、けっこう大きな編成である。

楽器の魅力は音色にある。
その楽器をたくさん混ぜるほど、各楽器の音色という個性は失われる。

吹奏楽の楽譜には、やたらといくつもの楽器が混ぜて書いてあったり、一つの旋律を大勢で演奏するように書いてある楽譜がある。
こういう楽譜は、教育的意図を持ったものが多い。

つまり、不特定多数の人が集まっても、どこかの声部が欠けないようにとか、一人では演奏できない場合でも多数でなんとかするとかの配慮である。
そこは、吹奏楽のよいところでもあり、悪いところでもある。

初心者や、初歩のバンドではそれでも満足感があるかも知れないが、自立した演奏者には満足感なくなる。

編成はどんな曲を演奏するのかということにもよる。
小さな編成では「嵐がそよ風になってしまう」という人がいた。
だから、編成3の46人が必要な場合もあるだろう。



オーケストラでは、作曲家が書いた楽譜のように編成を考えるのが普通だが、吹奏楽の場合は集まっているメンバーを中心に、作曲家の意図する編成を考えないということが多いような気がする。
しかし、吹奏楽も、作曲者は一体どういう編成を意図しているのかを考えてみて欲しいと思うことがある。

作曲家にとっては、自分が想定しない編成で演奏されるのは、あまりおもしろくないことだろうと思うからである。

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2011年02月09日

吹奏楽の練習

アマチュアの場合の話。
それも市民バンドのような一般のバンドのことなのだが、ずいぶん個性的な練習が多いなと思う。
個性的なというより、いろいろな練習の仕方をしているといった方がよいのかも知れない。
それは、指揮者というかトレーナーの性格によるところが大きいのだろう。

人が違えば、好みも気になるところも違うだろうから、指揮者になった人が自分の気になるところを練習すればよいと思うが、困るのは練習の意図というか目的のわからない練習だ。

ソロの発表会、例えばソロ楽器にピアノ伴奏だけというのは、ソリストと伴奏者の打ち合わせだけで曲作りは進むのだが、吹奏楽のような団体となるとそうはいかない。

どういう練習をしようが、最終的にはどういう音楽をやりたいのかという設計図があって、それを設計図どおりに仕上げるということだ。

家を作るとき、はじめに柱を削ってばかりいるということはない。
きれいに仕上げた材料を使いたいのはもちろんのことだが、一番初めに知りたいのはどういう家ができるのかということだ。
家の設計図は一般の人にはわかりにくいので、最近ではパース図と言って、設計図をもとにして実際どういう家ができるのか立体的でカラフルな完成予想図を示すことが多い。

吹奏楽の練習も、同様に、全員にこれから作ろうとする音楽がどんな音楽なのかを示すことが一番最初にやることだろうと思う。
それを伝えるのが指揮者なのだが、指揮者は当然設計図なるものを頭に持っていなければならない。

それで、練習の時は全員に明確に伝えることが仕事であり、練習に際して考え込んでしまうのはいただけない。また、練習のたびに言うことが変わるというのも問題だ。

指揮者は楽器を演奏しないので、練習ではなんとなく棒を振っていれば時間が過ぎてしまうということだが、何も勉強してきていない指揮者につきあわされるメンバーは苦痛である。練習がおもしろくない。
指揮者は、前もって念入りに勉強してきて、練習でははっきりしたメッセージをメンバーに伝えてほしいものだ。

出席がしっかりしているバンドはいいが、コンサートまでにまだ時間があるという時には、出席が少なくて、コンサート直前に集まるというのも困りものである。
何ヶ月も前から曲作りをしてきて、直前だけ参加されたらバランスも音色も、つまりそれまでやってきた練習の意味がなくなってしまう。
それぞれが勝手に音を出している烏合の衆と同じになってしまう。
それでは、お客さんも満足しない。

練習回数は少なくても、全員参加という気風を作らなければ、やがてそのバンドは魅力がなくなってしまう。
だから、練習計画をきちんと作って、はじめからバランスがとれるよう、曲作りができるよう運営してもらいたいものだと思う。

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posted by dolce at 16:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | 吹奏楽

2011年01月10日

ガラパゴス集団にならないように

昨年聴きに行ったアマチュアオーケストラ、名古屋市民管弦楽団はすばらしかった。
演奏評はともかく、運営が前向きと感じられたからだ。

前向きとは、アマチュアの団体にありがちな、演奏会は企画するが演奏者のための演奏会にかなりシフトしていて、観客も親戚知人、義理の関係者がほとんどということだ。
アマチュア楽団が創成期ならしかたがないにしても、目指すものとしては、もっと外に向かって新たなフアン獲得の方向で活動してもらいたいと思う。

そうでないと、日本の携帯電話がガラパゴスと批判されたように、ガラパゴス楽団のようになってしまう。
私がガラパゴス化しているなと思う楽団は、とかく秘密主義のようなところがある。
秘密という言葉は大げさかも知れないが、外部からの空気を遮断して、変わってるなと思う練習や活動をしている。

もっとも、器楽や合唱では一般団体でなくてもガラパゴス化はある。中学校、高校、大学でもある。
訪問すると、独特の臭いがある。実際臭いがするわけではないが、気分的にそのような感じを受けるわけである。

ある、かなり山奥の中学校で合唱コンクールなるものをやっていた。
すごく熱心で、発表の寸前までどのクラスも練習に熱が入っていた。

学校中が合唱を通して一つにまとまっているようで、いい雰囲気だなあと思った。
一つのクラスが庭で集まって歌っていた。指揮者がずいぶん変わった指揮をしていた。
肩の辺りを回して、まるで柔軟体操をしているような指揮であった。

ところが、他の方に目を移すとあっちでもこっちでも練習しているのだが、みな申し合わせたように、指揮者がその柔軟体操のような指揮をしていた。

やがて、ステージのでの発表の時間になったわけだが、ほとんどの指揮(いや全部のようにも見えたが)が柔軟体操であった。

指揮者は独り一派というが、いくら何でも基本からしたら好ましくないという指揮だった。
まさか、これを音楽の先生が教えたのではないだろうなと思ったが、アマチュアの音楽団体は悪くするとこのようなガラパゴス化のようになる。

外からの空気も入れない。音楽をやっているのに、独自の練習をやっている。
演奏会はやるが先に言ったように、客は身内ばかり。
だからだろうが、宣伝してもらうことを嫌がる団体もある。
特に、最近ではYouTubeという便利なものがあるのに、いっこうにそこへは発表しようとしない。
アップの仕方を知らないのかなと思って、関係者の了解を経てアップすると、文句が来たりする。
「了解を得てアップしていますが」
「こちらには連絡が来ていないので」
つまり、幹部が承諾をしていないというのだ。
上下関係だけはしっかりしているようだ。

YouTubeに乗っている楽団の演奏は、必ずしも上手いものばかりではないが、それでも外に向かって大勢に発表しようという気持ちは大いに買いたい。
無責任な批評を書く者もいるので、少しばかり勇気は必要だが、こういうことは変な体臭を持つ、ガラパゴス楽団とならないためにも役立つと思う。

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posted by dolce at 12:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 吹奏楽

2010年12月23日

生徒の将来を優先すべき

吹奏楽部に、プロ志向の生徒がいたらコンクール優先より、その生徒の将来のことを考えてやらなければなりません。
しかし、プロ志向と言っても、プロにになれるかどうかという問題もあります。

何事も、努力は必要ですが、努力すれば何にでもなれるというものではないと思います。
「玉磨かざれば光らず」という言葉がありますが、これは玉でないものを磨いても光らないとも言えます。

もちろん、光るはずの玉をついに光らないようにしてしまわないこと、つまり、先生のの役目は育てることも大切ですが、芽を摘んでしまわないことも大切です。
光るはずの玉が光らないでというのと、光らない玉を一生懸命磨いていたという両方の例を私は知っています。

日本の吹奏楽コンクールが、もっと正しい奏法を志向する方向であって欲しいと思いますが、残念ながらそうでない現状では、吹奏楽部の管、打楽器でプロを目指そうとする生徒は、専門の先生につくべきでしょう。

実際、私が指導していた中学校ではプロを目指している生徒がいました。
そういう生徒には、部活の練習の途中でもレッスンに行くことを許していました。
そして、そういう生徒がレッスンを受けていたことにより、私の方も刺激を受けていました。

私がまず感じたことは、吹奏楽ではつい技量を上回る選曲をしてしまうということでした。
技量を上回っても、大勢でワーッとやってしまうと、なんとなくそれらしく聴こえてしまうというのも吹奏楽です。
一人一人が完全なプレイをしていなくても、なんとかなってしまうということなのです。

これは、未熟でも参加できるという良さがありますが、悪い方向へ行くと、ごまかす習慣がついてしまうことです。
独り立ちできない奏者になってしまうわけです。

吹奏楽もオーケストラも奏法は違わないはずですが、吹奏楽経験者がオーケストラへ行くと意外に演奏できないと言われるのも、いつも大勢でやっている。
技量を上回る曲をやっていて、ごまかすクセがついているということにあります。

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posted by dolce at 00:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | 吹奏楽

2010年12月20日

部活に、将来プロになりたいという生徒がいたら

ondaisigan.jpg「どうします?」というのはテレビのコマーシャルではない。
吹奏楽部の生徒で、将来、プロになりたいという生徒がいたらどうしますか?

問題は、コンクール漬けになっている部活だ。
高校野球は、卒業してプロのスカウトが待っているということがあるが、吹奏楽コンクールで全国大会に出て金賞をもらったからと言っても、プロの登竜門にはならない。

我が国の吹奏楽コンクールは、基本をしっかり身につけないまま、技量以上の難曲に挑戦し、すごいと感じさせることをやらなければ、良い賞はもらえない。
だから、基本をやるより課題曲と自由曲に時間をかけた方がよいと考えるのが、コンクール漬けの学校であると言ってよい。

私がある中学校の吹奏楽部を教えている時、ある保護者が「今度、ウチの娘がオマエの中学校に入学するので、オマエの部活に入れてくれ」と言った。
これだけ聞くと、私の部活が気に入れられているのかと言うと、そうではない。
その娘は、幼い頃からヴァイオリンを習っていいて、将来プロを目指していた。

当然のことながら、吹奏楽部にヴァイオリンはない。
では、なぜわざわざ吹奏楽部に入れてくれと言ったのか?

それは、
1.学校のきまりとして、いずれかの部活に所属しなければならないとなっていたこと、
2.運動部に入ると、帰りが遅くなる
の理由から、私の吹奏楽部に入って、途中でヴァイオリンのレッスンで早く帰宅させて欲しいということだった。

とにかく、音楽高校、音楽大学と進むのには学校の部活につきあっていては練習時間が足りないのだ。
私は要望を聞き入れて、一応クラリネットに所属させ、ヴァイオリンのレッスンに間に合うように配慮した。

これは、ヴァイオリンの例だったが、管、打楽器でも同じことである。
吹奏楽部で管、打楽器をやっているからいいという問題ではない。

吹奏楽部で管、打楽器を練習していて、音楽高校、音楽大学へ進学できるのかという問題である。

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2010年10月12日

吹奏楽に何を求めるのか?

MozartClC.jpg吹奏楽の本場と言えばアメリカだが、それに次いで盛んな国が日本ということである。
コンクールも盛んだが、アメリカと日本では事情が違うようだ。

それはさておき、演奏会も各地で行われていて、市民バンドだけでなく、大学はかなり昔からだが、中高でも多くなってきた。
少子化により、吹奏楽部の人集めが大変な学校もあるようだが、多いところは70人を越す、いや100人を越すところもある。
そういった大所帯のところは、コンクールへの参加も熱心である。

ところで、吹奏楽部へ入った動機は何だろう?
市民バンドに入った動機は何だろう?

そして、何を求めているのだろう?
「そりゃあ、音楽をすることだよ」が答えなのか?

私がなぜこういう疑問を持つのかと言うと、しばしば、何か私は人と違うことをやっているのではないか?とか、求めるものも違うのか?と思ったりするからである。
私は中学校の吹奏楽部に入ってから、マーチを演奏できるようになり、ワクワクとした気持ちで活動していた。
そのうち、自分の吹いているクラリネットを通じて、いつかモーツァルトの協奏曲が吹けるようになることが夢だった。
レコードを聴いては、あんな風に吹けたらなということを心に秘めていた。
だから、何人もの奏者の演奏を聴いた。

同じクラリネットでも、ずいぶん音が違うものだなあと思い、名人はあんな音がするんだと思っていたが、音が違うのは名人たちがうまいだけでなく、楽器そのものがA管であるということを知った。
私はどちらかと言うと、A管が好きである。
ものの本によっては、A管の音を牧歌的と表現しているが、うまく言い表したものだと思う。
B♭管より少し地味で、心の内面に染み入るような感じがする。

私はある時、車上ねらいにあってA、B♭を盗まれてしまったことがある。
大変なショックだった。
クラリネットのない世界なんて私には考えられないので、一生懸命働いて、真っ先にA管を買った。cl_trio.jpgA管がなければ、モーツァルトの協奏曲、五重奏曲、ブラームスの五重奏曲も吹けない。
いや、正しくは吹く気がしないということだ。
それほど、これらの曲はA管と密接である。
クラリネットをA、B♭2本用意しているのは、#の多い曲になるとクラリネットでは運指が難しくなるという理由もあるが、私にとっては運指より音色である。

こんな経緯で、私はよりクラシックへの傾斜が強くなり、オーケストラでのクラリネットのむ出番に関心を持つようになった。
吹奏楽の持つ透明な音色に感動することもあるが、私の場合は少しずつ演奏技術が高まるにつれ、より少人数のアンサンブルやソロに関心が移った。

吹奏楽団の指導でも、クラシックの名曲を引用して説明することが多いが、意外に名曲を中高生、いや一般でも知らないことに驚く。
私のやり方や意向がベストだと言う気持ちはさらさらないが、盛んな吹奏楽活動の中で他の人たちは何を求めているのか、私にはよくわからないところがある。

私としては、最近、ブラームスの晩年の名曲、クラリネット三重奏曲・イ短調・作品114が素晴らしい人たちと共演できたことは、いつまでも心に残る大切な思い出となった。

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2010年08月22日

音色に対する感性

昨年からDTM(DAW)を始めた。
それで、時々セミナーにも参加するようになった。
このセミナーなんだが、どうもこの世界はロック中心の人が多く、しかもエレキギターが大きな役割を占めているようである。
というのは、音楽制作(作曲)の手順としては、ドラムパターンを作りベースを入れて、時にはストリングスを入れ、次にギターソロをMIDで演奏して入力する。
最後に、ボーカルを入れるというパターンである。

最終的には編集してCD制作をするのだが、全体の過程を通して感じたことは、この世界の人たちの感じる「いい音」というのは、私のようにオーディオで主にクラシックを聴く者と感覚が違うのではないかと思った。

簡単にいえば、このようなロック系の人たちは「電気的な音の範疇を超えないで『いい音でしょう?』『こちらの音の方がいいでしょう?』」との言葉が出てくるが、聴いている私にとしては、アコースティックな音源までもが電気的な音、人工的な音に統一されてしまっていて、普段オーディオで聴くオーケストラや室内楽の音とは隔たりを感じるのである。

つまり、エレキギターが活躍するようなロック系の音楽の人と、アコースティックな楽器の録音を聴く者とは、そもそも「いい音」と感じる感じ方が違うように思うということです。

セミナーはメーカーから派遣された人が来るのだが、例えばY社ではDTM製品もオーディオ製品も扱っている。
そこで、講師に、オーディオ製品の音のことを聞いたら「部門が違うので全然わからない」と言われた。

DTM(DAW)は元来、電気的な、人工的な音だと思っている人もいるかも知れないが、そんなことはない。
アメリカ映画を観ているとバックで聴こえてくるオーケストラが、DTM(DAW)にも関わらず、本物と間違えることもあるぐらいレベルが高い。

これは、私の別のサイトに記述したものだが、音質についてもう少しつきつめて言うと、例えば、クラリネットはA管、B♭管を持ち替えて演奏することは多い。
これは、調性の問題もあるが、音質にこだわる面も大きい。

モーツァルトのクラリネット協奏曲(イ長調)や、同作曲家の五重奏曲(イ長調)をB♭管で演奏するとなると、どうも気分がのらない。

gakki.jpg
ブラームスの五重奏曲(ロ短調)にしてもそうだ。
ブラームスはさらにできれば、エーラー式かウィーンフィルのウィーンアカデミー式がいい。

クラリネットについて例を挙げたが、他の楽器でも同様である。
トランペットはB♭管かC管か、ホルンはFで吹くかB♭で吹くか、チューバもB♭、C、Fなどが使われる。

どれを使うかで音色が違ってくる。
それはバンド全体の音色にも関わる。

このような音色にこだわらないようなレベルの演奏、あるいは目指さないような演奏は感覚が鈍感という感じがして、私としては近寄りがたい。

オーディオも同様で、それらの楽器の音色が表現できないような装置はメインの装置としては落第である。

ギャルドを聴くと、日頃聴いている吹奏楽と音が違うなと感じる人は多いと思う。
それは上手い下手のもんだいではなく、ギャルドではトランペットはC管、トロンボーンもC管というところが全体の音色に変化を与えていると感じる。

吹奏楽は変ロ長調の楽器が多く、変ロ長調の曲またはその近親調が多いせいか、たくさん曲を聴いてもみんな同じような音色に聴こえてしまう。

B♭管楽器は変ロ調以外の曲を演奏しても、B♭管の倍音が出てしまうので、やっぱりB♭という感じを受ける。

だから、作曲家は持ち替えを指示していることも多く、マーラーの楽譜に、突如C管が出てくるのは、マーラー自身がC管の音色を指定したらしい。
その証拠に、マーラーは「ここは断固C管だ」と強調したことがあるという記録が残っているからだ。

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2010年08月17日

ギャルド・レピュブリケーヌ

ギャルドの演奏を聴いたある評論家が「これぞ吹奏楽が芸術となる時」と言った。
ということは、吹奏楽が芸術とみられていないことが多いということか?
ルーアン音楽院の教授でかつてギャルドの主席奏者でもあった、ジャック・ランスロ氏が、かつて日本の吹奏楽コンクールを聴いたとき「もっと音楽的に」と評したのが記憶に残っている。
何か凄いという印象を受ける、日本のアマチュア吹奏楽だが、何か戦い明け暮れていたようにも思える。

それから数十年経った、日本の吹奏楽はどうか?
ランスロ氏の「音楽的に」に近づいているか?

私にはそうは思えない。
何か、音楽とは違ったところで活動しているように感じるのは私だけであろうか?

夏はアマチュアの吹奏楽コンクールが真っ盛りだが、会場の雰囲気が昔と変わったなという印象を受ける。
それは、何か冷めた空気が漂っていることだ。

そんなことはないという人がいるかも知れないが「もっと音楽的に」と言われた頃の方が熱気があったように思う。
その熱気とは、他の団体の演奏に関心を持っていたことである。

昔はホールのロビーでは、他団体の録音もよく売れていた。
出演者も、自分たちの演奏が終わると他の団体の演奏を早く聴きたいという意向が強かった。

しかし、この頃は、ややオーバーに言うと、さっさと自分たちの役目を終えてさっさと帰るという空気を感じる。

学校の練習をたまに見に行くと、何か運動部の訓練のようなところもある。音楽をやっているのはずなのだが、あまり曲名や作曲家も知らない。
体育会系という言葉があるが、吹奏楽も体育会系のような臭いがする。

楽器にチューナーのセンサーをつけて、これって、工場の生産ラインで機械に使われているようなイメージを起こさせる。

ランスロ氏の「もっと音楽的に」を活かす、子どもたちの感性に音楽心の灯をともす指導者がたくさん現れてほしい。



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posted by dolce at 11:26 | Comment(4) | TrackBack(0) | 吹奏楽

2010年08月09日

吹奏楽はカラオケか?

shitunotakaiband.jpg
ここで言う吹奏楽とは、市民バンドの一部の団体に対しての意見である。

市民バンドに参加している目的は何であろうか?
吹奏楽には、プロの団体もあるが、それぞれ一長一短がある。

プロは人気が大切である。
人気がなければスポンサーもなり手がなく、消滅の道をたどる。
だからさすがプロと言われるような、演奏をしなければならない。

しかし、アマチュアバンドにはそういう危機感はない。
だから、どうかすると、演奏の向上に対する熱意の低下が起こりやすい。

人気があろうとなかろうと、自分たちの好きなようにやります。
それで何が悪いんですか?という言い分も成り立ちそうだが、それでも活動には社会的に理解がないとやりにくくなる。

第一、人によっては騒音である。騒音の気兼ねなしに音楽がやれるところと言ったらカラオケが頭に浮かんでくる。

カラオケなら自己満足で、好きなようにやってくれていいと思うが、最近アマチュアの吹奏楽団にやや疑問符がつくようになったのは、聴衆の評価を気にしない団体があるぞと思ったことである。

アマチュアの吹奏楽団であっても、縁故だけで客を集め、狭い自己満足だけの世界を作ることなく、もっと広く一般の人々の批判を受けて、水準の高い活動を目指してほしいと思うのである。

団員だけにチケットのノルマを課して、客を動員するという保険から脱してもらいたいと思うのである。

もっと、自分たちの演奏を多くの人たちに批評してもらって、叩かれて成長するような団体になって欲しいと思うのである。

客は入って欲しいが、宣伝はして欲しくないという妙な活動はいただけない。

このように、批判、批評を恐れる団体は、あまり音楽をやろうという志向は感じられず、どこか音を出すところが欲しくて、ストレス発散だけでやっているように見えるところがある。

これは、まるでカラオケみたいでもある。
吹奏楽用のカラオケ施設のないのが難点である。

最近は、YouTubeという便利なものもあるので、積極的にそういうものも活用して、多くの人から意見を求めるようにして欲しいものである。

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posted by dolce at 22:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | 吹奏楽

2010年08月01日

中高生の吹奏楽指導は生活指導なんだが?

suijonoongaku_zatugaku.jpgある著書には、中学生の吹奏楽レベルは指導者の責任が8割、高校生では5割と書かれていた。

この指導者の責任とは、ズバリ指導力なのだが、指導の中身は音楽的なものだけでなく、生活指導も含まれる。

ところが、生活指導を勘違いしている人がいる。
生活指導とは、お説教することだと思っている人がいることだ。

生活指導の効果は生活が向上しなければ、生活指導になっていない。
お説教が生活指導と思っている人は、そのお説教の成果が出ているか考えてみるとよい。

うるさいから、一応聞いておく、文句言われないように行動するというのは効果ではない。

生活指導の効果とは、内面化し自主的行動に結びつくものでなければ、効果とは言えない。

私はかつて、ある高校を数年間指導したことがあるが、ある日、校長がお礼を言ってくれた。

上手になったと言ってもらえるのかなと思っていたら、開口一番言われたことは「生徒の生活がよくなった」との言葉だった。

しかし、私は生徒たちの生活の仕方について、あれこれ指導した覚えはない。
ひたすら、吹奏楽の指導に専念しただけである。

常に練習開始時間より少し早めに行って、きちんと開始時間を守って練習をした。
終わりは、終了時刻より15分早く終わった。

なぜ、早く終るのかというと、楽器の手入れ、パートの打ち合わせも含めて練習時間と考えているからだ。

練習終了後は、楽器をよく点検し、次の練習開始時に支障がないようにということだけは強調した。

特別変わった練習はしていないと思うし、何かお説教をしたということもない。
だが、外から見ると、生活が向上したと感じられたらしい。

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posted by dolce at 10:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | 吹奏楽

2010年06月07日

ダイナミックレンジを大きく

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吹奏楽は最大音量は、普通のオーケストラを凌駕するレベルまで達することもあるが、ダイナミックレンジとなると、それほどでもない場合が多い。
それは、周知のことでもあるが、最小音量がすでに大きいからである。

似たような状況が上手くないロックバンドで、アンプのボリュームをやたらに上げて、聴衆に訴えかけようとするが、うるさいだけで、耳が痛くなる。
あとに残るのは、苦痛の思い出だけで、よいイメージは残らない。

音響学的な立場でみると、

0dB・・・・・・人の耳で聞こえる最小の音量
30dB・・・・・・ささやき声
60dB・・・・・・通常の会話
90dB・・・・・・電車の通るガード下

とされていて、90dBというのはかなり大きな音である。
また、90dB以上の音を長く聞くことは、健康上よくないと言われる。

先に挙げた、ロックコンサートでは115dBにも達することがあると言う。
こういう音量の中に浸っていたら難聴になるかも知れない。
難聴とまでいかなくても、音量に麻痺してくるだろう。

大きな声で話す人や、ヘッドフォンでずいぶん音量を挙げている人はその疑いがあるかも知れない。

ところで、演奏効果というのは、大音量ではなくダイナミックレンジ、つまりpp〜ffの差なのである。

長時間ffを聞かされていると、音量に麻痺してしまうため、クレッシェンドの効果も薄れる。

演奏している時に、ffまであとどれだけ余裕があるかということが大切である。
そのためにも、ppは聴衆が耳をそばだてるほどの音量が出せるようにしたいものだ。

私語が多くうるさいクラスでは、先生の声が聞き取りにくい、それで先生はいっそう大きな声を出す場合があるが、だったら皆が聞きとってくれるかというと、そんなことはない。

一度話すのを止めると、不思議なことに私語もなくなる。
そんな経験をしたことはないだろうか?

うるさい中では、人は何を話しているのかに注視していない。
音楽の場合もそうだ。
常に騒々しい演奏には人は耳を傾けない。

もっと、音のない部分、ppの部分を大切にしたいものだ。
posted by dolce at 23:59 | Comment(2) | TrackBack(0) | 吹奏楽

2010年05月23日

練習に充実感がないと衰退する

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人が集まるということは、何らかの期待感を持って集まるということだ。

つまり、何らかの充実感を味わいたいと思って集まってくる。
そして、我慢もする。
もっとも、その我慢にも個人差があるが。

特に、コンクールで金賞を目指しているとなると、吹奏楽ではいきおい難曲に挑戦することになる。

楽譜が配られた当初は、新鮮味もあって、頑張ればなんとかと自分に言い聞かせながらも練習に参加するのだが、所詮、手に負えないと感じ始めると、難しいところはごまかすしかなくなってくる。
それは、ごまかし方の練習にも繋がる。

ごまかすということは、一人ではできないので、常に大勢いないと音を出さなくなる。
本当は人がいない時ほど自分の音がよくわかるので、練習になるのだが。

ここで問題なのは、人間なら誰でもごまかし続ける生き方が快適であるはずがない。
ごまかしを続けることは精神衛生上にもよくない。

これは、本来の活動、音楽から離れていくことになり、活動自体にも気持ちが離れていくことになる。
出席が悪くなったり、遅刻したり、辞めたりすることになる。

集団というものは、その中の一人だけに利益が集中すると崩壊の方向に向かうと言われる。
誰か一部の者の価値観で押し切っていくことが、そういうことにもなりかねない。

だから、集団の活動というものは、参加することによりメンバーが充実感を感じる活動をしなければならない。

具体的には、一回の練習ごとに「今日は一応自分なりに演奏できた」という実感をメンバーが持つようにすることが大切である。

それで、私は練習のメニューには、メンバーの誰もが演奏できるような簡単な曲を入れるようにしている。
そして、その簡単な曲を心をこめて、自分の持つ最高の音で演奏するように言う。
posted by dolce at 23:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | 吹奏楽

2010年05月22日

吹奏楽〜音色にも気をつかってほしい

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学校では新入部員も決まり、今年の体制が整いつつあるところだろう。
そして、多くの学校がコンクールに向かって爆進することになる。

部活動の時間は昔より少なくなったとはいえ、学校ではたくさんの練習時間がある。
そのせいか、逆に練習の能率が悪いと感じることがよくある。
そのひとつの原因は

指揮者が前もって曲を勉強していないことにある。

合奏の時間に、指揮者も練習を兼ねているから、効率のよい練習ができない。つまり、指揮者がどのように曲を演奏したいのかはっきりしていない。
だから、時々方針が変わったりする。
指揮者はよく勉強しておいて、合奏の時には迷わないようにすべきである。
また、指揮の振り方が時々変わるのもよくない。

次に、私が非常に気になるのは「音がよくない」ことである。

なぜ、音がよくないか?
それはアマチュアだからではない。
そりゃあ、初心者からすぐに良い音が出ることはないが、それでも正しい奏法をすれば、時々良い音がすることもある。

安定して、管楽器らしい音がするようになるのは6ヶ月ぐらいかとも思うが、これが長いか短いかの感じ方は人によって違うだろうが、少なくとも2年生以上になれば「らしい音」はするはずである。

では、なぜ良い音がしないのか?

それは

1.良い音を出そうという関心がない

昔のことを思うと、今のアマチュアはかなりよい楽器を使っている。プロと変わらない楽器を使っているのも珍しくない。
なのに、良い音がしないのは音色に無関心だからである。
無関心は生徒だけでなく、指導者にも言えることである。
いや、指導者が無関心だから生徒も関心を持たないと言える。
生徒が良い音を出したとき「良い音がするね」と言ってやるだけで違ってくるのだが。

2.急ぐ演奏

大してテンポは速くないのに、急いでいると感じる演奏がある。
それは、テクニックに余裕がないからである。
これは、常に演奏者のテクニックを上回る曲ばかり選んでいることにも原因がある。
テクニックに余裕がないことには「楽譜を読む余裕がない」
ことも含まれる。

簡単な曲、テクニックに余裕を持てる曲をきちんと演奏する習慣をつけることが大切である。

3.美味しいものは味わって食べる

突然、料理の話?と思われるかも知れないが、音楽でも「美味しいところ」という言葉はしばしば出てくる。
つまり、素敵なメロディー、フレーズのことである。
演奏で心惹かれるメロディーはじっくり味わいましょう。

4.音楽は朗読と似ている

音楽の研究発表で「音楽言葉」という用語を使っていた小学校があった。
まさに、音楽は言葉である。
通常、それらをフレーズと言っているが、フレーズは人に語るように演奏しよう。


5.上手な演奏者は必ず楽に演奏している

力が入つていたり、力んで演奏すると、聞き手にも耳障りな音になる。
また、楽に音を出せない奏者は、音を出すことだけが精一杯で、歌うなんてことはできない。
ちなみに、私ごとで恐縮だが、クラリネットを吹いているが、リードは2.5しか使わない。通常2.5〜3.0で十分だと思う。



厚すぎるリードは楽器が共鳴しない、ということを知らない人が多いようだ。
もちろん、厚くないリードでも、薄っぺらい音を出してはいけない。

5.ドラマチックに演奏しよう

一部の例外を除いて、たいていの曲にはドラマがある。
そして、主人公が登場して冒険活劇が始まったりする。冒険活劇の中では主人公が美女を助けたりする。

どんなドラマを想定してもよいから、演劇部に負けないようなドラマチックな演奏を希望したい。
ドラマッチクであることにより、それぞれの部分はどのような音色を出したらよいかおのずとわかってくる。

posted by dolce at 20:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | 吹奏楽

2010年04月24日

吹奏楽の難しさ

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carabinieri.jpg左の吹奏楽のCDはイタリアのカラヴィニエリ吹奏楽団である。
指揮者はドメニコ・ファンティーニで、発足当時は24名のメンバーだったが、その後増員されて102名になったということだ。
ところで、このCDは吹奏楽を鑑賞する上では、数少ないCDのうちである。
だから、吹奏楽ファンのみならず、音楽の好きな人一般にも薦められるものであるが、これを聴いていると吹奏楽は大変だなとも思わせる。

それは、演奏の評価ではなく、オーケストラの編曲ものを演奏するとなると、クラリネットがヴァイオリンパートを奏することが多いので、これほどにも上手い楽団であっても、その大変さが伝わってくるのである。

もっと具体的に言えば、オーケストラの弦楽器は常にビブラートをかけているので、音程にはもともと曖昧さを含んでいる。
だから、少々下手な弦楽器奏者が集まっても、大勢になればそれらしく聞こえると言われるのである。

だが、吹奏楽ではビブラートは例外的である。
だから、真っ直ぐな単音をきちんと合わせなくてはならない。
ユニゾンでは特に大変だ。
さらに、木管の高音域にあってはもっと厳しくなる。

それでも、大勢のメンバーになると、大体の音程があっていれば、なんとか聞き苦しくなくなるものである。

そういう意味では、小編成は不利である。
大勢で演奏するほど、一人一人は下手でも様になって聞こえる。
コンクールでは大編成が有利なわけである。

このことは、大編成の中に紛れ込んでいては、いつまでも上手くならないと言えることにもなる。
上手くなりたい人は、大編成の中に埋もれているだけでなく、一人1パートのアンサンブルやソロにも挑戦した方が上手くなる。


posted by dolce at 17:27 | Comment(7) | TrackBack(0) | 吹奏楽

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