2008年03月11日

能率のよい練習方法とは?

吹奏楽に限らず、オーケストラでもアンサンブルを作っていくということでは、練習方法は変わらないと思います。

どちらにしても、能率の良い練習方法を常に考えていくことが大切だと思います。

ある指導者は、大変妥協することが嫌いなようで、2時間ぐらいの練習で数小節しか進まないという練習をしていました。

これにはこれで、意図があったようです。
どういう意図かというと、徹底的に妥協しないことで、演奏者は大変慎重に音を出します。
少しでも変な音を出すと、すぐ止められてしまいますから。

でも、これは人間としては非常にストレスがたまります。
コンクール熱が盛んで、練習時間も余裕のある中学生のバンドには通用するかも知れません。

これを全てのバンドでやろうとするには、無理が出てくる場合があります。
だから、中学生の指導には向いていても、高校、大学と大人になるに従って指導者としても不向きな人も出てくるわけです。

練習の能率を上げるために心得ておくことを私なりにまとめてみます。

1.指導者(指揮者)が前もって、しっかり楽曲分析を行っておいて、方針がぐらつかないこと。

2.多少ひどい演奏でも、全体を通して、全員にどんな曲かをつかませること。

3.演奏を止めたとき、再開するときにどこから再開するかがすぐわかるように伝えること。

4.演奏の悪いところを抽象的な言葉で演説するのではなく、悪いところを取り出して演奏して、具体的に善し悪しを指摘すること。

5.練習は曲の前の方ばかりが多くならないように、後ろからも練習をしてみる。

6.休憩をとる時、次はどこから始めるかを予告しておく。

他にもありそうですが、今回はとりあえずこのくらいにして、ご意見のある方はお寄せください。

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2008年03月06日

チューナー病からの脱出

チューナーは便利なものだけど、病気というか信仰のようになっているところもありますね。

音楽をやっているのか?
と思うのも、こんなところからも感じます。

メーターの針に合わせる練習をやっているのか、音楽をやっているのかわからない。

そんなに、いつもいつも管楽器のチューニングをするんですか?
同じ仲間とアンサンブルしているなら、チューニングのポイントは決まってくると思うんですが?

チューニングの音がAでもB♭でも構わないんですが(私は、吹奏楽の場合は、多くはFで合わせる)、1セントの誤差もないように合わせることにどれだけの意味があるのでしょうか?

昨日指導に言ったバンドでは

「調節は、いつもの位置にしておいてください」

と言って、音を出しました。

音は合いません。

そこで、私が

「ター」

と歌って

「みなさんも、私が歌ったように、ターとイメージして音を出してください」

と言って、音を出したら、今度は「まとまって」きました。

あ、これは合う方向にいくなと感じました。

そして

「自分の音だけでなく、周りの音も聞いて、自分の音が解け合うかどうか感じながら出してください」

と言いながら、練習をすすめました。

次第にまとまって、音も合ってくるようになりました。

中には、合わない人もいましたが、アンブシャーがかなり悪かったですね。

チューニングメーターより、まず正しい奏法をチェックする方がいいのではと感じました。

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2008年03月03日

人生の苦労は音楽にもプラス

学校の吹奏楽は音楽だけでなく、生活指導に貢献してきたことも事実である。

集団活動を学ぶだけでなく、演奏のレベルが上がることで、音楽の持つ力が人間の心を育てるという面もある。

ところで、よい指導者はどのようにして現れたかということについて、考えてみようと思う。

音楽の教員を目指す者の中には、将来吹奏楽部の指導をすることを頭に描いて進路を決めた人もいた。
親もそういう子どもの夢をかなえるべく、協力をしてきた人がいる。

それで、音楽の素養をできるだけ身につけるべく、多くの投資をした人もいる。

しかし、そのコースが必ずしもうまくいくとは限らない。
それは、おぼっちゃんコースを歩んだ人だ。

大学に入学してから「クラブ活動をすることは時間の無駄、オレはもっと専門的なことを身につけるため、大先生のレッスンを受ける。
お前ら素人とは関わりたくない」

というようなコースを歩んだ人は、いざ先生になっていっても、思うように指導ができないのは「生徒のモノが悪いからだ」と考えて、愚痴ばかり言っている。

吹奏楽部の指導では、中学校では生活指導が80%だ、高校では50%だと言っていた人がいるが、この感じはよく当たっているような気がする。

中学校へ赴任して良い指導をしている人の多くは、大学でもクラブ活動に所属して、リーダーとして苦労してきた人だ。
その苦労とは人間関係である。

大学では、年齢が近いこともあって、学生が統率をすることはなかなか難しい。
同好会的な気楽なクラブではなく、責任ある活動をしているクラブでは人間関係をうまくやっていくことは大変である。
そういう環境から逃げないで、やり遂げてきた人が学校の先生になって行った時、良い指導をする。

教員になるコースで話をしたが、それ以外のコースでも同じである。
団体のリーダーという立場でなくても、人生の様々な苦労は、必ず自分の音楽を高める力になると思う。

プロの音楽家でも、恵まれない人生を送りながら、自分の音楽がすばらしくなっていった人がいる。

音楽は人生である。

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2008年02月29日

吹奏楽とオーケストラは奏法が違う?

吹奏楽とオーケストラは奏法が違うと言っている人たちがいると聞きました。
もちろん、管楽器の奏法のことです。

何でも、そこの街には吹奏楽団とオーケストラがあり、互いにあまり仲はよくないとか。

結論、奏法は違いません。

ただ、吹奏楽団とオーケストラ双方を覗いてみると、確かに奏法が違うなあと感じることがあります。

本来は、違わないのに環境の違いから奏法までも違ってくるのかも知れません。

その違いとは、吹奏楽の管楽器は力んでいることが多い。
とても力が入っていることが多いです。
クラリネットなんか、厚いリードを使うことが自慢みたいなバンドもあります。
中学校では、厚いリードを使わないと生徒を叱る先生もいるようです。

リードの厚さはほどほどにしておかないと、弊害が多いです。
一人で吹かせると、ほとんど息の音ばかりというのもありますし、力が入っている分、鳴っていると錯覚している場合もあります。
指にもすごく力が入っていますね。

どの楽器でも言えることですが、はじめから力が入っていては音楽ができないと思います。

よく響くということと、力が入っているということは違うし、力んでいると聞く方にとっても、やかましいし、疲れる音で耳が痛くなります。

吹奏楽の場合、P〜PPの段階がすでにmfの段階になっていて、ダイナミックの幅が狭くなっていて、f〜ffが限度を超えて音が壊れている場合がある。

CDなどの録音で聞くと、特にトランペットやトロンボーンはかなり高級な再生装置でないと、音が割れて聞こえます。
そのせいか、バリバリという割れた音が普通と思っている人もいるようです。

最近は、吹奏楽団でもバスーンが入っているところを見かけますが、バスーンの聞こえる吹奏楽団はすばらしいですね。
大抵はバスーンの存在感がありません。

バスーンの聞こえない吹奏楽団はp〜ppがないといってよいのではと思います。

そういう私も、オーケストラを始めた頃、バイオリン協奏曲でソリストがホールで練習しているのを見て、ひらめいて、リードを薄くしたことがあります。

ホールの後ろの方で聞いてもらったら、音が大きくなったと言われました。
リードを薄くしたら音量が増したのです。
さらによいことには、ppにも対応できるようになったことです。
チャイコフスキーのppppppでも大丈夫ですね。

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2008年02月28日

吹奏楽部って音楽やるんじゃないんですか?

中学校でも高等学校でも、吹奏楽部へ指導にに行って

「ここはショスタコービッチの五番の○○のようだ」

などと言っても「はあ?」というような顔をしていることが多い。

「トロンボーン、ここはリムスキー・コルサコフのシェラザードの出だしのように」

「???」

次から次へ名曲を披露しても、狐につままれたような表情をしていることが多い。

音大での友人が
「作曲していると、何かどこかで聞いたようなと思うと、○○という作曲家の□□という曲とそっくりだったりする」
と言っていた。

吹奏楽の作曲家も、作曲したと言っていても、どの作曲家かの影響を受けていることは多い。

だから、演奏者がたくさんの曲を知っていると、演奏を仕上げるのも早い。
「のだめカンタービレ」で、モーツァルトのアナリーゼができていないと主人公が言われて、ショックを受けている場面があった。

演奏する以上は、何かメッセージを送るのだから、アナリーゼされていなければ聞き手には伝わらない。

吹奏楽部不思議なところで、楽器を持って何か演奏をしているのだが、音楽とは隔絶されたところで何か違う活動していると感じることが多い。

吹奏楽部の指導を終えて帰った後、後日、生徒が顧問に
「先生、このCDこの間来た先生が言っていた曲です」
と言って、職員室に持ってきたという話を聞いたこともある。

もっと、生徒たちの音楽をする心を開いてやる指導をする方が好ましいと思うのだが。

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2008年02月25日

もっと音色に関心を

吹奏楽に限らず、オーケストラでもアンサンブルでも、もっと音色に関心を持ってほしいと思うことが多い。

音程、リズム、和音ももちろん大切である。
外国のオーケストラなどは個性ある音色を持っており、それが偶然できたものではなく、自分たちの音というものを大切にしているような気がする。

日本のプロたちは上手だと思うのだが、一番の不満は「○○の音」というものがない。

デリケートな感覚を持っているはずの日本人が、意外に音色にこだわっていないと思うのは私だけだろうか?

「ある音色に」というのは、個人個人が楽器を持ち寄るアマチュアの場合は難しいかも知れない。
それでも、一応「どういう目標の音」というものを持って、それに近づけるようにしてもらうと、魅力的なアンサンブルができるのではないかと思う。

このように書いてきて、ふと、日本の製品に目を向けてみると、どれもこれも性能では優秀な製品が多いのだが、また、どれもこれも同じで個性がないと感じる。

自動車は、かつては外車を自己顕示欲のために選ぶという人もいたようだが、現在はそういう人ばかりではないだろう。

天才ホルン奏者のデニス・ブレインは車が好きだったということだが、それは、ただ場所を移動する道具として好んでいたのではないと思う。

話をアンサンブルに戻すと、例えば、吹奏楽ではどのように音色作りをしたら良いのだろうか?

メーカーをそろえる?

それは、音程も合いやすいのでよく考えることだ。
だが、大阪市音楽団の演奏を見たとき、クラリネットはそれぞれいろいろなメーカーや同じメーカーでもいろいろなモデルが混在していた。

そこで、私は指揮者の木村吉宏さんに
「ずいぶん、いろいろなクラリネットを使ってみえますね」
と言ったら、木村さんはすぐ、私の質問の意図をくみ取って
「そうなんです。いろいろですが、これが混じり合ってまた音色を作るということもあるんですよ」
と言われた。

私は、なるほどそういう考え方もあるのかと思った。

だが、私の経験では、クラリネットではメーカーによっては混在すると、音色が汚くなる場合があるので、気をつけるべきだと思ったことがある。

大阪市音楽団では、そういう混在はなかったことを付け加えておく。
また、どのメーカーとどのメーカーを一緒にするとよくないかということも、そのメーカーの製品に対する悪口ととられると行けないので、ここではひかえておこうと思う。

アマチュアの楽団でも、個性ある音色で人をひきつける音作りを期待したい。
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2008年02月22日

吹奏楽は元気か?

日本は諸外国と比べても吹奏楽活動が盛んな国である。

昔、パリ音楽院のダニエル・デファイエ氏に、私が中学校の吹奏楽部の指導をみてもらったことがある。

氏の言葉は「フランスではこういった形の活動がありません。だんら、学ばなければならないのは、むしろ私たちフランスの方です」とのことだった。

アメリカはまた日本を上回る吹奏楽活動の国である。
私は、まだアメリカの吹奏楽活動を直接見に行ったわけではないが、現地へ行ってきた人の話や、現地で指導している人の話を聞くと、アメリカの吹奏楽活動の盛んさは、日本のそれとはかなり違うようである。

その違いはいくつかあるが、アメリカは小学校から正課の授業として取り入れられているというところは、日本とは大きく違うところである。
アメリカでも日本と同じようにコンクールもあるが、その状況は日本と違って、会場で悲鳴が上がったり、泣いたりという光景はないという。
賞に入らなかったとしても「なに、あれは審査が変なのだ・・・」と言ってさばさばとし、また別のコンクールで評価されればと言ったように、コンクールを絶対視するような意識もないという。
また、コンクールに初見演奏が入っていたり、ブラインド審査があったりで、一つの曲を何ヶ月もかけて完璧さを競ったり、伝統校という先入観を廃するような運営が行われているという。

視察した人の言葉で印象に残っているのは、アメリカの吹奏楽が盛んになったのは、青少年の心の育成に貢献するところが多いからというところだった。

最近、日本の吹奏楽の活動はどうなんだろう?
アマチュアオーケストラのように、市民バンドのリーダーなどは運営に苦労しているのだろうか?

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2007年12月15日

吹奏楽を意義ある活動にするために

吹奏楽で、私が奇妙に思うのは「○○という吹奏楽団(吹奏楽部)はすごいよ、上手だってね」と言っているいる人自身が、その団体の演奏をそれほど聴いていないか、全く聴いていないという場合が多いことである。

その、すばらしいと評している根拠が「吹奏楽コンクールで賞をもらった」ということなのである。

よい賞をもらうことは、それはそれですばらしいことである。
しかし、演奏団体というのは、演奏を人々に聴かせてこそ意味があると思うのである。

だから、演奏団体のすばらしさとは「実際に演奏を聴かせて、人々を感動させること」だと思うのである。

活動がほとんどコンクールだけに片寄っている団体より、一年を通じて人々の前で演奏を多くする団体の方が、私はすばらしいと思う。

そういう演奏の機会が多い団体は、一方的に聴衆に音楽を聴かせるだけでなく、団体の成員が得るものも多いと思う。

具体的には、商店街の活性化のために演奏する。街の行事、例えば体育大会や球技大会、バザーなどの活動に参加して演奏するなどである。

アメリカでは、クリスマスのパーティでは遅くなった女性を、吹奏楽団が演奏行進をしながら、玄関まで送り届けるという。
すばらしいことだと思う。

こういうアメリカの話を聞くと、豊かだと思う。

今日も、音楽の好きな友人と話しをしたのだが、昔は音楽を聴きに行くのが楽しみな喫茶店がいくつかあった。
今では、そういう店がなくなって寂しいことだという話題になった。

そういう店が消えていくということは、豊かさがなくなっていくということではないだろうか?

吹奏楽団の評価も、コンクールの賞の話題だけが飛び交って、演奏そのものを聴いたことがないというのは変ではないか?
話題が、賞がすばらしいという話題だけでなく、実際に聴いた演奏についての話題が多くなってほしいと思う。

ところが、演奏そのものには関心がないとか、音楽はさっぱりわからないなどの話題では、この国は豊かになったとは言えないように思う。

吹奏楽団の評価は、コンクールの賞による評価だけでなく、活動実績も評価してはどうだろう?

学校の吹奏楽部が街へ出て活動することにより、児童生徒たちの社会性を高めるのにも役立つと思う。

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2007年12月07日

吹奏楽熱は冷めたのか?

Yahooの吹奏楽掲示板を見ると、昨年頃から大変低調になった。
かつては、トピックが作れないほどの盛況ぶりだったのに、現在あるトピックは5つだけである。

減った原因の大きなものは、中高生の投稿がほとんどなくなった。
コンクールシーズンでも、投稿が増えるということはなかった。
課題曲について一件ぐらい投稿があったかなという程度だ。

吹奏楽コンクールについては、賛否両論がかつてはあったが、そういう話題も今は見かけない。
いろいろ批判は浴びても、コンクールは日本の吹奏楽を盛んにするのに貢献してきたことは確かだ。

そのコンクールの雰囲気は、もう10年以上は前だろうか、変化してきたように思う。
かつては、会場に行くと審査発表の関心だけでなく、他校、他団体の演奏に関心を持ち、熱心に聴く姿があったが、次第にそういう姿もなくなってきたように思う。
ということは、音楽そのものへの関心が薄れてきたのだろうか?

一年間に力を入れて練習するのが、課題曲と自由曲だけという団体もかなりあるようで、それだけでは音楽の楽しさを知っていくことは難しいだろう。

かなり熱心に活動している学校でも、こと吹奏楽の練習をみると「音楽とは違う世界」と感じることが多いのは私だけだろうか?

それらについては、また詳しく語ってみたいと思う。

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2007年10月19日

音が合っているとよい響きになるか?

こんなタイトルを掲げると、何を言ってるんだという人がいるかも知れない。

吹奏楽の現場へ行くと、特に中高ではチューナーという、楽器をチューニングする機械が普及している。
学校によっては、入部すると、譜面台とチューナーを個人で買うことが義務づけられているところもあると聞く。

すごいなあと思うのは、そのチューナーにピックアップマイクがついていて、それを楽器に取り付けて、演奏中にも自分の音を監視しているという。

私が興味があるのは、そのメーターのどの目盛りを見ているのかということだが、今はそのことは言及しないでおこう。

ところで「よい響き」とはどんな音なのだということだが、よい響きと感じるには個人差もあるかも知れない。
しかし、音がぴったり合っていることが、必ずしもよい結果を生むとは限らないということは言えると思う。

例えば、独奏用アコーディオンは振動体のリードが、1つの音に対して複数振動している。
だから、調律も1つの音に対して、複数行わなければならない。
今、そのアコーディオンで1つの音に対して2枚のリードが振動しているとすると、2枚のリードの音の高さは合っていない。
いや、わざと合わせてないのだ。
だから、単音でも常にアコーディオンの音はうなっている。
そのうなりが心地よいのだ。

これを調律で2つの音を合わせてしまうと「つまらない音」になってしまう。

合奏では、音を合わせるということに熱心な団体は多いが、何人もの人が同時に音を出した場合、それぞれをメーターで測ったように合っている状態がよい響きであるとは限らないと思っていた方がよいと思う。
微妙なズレが魅力ある響きを作る場合もあるのだ。
そう言えば、ソロで聞くとあまり音程がよくないといわれている人で、アンサンブルをやるときはとてもよいといわれる人もいる。

アコーディオンの、リードのチューニングのズレが魅力を作っているという音をこの際聞いてみてほしいと思うのだが、例えば懐かしの名画テーマにあるパリの空の下(パリの空の下セーヌは流れる) を聴いてみたらどうだろう。

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2007年10月06日

良い響きを出すために・吹奏楽

良い響きを出すための基本は、下図のように、ソプラノからバスまでバランスよくまとまっていることである。

ensemblekihon.gif


図の右のパート名はレナード・B・スミスのTREASURY of SCALESによるものである。
オーボエがアルトに入っていたり、3rdクラリネットがテナー、1stアルトサックスがソプラノになっていたりで、おやと思う人もいるかも知れないが、これは全体の響きのバランスを考えて、この練習書では割り当てがしてある。

人数が少ないと悩んでいる吹奏楽団もあるが、まずはソプラノ、アルト、テナー、バスのバランスが悪くないか、弱くないかを検討してみることが必要だと思う。
それぞれのユニゾンが良く合うことも大切である。
この四声部のそれぞれのユニゾンが、きれいにすっきりと聞こえてくれば全体の響きは良くなる。

ソプラノは力みすぎず、アルト、テナー、バスの上に乗って演奏しているという感覚が大切である。

木管五重奏はたった五人の奏者から成る編成だが、ソプラノからバスまでの受け持ちをうまくカバーしているので、豊かな響き、魅力ある響きをだすことができる。

wood5oniki.gif


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2007年09月16日

チューニング

チューニングはなぜA=442なのですか?

吹奏楽の指導に行くと、A=442でチューニングする団体が多いですね。
でも、なぜA=442でチューニングするのてすか?
ヴィブラフォンやグロッケンがおいてあるところでは、Aの音にA=442と書いてあるとか、ピアノがそういう調律になっているとか言われます。
しかし、ヴィブラフォンやグロッケンなどは合奏のチューニングがA=440の前提でそのピッチにしてあるんです。そうしないと、ヴィブラフォンやグロッケンは低く、冴えない音で聞こえますよ。
(ピアノもオーケストラがA=440を前提にしてA=442にします)
また、クラリネットが困るんですよね。

現在、中学校、高校で普及しているクラリネットは、ローピッチで、A=440〜442の設計になっています。
この楽器を使って、A=442のチューニングで演奏されると、つらいものがあります。
つらいというより、問題点がいくつかありますね。
まず、A=442に合わせるために無理をします。どんな無理をするかというと、本来、楽器が最もよく響くピッチより高いので、常に楽器が共鳴しないところで吹くことになります。
無意識のうちに、楽器の共鳴点より常に高く吹こうとしているので、楽器は鳴らないし、全音域で高く吹けるはずもありませんから、音程は悪くなります。

それに、アンブシュア、すなわち口を締める習慣がつきます。常に口を強く強く締める癖がつきます。これは、楽器を鳴らさない努力をしているようなものです。
だから、せっかく高価な楽器を使っても、その楽器本来のよい音は出にくくなるのです。
また、口を強く締めることで鳴らないから厚いリードを選択する方向にいきます。そして、演奏するとき、常にかなりの力が入っている状態になります。

常に体全体がかたくなり、手にも力が入っている状態では、柔軟な表現の音楽は望めません。

とはいうものの、いろいろなアンサンブルとつき合うと、A=442でやっているところはかなりあります。
そういう人たちと演奏するときは、私はハイピッチの楽器を持っていきます。
そう、クラリネット吹きはハイピッチの楽器も持っていないと困るのです。
かつてベルリンフィルの主席奏者、ライスター氏も競演する時は「どの高さのピッチでやってるんだ」と聞きました。それで、ピッチをを回答すると、彼は「じゃあ、そのピッチの楽器を持っていく」と答えました。

中高でハイピッチのクラリネットをそろえるわけにもいかないでしょうから、クラリネットのローピッチに合わせてA=440でチューニングすべきだと思います。

ClaTest.jpgここまで、話してくるとおわかりだと思いますが、生徒たちはたいてい無理してクラリネットを吹いています。たいていは口を締めすぎです。

締めすぎかどうか、チェックする方法があります。
クラリネットを、左の写真のように、タルから上だけにして吹かせてみます。この時、何の音が出るかです。








ClajitsuonF#.jpg
楽譜に示す音、F#より高かったら締めすぎです。だいたい、このF#ぐらいのアンブシュアがよいのです。一度クセがついてしまいますと、なかなか直らないのですが、常に、このF#ぐらいのアンブシュアであれば、ずっと楽器は共鳴するし、無理に厚いリードと戦わなくてもすみます。

ClaTuningF.gifついでに、バンド全体のチューニングをするときは、どの音でやったらいいかということですが、これもAやB♭ではなく、楽譜に示すクラリネットのG(実音F)をすすめます。
理由は、プロならどの音でもよいのですが、アマチュアの場合、AやB♭にすると、まだアンブシュアが安定していないことが多いので、正常な状態で楽器が鳴っていないことが多いからです。
図に示す音が無理なく鳴らしやすいということで、おすすめしたいと思います。

ClaJoint.jpg
また、クラリネットはチューニングの融通がきかない楽器なので、ピッチを下げる時あまり抜いてはいけません。タルのところで、限度2〜3mmです。

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2007年09月11日

吹奏楽指導者にお願い

trb.jpgトロンボーンのポジションをどのように教えていますか?
トロンボーンはB♭管だからといって、トランペットのようにB♭調の楽器として教えていませんか?
トロンボーンの楽譜はinCで書かれています。その記譜音とポジションが一致するように教えるのが正しいのです。
しかし、中学校でB♭調の楽器として音階(ポジション)を教わってくる生徒は、高校へ行って苦労しています。楽譜に鉛筆で階名のふりがなをつけている生徒もいます。

どうして、そう教わってくるのかわかりませんが、困ったものです。
正しくは、下の図が正しいポジションです。
position.jpg


アメリカの吹奏楽指導者は、一応、全部の楽器を習うと言われています。
そこまでしなくても、吹奏楽の指導者は、それぞれの楽器の入門書を見てみるとか、プロの講習会に出るなどしたいものです。
一度、誤ったことを身につけてから、それを白紙に戻すのは大変なことです。

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2007年08月24日

ギャルド・レピュブリケーヌ交響吹奏楽団

garde.jpg
日本は吹奏楽が盛んだが、最近は吹奏楽をやっている人でも、ギャルド・レピュブリケーヌ交響吹奏楽団を知らない人がいるのには驚く。

吹奏楽が嫌いだという人には「音がうるさい」という人がいるが、75人の編成で演奏してもうるさくないのがこの吹奏楽団である。

組織としては、フランス国家憲兵隊の共和国親衛隊に所属している軍楽隊であるが、演奏隊員のほとんどはパリ音楽院の卒業者であり、民間との兼職が認められている。現在、22名が民間交響楽団のメンバーを兼務。49名が私立音楽学校教授を兼務している。

写真のレコードは1961年11月来日したとき、東芝音楽工業株式会社が録音したレコードである。
当時、東芝はほこりのつかないレコードとして、写真で見られる赤いレコードをエバークリーンという名称で発売した。gardrec.jpg

この楽団が海外へ演奏旅行をして、アメリカのボストン市へ立ち寄ったとき、ボストン交響楽団から入団の要請があり、何人かは入団したということで、それからボストン交響楽団の音が変わったと言われた。

吹奏楽団であるが、めったにオリジナル曲を演奏することはなく、オーケストラの作品からの編曲がほとんどである。
私が知っている唯一のオリジナル曲の演奏は、シュミット作曲「ディオニソスの祭り」である。
この曲はこの吹奏楽団のために書かれたものである。
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2007年08月20日

カバレフスキー/「コラブルニョン」序曲(ドナルドハンスバーガー編曲)

koseiwind.jpg
★★★★★
秋山和慶 指揮/東京佼成ウィンドオーケストラ
(株)佼成出版社 音楽出版室 KOR-7903

すばらしい指揮者、演奏団体、編曲による鑑賞に耐える吹奏楽のレコード。

盛んな吹奏楽界にあって、鑑賞に堪えるレコードやCDは少ないと思う。
それが、吹奏楽人口の多さにもかかわらず、今ひとつクラシックフアンの心をとらえられない理由ではないかと思う。

そういう意味では、吹奏楽の録音としては鑑賞に耐える数少ないレコードのひとつだと思う。
ここに紹介しているものは、アナログのレコードであるがCDが発売されているかどうかは定かではない。

しかし、吹奏楽フアンなら是非聴いておくべきレコードであると思う。

吹奏楽も優れた指揮者によると、こうも魅力的な演奏になるのかと思わせる。
指揮者、秋山和慶は小澤征爾と並ぶ日本の代表的な指揮者であり、その明快な指揮と楽曲の解釈には定評がある。
筆者も、オーケストラで秋山氏の指揮で演奏したことがあるが、非常にわかりやすい指揮で、ぐんぐん引きつけられていく。
言葉ではあまり語らず「棒で言いたいことを語る」という感じだ。
吹奏楽人は、一度、こういう指揮者に指揮をしてもらうという機会を得たいものだ。

指揮者の要求に応えている、東京佼成ウィンドオーケストラの実力もなかなかのもの、クライマックスに向かって押し寄せる演奏はとても迫力がある。

カバレフスキーは、組曲「道化師」の方が一般的には有名だが、「コラブルニョン」序曲はカバレフスキーの出世作であり、すばらしい曲でる。
ハンスバーガーの編曲も大変優れている。

最近は音楽のダウンロードが盛んだが、まだこのような曲がダウンロードできるようになるのは先のことだろう。

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ドミトリー・ボリソヴィチ・カバレフスキー(露:Дмитрий Борисович Кабалевский, 英:Dmitri Borisovich Kabalevsky)(1904年12月30日 - 1987年2月14日) は、ソビエト連邦(ロシア)を代表する作曲家の一人であり、ソ連政府公認の作曲家であった。またピアニスト、作家としても活動した。

生涯
1904年12月30日、ロシアのサンクトペテルブルクで、数学者の息子として生まれる。父は息子を数学者にするのが夢であったが、カバレフスキーは音楽を学ぶ決意をし、1925年からモスクワ音楽院でニコライ・ミャスコフスキーに師事。さらに1932年には教授になった。
1940年代、ソビエト連邦共産党に入党。
1987年2月14日、モスクワで死去。
カバレフスキーは、その作品が国に認められ、多くの賞を受賞した。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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