2013年05月08日

楽団の運営

ご存知の人も多いと思うが、日本においてはプロの音楽団体の運営は大変である。
それは、スポーツのように観客を主体とする収入だけでは、諸経費を賄うことができないからである。
ヨーロッパでは、国が多額の補助を出しているので運営できているので、音楽家は日本とはだいぶ違うようである。

プロの運営が大変なことを思うと、アマチュアの場合は、あまり採算を考えなくてよいという利点がある。
それで、純粋に音楽に取り組めるとも言えるが、採算を考えなくてもよいということが、欠点でもあったりする。

プロの場合はお客さんの入りを常に気にしなければならないが、アマチュアの場合は、気にしなくてよいとは言わないが、赤字で困って倒産ということはない。

これは、悪くすると、肝心な演奏がひとりよがりなものになるかも知れない、という欠点を秘めている。
だから、アマチュアも入場を身内だけに頼らず、演奏の魅力で人々をひきつけるように努力してほしいと思うのである。

プロは演奏技術は優れているが、仕事となると、片付け仕事になってしまって感動のない演奏をすることがある。
そこへ行くと、アマチュアの場合は、演奏技術は劣っても、純粋に音楽をする喜びに満ちた演奏が魅力である。

だから、アマチュアの演奏が好きだという人たちもいる。

アマチュア団体は、倒産の危機を考えなくてよいという甘えに陥ることなく、厳しく演奏の質を高めるように運営していただきたいと思う。

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2010年08月25日

自称指揮者

sikisya_sigoto.jpg自称指揮者というのはアマチュアにしかいない。
プロは指揮者という名称自体が職業だから、腕のいい悪いを問わず指揮者である。

アマチュアの場合、指揮をしていると言っても、それが指揮になっているか、という問題があるし、メンバーからしたら指揮者という認識があるかという問題もある。

人は往々にして、肩書きがつくと中身までそうなったと錯覚する場合がある。
これは、中身が充実した人にはない錯覚である。

例えば、もうプロ野球も終盤になってきたが、最終的に日本一のチームが決まると、最高殊勲選手も決まる。
過去にさかのぼってみると、最高殊勲選手に選ばれた人は、ファンも認めるところなのだが、本人は「私が選ばれるとは、実感がありません」とか「みなさんのおかげで」とかいう謙虚な言葉が聞かれた。

ここにも「実れば実るほど頭を垂れる稲穂かな」の言葉が生きているような気がする。

こうみてくると、アマチュア指揮者も同様に思える。
誰か指揮をしなければならないので、本当はプロを頼むのがいいのだが、そんな予算もないとなると、メンバーの中から誰かということで、誰かが指揮者に選出される。
だが、選出されたとたん、本物の指揮者になれるわけではない。

フィラディルフィア管弦楽団の常任だった故、ユージンオーマンディはヴァイオリン奏者だったが、指揮者の急病の折、急遽代役を務めたことがきっかけとなり、指揮者になった。
これは、間違いなく指揮者と言ってよい。

sikisya.jpg
アマチュアの場合、指揮者に選出されたら、それは指揮係という認識でいた方がよい。
自分で指揮者というのではなく、つまり自称指揮者ではなく、アマチュアの場合はメンバーから「これは指揮者だ」という認識をもらって初めて指揮者となれると思った方がよい。

いや、メンバーだけでなく、演奏会を行った時、聴衆から指揮者との認識をもらってこそ指揮者なのだろうと思う。

演奏会では、よくアンケート用紙が配られるが、指揮者について問う項目を見たことがない。
もし、あなたがアマチュアの指揮をしていて、名実ともに指揮者として認めてもらいたいと思うなら、アンケートに指揮者について記入してもらう項目を設けたらどうだろう?

そして、痛い批判にも耐えて勉強し、聴衆からもよい評価がもらえるように努力するというのはどうか?

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posted by dolce at 17:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | プロとアマチュア

2009年10月05日

プロかアマチュアか

orufeuse.jpg
音楽が好きなら、音楽を仕事として生活できたら楽しいだろうなと考える人はいると思う。

土曜日、小林研一郎氏の指揮で、ベートーウ゛ェンの運命を聴き、感銘を受けたのだが、オーケストラもやや親近感を持つ、名古屋フィルだった。

昔、入団したS氏、何年か前に入団したT氏はいるかなと思って探したら、顔が見えた。
心なしか、顔つきは疲れ顔に見えた。

今年も、はや10月になって年末が近づいてきた。
かつて、S氏とたまたま12月に会った時「今月は第九を、もう11回演奏した」と言っていた。

いくら音楽が好きだとと言っても、連日、第九の演奏という環境になったらどうなんだろうと思う。

例がよくないかも知れないが、いくら好きなカレーライスも一週間、10日と続いたら嫌になる人もいるだろう。

「今日はカレーが食べられる」

という感動もなくなるかも知れない。

帰宅してから、オーケストラのサイトへ感想を書こうかと思ったら、そのようなページはない。
大阪市音楽団はメールが送れるようになっていたので、送ったことがあるが、丁寧な返信がきた。

いちいち、来るメールを管理するのは大変だろうから、メールの受付がないのも仕方がないことだろうと思いながら、ホームページを見ていたら、トランペットとホルンに各1名募集があった。

関心を持ったのは、待遇だ。

* 給与(諸手当含む)
o 22歳  188,800円
o 35歳  284,000円
* 社会保険、通勤、家族、住宅、消耗品等の手当及び退職金制度あり。
* 賞与  4.5ヶ月

これはどうだろう。

国内のオーケストラとしては、悪くない方だそうだ。

諸手当含んでだから、ちょっと厳しいかなと思った。

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posted by dolce at 00:38 | Comment(1) | TrackBack(0) | プロとアマチュア

2009年07月02日

プロで通用する人とは

私の母校の中学校出身者で、プロ野球入りした人がいた。

その人を、A氏と呼ぶことにすると、A氏は始めから野球部ではなかったという。
別の部にいたA氏を野球部の監督が、スカウトしたということである。

野球部に入ったA氏は、それまで誰も飛ばしたことのない打球で皆を驚かしたらしい。
とんでもない飛距離で、ガラスをよく割ったという。

やがて、A氏は高校へ行って野球をすることになるが、ここでもびっくりする飛距離の打球で、近所の家に迷惑をかけたために、学校はグラウンドにネットを張り巡らしたという。

このように、プロ入りする人というのは、子どもの頃から「この子は違うぞ」と感じるものがある。
これは、音楽の世界も例外ではないと思う。

今日、NHKのトーク番組にゲストとして、東大大学院教授の姜 尚中(かん さんじゅん)さんが出演していたが、姜さんはプロ野球の選手になりたかったそうである。

「大学の先生にならなかったら、何になっていましたか?」の質問に対し「プロ野球の解説者になっていたんじゃないかと思います」と答えてみえたが、それほど野球が好きだったということなのだ。

だが、好きだけではなれないということはあるわけで、その見限りも大切なことだ。

ところで、話題になった辻井伸行さんのように、権威あるコンクールに優勝したような人は、プロ入りのお墨付きをもらったようなものであるが、それはプロとしてのスタート地点なわけである。

やはり、プロ野球選手でも指名を受けてプロ入りしたら、そこがスタート地点なのである。
たぐいまれな素質を持って、スタート地点に立って、期待通りに誰もが活躍するとは限らない。

音楽の世界はどうだろう。
やはり、同じようなことが言えるのではないだろうか?

プロスポーツ選手と違うのは、もっぱら精神的成長なのだろう。
プロとして、弾けるというのは当たり前のことだが、問題は作り上げる音楽がどのくらい人気を呼ぶかということである。

しかし、音楽の難しいのは、人気があるということが、芸術的に価値が高いとは必ずしも言えないことにある。

プロ音楽家として生計を立てようとすると、演奏そのものは価値が高いのだが、収入はそれほどということもあり得る。
そうした時に、誰が生活を支えてくれるかということが問題だ。

歴史に残る音楽家でも、経済的に苦労した人は多いようである。
経済的に心配がなかった音楽家と言えば、メンデルスゾーンが頭に浮かぶが、あのベートーヴェンでさえ、スポンサーがいたからよかったと思うし、チャイコフスキーはフォン・メック婦人というスポンサーがいた。

ストラヴィンスキーは春の祭典の不評ですっかり、音楽界から沈んでしまったような時期があったようだ。
その時、あるブランドメーカー(名前は忘れた)が援助したという。

大音楽家も、評判には影響を受けるものであり、ビゼーはカルメンの初演の不評(不道徳だという批判だったらしい)で、すっかり落ち込んで38歳で亡くなってしまったらしい。

リヒャルト・シュトラウスは彼の作曲「英雄の生涯」にて、無責任な批評をする評論家たちを皮肉っている。

nobu_cantabile.jpg

辻井伸行さんもプロとして、これから進むとき音楽家としての批評にさらされるわけであり、演奏家の場合は、作品の解釈が問題になるわけである。
彼が人気を気にして進むのか、自分の音楽に驀進するのかこれから楽しみでもある。

ピアノ演奏家ではグレン・グールドという変わり者がいるが、彼は専ら自分の音楽に驀進した方だろう。

カラヤンの場合、かなり商業的なベースを気にした人と言えるのではないか。
そのためか、評論家の中には芸術ではないという人もいる。

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posted by dolce at 00:28 | Comment(0) | TrackBack(0) | プロとアマチュア

2009年03月08日

プロかアマチュアか

音楽を共にするには、プロとアマチュアの立場がある。
それぞれの立場には一長一短がある。

プロで収入を得て生活するのは、クラシックにおいては、楽とは言えないようだ。
いや、楽と言えるのは一部の人と言えよう。

音楽が好きだからプロになりたいと思う人もいる。
しかし、プロになってみたものの、生活の苦しさだけでなく、プロ特有の生活から次第に感動をなくしていく人もいる。
音楽に携わっていて、感動がなくなったら、それはただの消化するだけの仕事になってしまう。

音楽に限らず、好きなことを職業にすると、仕事に追われ感動がなくなるという経験を聞かされるひとがある。
だから、自分の好きなことを職業にするなという人もいる。

音楽で暮らしていくことは大変だ。
あるいは、環境が許さないということで、音楽の道を断念した人もいる。

スイスロマンド管弦楽団を創立した、エルネスト・アンセルメは父親が数学者であったことから、自分も数学の道を歩むが途中でどうしても音楽への情熱が忘れられず指揮者へ転向した人であるが、アンセルメ/スイスロマンド
の栄光はロンドン・デッカの録音で華々しいものであったが、創立からの歴史を調べてみると、経済的には苦難の時代があったことがわかる。

プロかアマチュアかということを考えると、私が頭に浮かんでくる人としてディーリアスという作曲家がいる。
彼は父親の後を継いでオリーブ園の経営をするが、音楽への情熱が忘れられず作曲家になった人だ。
この人の管弦楽曲を聴くと、心が安らぐ。

私が時々ディーリアスを思い出すという生活を続けていたある時、某作曲家の先生からいただいたたくさんの録音テープの中から印象に残ったものがあった。
これまで、聴いていた音楽とかなり違う傾向に惹きつけられた。

それは、チャールズ・アイヴズという作曲家である。

興味を持って、この人物を調べてみると、この人は始めプロの音楽家を目指したが、途中で断念し保険会社を設立し、その後作曲にいそしんだという経歴を持つ。

aivuzu.jpg彼の音楽が認められるにはかなりの年月が必要であったが、フィラディルフィア管弦楽団の指揮者、オーマンディはよき理解者であり、同オーケストラでの録音がある。

交響曲「アメリカの祭日」アイヴズの代表作であり、最近CDを見つけて聴いてみた。

この曲を聴くと、いろいろなアメリカが登場し、何回も聴きたくなるという不思議な魅力を持っている(他の方はどういう感想を持つのか聞いてみたいが)。
オークションでアイヴズを探し、今では数枚のレコードを持っている。

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posted by dolce at 23:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | プロとアマチュア

2008年02月22日

なぜ出席が悪くなるのか?

出席の問題はアマチュアの場合である。

アマチュアのバンド、オーケストラの一番の問題は、メンバーの出席である。
運営の責任者としては、出席してくれるかどうかという不安は常につきまとう。

それだけに、信頼関係を築くことは大切なことである。

メンバーの出席が次第に悪くなる場合、その原因は何だろうか?
出席しない者が悪いという理由だけでは、この問題は解決しない。

出席が悪くなる原因を一言で言えば、それはその団体に魅力がないからである。
こんなことを言われると、リーダーは不愉快かも知れない。
しかし、不愉快に思い、責任を出席の悪い者のせいにしている限り、出席の悪化は続く。

私は、リーダー側、メンバー側のどちらかが一方的に悪いとは言わない。
しかし、出席の悪化の原因の多くはリーダー側の反省のなさにあることが多い。

リーダーの一方的な価値観のおしつけや出席を改善するための、罰則の強化などはますます状況を悪化する。

出席が悪くなる原因は、魅力がないと言ったが、魅力とは一体何であろうか?

人は、何か新しいことに挑戦しようとして、仲間に入りたいと思うときは、何らかの期待を持っているものである。
その期待がはずれたとき、欠席は多くなる。
つまり、魅力がなくなったのである。

音楽の団体ならば、その魅力は音楽をする喜びでなければ次第に衰退する。
はじめは、特に音楽に対する関心がない者にとっても、活動を続けるうちに、音楽をする喜び目覚めるということがある。
というより、音楽の団体はそうでなければならない。

まともに、音楽活動が行われているならば、音楽が人をひきつける力を持っている。

音楽活動の水準が高いということは、人間関係もよく、団体が暖かい気持ちに包まれているものである。

だから、私は、かつて「授業に出て来ない生徒でも、部活動には出てきた生徒がいた」と言った。

そういうと、それは好きなことだけに参加するわがままな性格だからだという人がいるかも知れないが、そんなことを言っているうちは一向に良い方向に向かわないと思う。
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posted by dolce at 23:47 | Comment(3) | TrackBack(0) | プロとアマチュア

2008年02月19日

アマチュアオーケストラと特殊法人

一体、どういう関係と思う人がいるかも知れないが、この両者には共通点がある。

それはともに、営業努力をしないということだ。
経営の採算を気にしなくてもよいということには、長所も短所もある。

最近は採算を全く考えない、天下りの人たちが作った特殊法人による会社が問題になるが、経営という何でも採算を考えねばならないというものでもない。

例えば、NHKの教育テレビは視聴率が大変低い。
にもかかわらず、番組制作には多大なお金がかかっている。
しかし、たとえ視聴率が1%以下であっても、その視聴者の中から優れた人材が育つなら、それは社会のための有効な投資と考えられる。

採算を気にしないで仕事に打ち込める環境も必要である。
だが、これが悪い方に出ると、人間の堕落を招くことになる。

日本のプロオーケストラの大半は、経営が大変である。
だから、いつも危機感を感じている。
スポンサーがなくなったら、客が入らなかったらという不安をかかえている。
こういう危機感や不安が経営を保っているとも言える。
よくないのは、かなりの演奏回数をこなさないと、経営が成り立たないと言う面もあって、感動のない消化コンサートになってしまう場合もあることだ。

一方、アマチュアオーケストラの場合は、生活がかかっているわけではないので、音楽をする喜び、感動を維持できるという面がある。
しかし、生活がかかっていないということは、無責任になりやすいという面も持っている。
そんなやり方していたら、企業だったらとうに潰れてしまうよということを平気でやっている場合もある。

プロの指揮者の場合、よくない指揮者は淘汰されてしまうが、アマチュアの場合はなかなか淘汰されることは少なく、指揮者とは言えないリーダーが自己陶酔でみんなに迷惑をかけている場合もある。

ということで、オーケストラというものは、プロ、アマそれぞれ一長一短を持っているので、互いに長所を取り入れた運営になるようにしなければならない。
そうしなければ、発展性がない。



アマチュアオーケストラの関係者は、プロの悪いところとアマチュアの悪いところを足したようなオーケストラを作らないように願いたい。

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posted by dolce at 23:19 | Comment(2) | TrackBack(0) | プロとアマチュア

2007年09月23日

金と時間

職業音楽家としてのプロとアマチュア音楽家では、一長一短がある。
プロの音楽家の場合、音楽活動が生活の糧であり、このことは音楽が生活に左右されるということである。

演奏活動によってどれほどの収入があるかということが、それで生活ができるのかという問題に直結する。
実際、音楽活動のみで豊かな生活ができているプロというのはごく少数で、多くのプロは生活が苦しいと言っている。

このことは、将来、プロ音楽家を目指そうとしている若い人たちもよく考えておく必要がある。
オーケストラに入団しようとしても、募集人員自体が少なく、また募集の機会も多くない。音大を卒業して、何年も就職浪人をしている人もいる。

アマチュアの場合は、生活のための収入は仕事が別なので、音楽活動そのものが生活に関わると言うことはないが、練習時間や発表の機会が思うようにならないという面がある。しかし、プロが生活のためについ、音楽に対する感動を失いがちなこともあるのに対し、アマチュアの場合は音楽をすることの喜びが強い。
だから、アマチュアの音楽が好きだという人もいる。技術的には劣っても、時々、感動する響きに出会うというのだ。

ここまで話してくると、音楽をするのには環境というものが大きく関わってくるということに気づく。
このことを詰めていくと「金と時間」なのである。
金がなければ生活ができないので、音楽もできない。
金があっても、時間がなければ音楽はできない。

親のスネをかじっているうちは、金も時間も問題がない。
つまり、学生時代は音楽をやる環境としては最も恵まれた環境なのである。
だから、音楽が好きな人は、学生時代にはその恵まれた環境を生かし、毎日を大切に過ごすべきである。

そして、プロに進むかアマチュアとして活動するかは、自分の経済的環境をよく考えて決定することが大切である。

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posted by dolce at 00:19 | Comment(0) | TrackBack(1) | プロとアマチュア

2007年09月20日

プロとアマチュアの違い

よく論議されたことではあるが、今一度考えてみたい。

プロという言葉には2種類の意味があると思う。

(1)それを職業にしている
(2)卓越している

プロという言葉が語られるとき、この2つの意味のどちらか一方であったり、入り交じって語られるときがある。

ある人に「プロとはどういう人のことですか」と聞いたら、
「それは2回同じ注意をされない人のことです」という言葉が返ってきた。
この言葉は印象深い。

確かに、オーケストラの練習では、プロの場合、本番まで2,3回ぐらいが多いと思う。この練習で指揮者は自分の考えを、楽員に伝えていく。
2度目の練習の時、前回伝えたことが忘れられていたら、指揮者は不機嫌になるだろう。奏者を代えてほしいというかも知れない。他のメンバーからも非難をあびるかもしれない。
だから、プロは必ず指揮者の要求を楽譜に鉛筆で書く。

プロは卓越していると言っても、何が卓越しているのだろう?
それは演奏技術を指すだけではない。演奏解釈というものを自身で持っている。
だから、プロという場合、それを職業としていなくても、演奏技術が卓越していて、自分なりの演奏解釈を持っている人には「あの人はプロだ」という場合がある。

プロが「職業にしている」という意味で使われる場合は、それで生活を保っているのであるから、演奏や指導に対しては対価が必要である。
だから、プロの人を頼む場合は、絶対に対価(ギャラ)を用意しなければならない。

職業にしているという意味のプロは当然、卓越したものも持ち合わせている。
卓越しているということは、練習の内容がアマチュアとは違ってくる。

アマチュアの場合は、技術も卓越していない、演奏解釈も持っていないから、練習では技術の指導と、音楽作りの指導が必要である。
だから、アマチュアの場合、練習に参加する意識が「教わろう」となっている場合が多い。
しかし、いつまでも「教わろう」という姿勢で、自発性も高まってこないと、なかなか「音楽」と感じる演奏にはなり得ない。
このことは、逆の言い方をすれば、自発性のあるアマチュアは時にプロを凌駕する演奏をすることもある。

ある外国人のピアノ先生は「日本の子どもは、よく指が動いて、よく弾くんですが、自分の考えを持たないので、ただ弾くだけになっています」と言っていた。
これは、音楽をするのには、音楽のことだけでなく「自分自身の考えを持つ」ことの大切さを示唆している。

だが、国民性なのか何なのか「みんなと同じ」というのが安心感なのか、自分独自の考えを持つと「出る釘は打たれる」と言われるように、それこそいじめに遭ってしまうのか、育ちにくい空気のようなものを感じてしまう。

女子高生の流行が一斉にルーズソックスになったり、ミニスカートになったりするのもそう言う意味では寂しい感じがする。

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posted by dolce at 23:19 | Comment(0) | TrackBack(0) | プロとアマチュア

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