
吹奏楽の透明感は魅力的である。
でも、私はクラリネットを吹いているが、吹奏楽の中に入って演奏する気にはなかなかならない。
人によっては、えらそうなどと言う人がいるかもしれないが、決してそういう意味ではない。
神経を使って音を出しても、ぶっきらぼうな音にかき消され、演奏の意欲をなくすという経験をしばしばしたからだ。
決して上手ではないが、編成の中にクラリネット一本、あるいは純然たるソロの方が好きだ。
理由は、その方が自己責任であるし、私はこう表現したいという意図がよく伝わるからとも言える。
クラリネットは自分だけの場合「クラリネットが下手だ」と言われたら、それは自分に言われているということがよくわかる。
そういう意味では、オーケストラの中に入って演奏するというのは魅力がある。
こういうことはもいい悪いという問題ではなく、性格的なものだと思う。
人によっては、大勢の中で演奏するのがうまい人もいる。
それは、下手でもよいという意味ではない。
集団の一部として溶け合うやり方がうまいということであって、それも大切な人材であると思う。
だから、編成はそういう人の性格も考慮してつくることがいいのだろうと思う。
と、ここまで考えてくると、楽器と人の相性というのもある。
体格的な相性もあるが、性格的な相性もある。
優柔不断な性格の者に打楽器をやらせたら、遅れることが多いだろうし、トランペットに控えめな性格も合わないだろう。
学校では、やがて迎える新学期、部員募集、パート決めで指導者はよく考えてもらいたい。