2014年10月29日

続きは移転しました

ご愛読ありがとうございます。
本ブログは、続きを下記に移転しましたので、引き続きご愛読をお願いします。

http://newman.jp/

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2012年07月13日

月に1、2回のコンサート

この音楽ブログの記述が停滞していました。

コメントくださった皆さま、ありがとうございます。

近況報告をします。

このところ、1年以上は月に1、2回のコンサートをやっています。

聴きに行くのではなくて、自分が演奏するコンサートです。

ほとんどがソロです。

ソロは誰に頼る事も出来ませんが、それだけ自分の独壇場とも言えます。

元来、言うだけで実行が伴わない人間は好きではないので、自己責任でやるというのは好きな方です。

あまり、毎回、同じ曲をやっているのも脳がないと思うし、レパートリーを広げる意味でもなるべく新曲に挑戦しています。

大勢の団体に混じって演奏するのも、いいですが、それだけだと、自立が難しくなってしまうと思います。

別に自立しなくてもいいとの考えの人もいるかも知れません。

それはそれで、個人の生き方ですからとやかくいうことはありませんが、いつも誰か大勢の人と同じ中でというのは、自分の音を磨くには不向きと思います。

楽器の音域全体にわたって、むらなく響かせること、苦手な指使いを作らないなどの意味でも、なるべくソロ演奏に挑戦することを薦めます。

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posted by dolce at 09:34 | Comment(4) | TrackBack(0) | 日記

2011年12月06日

音楽の聴き方

私は音楽のジャンルについて、特にこだわりない。

不器用だが、長年音楽に携わってきたせいか、音楽を聴く度にメッセージが伝わってくるような感じが強くなってきた。

ショスタコーヴィチが当時、当局から体制に合っていないと言われ、苦しみながら作曲活動をしていたと言われる気持ちもわかるような気がする。

最も演奏回数が多いだろうと思われる、交響曲第5番とその他の交響曲とはずいぶん違う。

体制に合うとか合わないとか言っても、そのような話題で話ができる人が少ないのは寂しいところである。

話はガラっと変わるが、私がパソコンを始めた頃はWindowsはなかった。
それどころか、その前のDOSもなかった頃だ。

その時代は、プログラムから自分で作らないと、パソコンは使い物にならなかった。
(そりころは、パソコンとは言わないで、マイコンと言っていた)

だから、パソコンを使っている者の間では、いつもプログラムの話だった。
本当に毎日のようであった。

しかし、いつしか、プログラミングの話をする人にはめったに会わなくなった。

プログラミングをやると、パソコンのことがよくわかってくる。

同様に、音楽も聴くだけで、ああだこうだ言っているより、何か楽器をやってみる。
アンサンブルをやってみると、音楽の聴こえ方も違ってくると思う。

自分が演奏をするようになると、いやがおうにも、楽譜は読むことになる。
そういう経験を積み重ねると、楽譜を見ただけで音が浮かんでくるようになる。

そういう状況になって、オーディオ装置で音楽を鑑賞してみると、また違う世界が広がるのではないかと思う。

こういうことを言うのも、深い鑑賞ができるのではないかと思うからである。

オーディオ一辺倒の人も、何か楽器をやってみてほしいと思う。

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2011年10月07日

自前でPAを持つことにした

時々演奏依頼があり、伴奏者やメンバーの都合がつかない時はシーケンサー(SONAR)を使った打ち込みを用意する。

combo_Pro_zenkei.jpg


会場にPAのプロがいる時はいいが、そうでない時はどういう音響になるか不安がつきまとう。
それで、月1回程度のペースで行う演奏に対処するために、PAは自分で持ち込もうと考えた。

combo_pro_a.jpg私はクラリネットだが、楽器だけ持っていけばよい時は本当に楽だ。
そういう時はなるべく電車で行く。
しかし、楽器以外の機材を持ち込むとなると、車を使わざるを得ない。
それでも、荷物はなるべく少なく軽量にしたいものだ。

PAを持ち込むとなると、どうしても荷物は大がかりになりやすい。
そこで検討したのが、VICOUNT社のCombo-Proだ。

combo_Pro_c.jpgこれは、少し前までCombo-55という製品名だった。
Proと名が変わっても、少しデザインが変わったぐらいで性能の変化はないらしい。

このPAがいいと思ったのは、スピーカー、アンプ、ミキサーが写真のように一体となり、持ち運びに便利になっている。

音量は、以前、ヤマハの合歓の郷で野外ステージでデモをやっていたのを見ているので、かなり大きな会場でも大丈夫と思う。



早速、今月の演奏で試してみたいと思う。

・出力120w+120w
・許容入力=145w
・エフェクト=18ビットステレオ
・プリセット=16
Mic/Lineインプット4チャンネルステレオリンク
・ステレオイン1
・ギターイン1
・テープイン/アウト1
・3バンドのピュアーサウンドマスターイコライザー

サイズ 62.5(w) x 29(d) x 36.5(h) cm
重量 22.5 kg

combo_pro_caring.jpg


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2011年10月07日

悲愴、好きですか?

「悲愴」って、チャイコフスキーの交響曲第6番 作品74の「悲愴」のことです。
私がこの曲を最初に聴いたのは、中学生の時です。

多くの交響曲がそうであるように、この曲も第1楽章が最も長いです。
それだけ重みがあるようにも感じていました。

そして、この曲を思い浮かべる時、いつも第1楽章のことを考えることが多かったのですが、歳とともにその傾向が変わってきました。

次第に第4楽章が好きになり、ここを聴くと胸がしめつけられるような時があります。

この6番の交響曲はチャイコフスキーの最後の交響曲ですが、彼はこの交響曲を書いた時、自分の人生がもう残り少ないと感じていたのではないでしょうか。

hiso.jpg記録によると、この曲の初演の9日後に彼は亡くなっています。

4楽章は次第に消えゆくように音楽が終ります。
ため息のように弦楽の演奏が続き、最後はコントラバスのピチカートで終ります。

この最後のピチカートを聴くまで、聴衆はしばらく息をこらしているのだと思います。

こういう曲の終り方は、当時としても異例で、聴衆は当惑したとありますが、チャイコフスキーのこの曲に対する自信は確固だったようです。

人は晩年には、自分の人生を回想するものなのでしょうか。

チャイコフスキーは何を考えていたのでしょうか?

いまだに名演の誉れ高い、ムラヴィンスキー/レニングラード管弦楽団を、今、聴いています。

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2011年06月17日

音楽の聴き方

gakufu.jpg


中学生のころは吹奏楽部にいて、マーチをよく演奏した。
そのせいで、マーチには関心が強かった。

しかし、いつしかドキッとする音楽が聴こえてきた。
それが、シューベルトの未完成交響曲だった。
これが、私のクラシック入門と言えるのかもしれない。

音楽をたくさん聴きたいがために、ラジオを作った。
レコードは買えないから、音源はもっぱら放送だった。

作ったのはほとんどが真空管回路だったから、真空管の音にはずいぶん親しんできた。
真空管の音が聴きたいわけではなく、選択肢が真空管しかなかったたという事情である。

この辺が、現在のちょっとした真空管ブームとは違う。
私が関心があるのは、真空管の音ではなく音楽そのものである。

だから、真空管のアンプはいい音がしますよと言われても、それはちょっと違うのである。
昔は出力管と言えば、古くは6Z-P1とか5Z3で、これらはST菅である。
MT菅になって、6AR5とか6BM8が出てきた。
その上を行く高級路線としては6BQ5になった。

6BQ5のPP(プッシュプル)を初めて聴いたときは驚いた。
迫力とレンジの広さである。
出力トランスは山水であった。

これは、当時としては高級路線だった。

その後、トランジスタアンプが進化し、真空管のパワーを軽く上回るようになると、すっかり事情は変わった。
一番の驚きはパワーより、低域も高域もストレスなく伸びきった音だ。

真空管アンプに戻って聴いてみると、あれほど凄いと思っていたアンプも低音や高音は寸詰まりに聴こえる。

私はアンプを聴きたいのではなく、音楽を聴きたいのだ。

特に音楽も仕事の一部として、楽譜をよく読むようになると、スコアを想像するクセがつき、パートの動きがよくわかる装置、別の言い方をすればスコアが読めるような装置がいいということである。

こういう事情で、私はいわゆるオーディオマニアの仲間ではないと思うのだが。

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2011年03月01日

桜の季節ですね

そろそろ桜の季節です。
自宅の裏、100mぐらいのところには、菅生川(菅生川)という川が流れていて、向こう岸には、徳川家康ゆかりの岡崎城があります。

この川のあたりは、桜の名所でもありシーズンには観光客がたくさん来ます。
そのため、私は自宅の駐車場へなかなか入れないこともあります。

昨年は、久しぶりにビデオカメラを買い替えたので、その撮影の練習で撮ったものを一部紹介します。
BGMは録音がカセットテープだったので、音がよくありません。



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2011年01月23日

N響が冴えないのは

nihonjin_bunka.jpg
N響が冴えないのは、どうもN響だけの問題ではないようである。

定期会員というのがあって、その会員のコンサートでの態度がよくないらしい。
態度がよくないというと、会場を子どもが走り回るようなイメージを描く人がいるかも知れない。

定期会員は、年配が多く、そういう意味では音楽通が多いと考えてよいと思うが、演奏中の雑音、例えば老眼鏡を持った人が多いのか、演奏が始まると眼鏡ケースをパチパチと開ける音がそこら中でしたり、何か持ち物をガサガサと探る音がするとか、要するに音楽に無頓着といった態度が目立つというわけだ。

こういうのは、演奏者にとっては気持ちがめげると思う。
想像するに、私も気分悪くなる。
コンサートでは、どういうわけかこういう鈍感な客がいる。
ひどいのになると、ペットボトルを持ち込んでお茶を飲み始める者がいたりする。

演奏が終わるや否やブラボーを叫ぶ者もたまにいて、こういうのも頭にくる。
録音エンジニアにとっても迷惑だろうなと思う。
拍手も同じ、完全に音が消えて指揮者が客席を向いたときにした方がよい。

テレビ中継やライブの録画では、あまり客席の様子はわからないが、態度の悪い客席を目の前にしては、演奏も気持ちが入らないだろう。

東京という日本の中心でもそんな具合ということは、日本人の文化程度が知れるという気がする。
まあ、この国は芸術家が生活しにくいということでも、政治姿勢もあまり文化に力を入れているとは言えないので、国民がそうであってもしかたがないということだろうか。

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posted by dolce at 20:36 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2011年01月15日

名演は過去のものか

mekyoku_meien.jpg音楽鑑賞を趣味とする人の中には、過去の録音を大切にし、繰り返し聴いている人がいます。
古くはSP時代の録音からあって、有名なものはCD化されていますが、デジタルに変換されたもので聴くのに抵抗を持つ人もいます。

そういう人の中には、一切電気的な増幅装置のない、ゼンマイが動力の大きな朝顔型のラッパのついた再生装置や、ホーンを内蔵した箱型のやはり電気を使わない装置で聴いている人もいます。

そして、それらで聴く名演とされた録音があるので、今日ではそれに匹敵するような演奏がないと言って、新しい録音やコンサート不要論を唱える人もいます。

しかし、趣味としては自分の主義を貫くことは一向にかまわないと思いますが、現代、あるいはこれから名演は出ないと言って、閉じこもってしまうような行き方に私は同調できません。

というのは、演奏というものはその時代を反映するものであり、演奏環境は刻々と変化し、人生というものは、絶対に同じことを繰り返すことはできず、絶えず新しい時間に突入しているわけで、昔の名演が残っているかといって、それらを今の演奏家たちと単純に比較することはできないと思うからです。

昔と比べると、現代は演奏家にとって集中しにくい時代だと言えます。
昔の音楽家の多くは、スポンサーによって生活が支えられており、そのもとで活動していたわけで、音楽が次第に商業主義に飲み込まれることによって、職業音楽家が多くなり、今日、世界的に名を馳せている人たちは、まず職業音楽家です。

スポーツの世界でもそうですが、生活の基盤が商業主義に飲み込まれると、生活のためだけにするコンサートやレコーディング会社、音楽事務所などの言うとおりに、たとえ気が進まなくてもやらなければいけないものが出てきます。

私は今日の演奏家が昔の演奏家と比べて、決して劣っているとは思いません。
むしろ、昔の演奏家が神格化されてしまっていると感じるものもあります。

今日の若い音楽家のテクニックは素晴らしく、昔は演奏不可能とか難曲と言われたものでも安々と弾いてしまいます。
音楽はテクニックだけではないですが、テクニックがないことには、思うような表現はできません。
テクニックの話を持ち出すと、テクニックだけが音楽ではないのようなことを言う人がいますが、それは、あるレベル以上のテクニックを持っている人たちから上の比較であると思います。

過去には素晴らしい演奏家、素晴らしい教師がいて、それらの先生から学んだ今日の若手演奏家の中には先生以上のテクニックを持った人もたくさんいます。
ただ、今日では落ち着いて演奏に没頭できる環境ができにくくなり、演奏者が満足に全力投球できることが少なくなってきていると思います。

そういう意味で、優れた演奏家に優れた演奏を残してもらえるように、音楽フアンや関係者は配慮すべきだと考えるのです。

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posted by dolce at 18:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年11月08日

認知症と音楽療法

oomon_fukusi.jpg昨日は、名古屋市中村区大門町で開催された、認知症のセミナーに招待され、クラリネット+ピアノで演奏してきました。

認知症の治療に音楽を使う、音楽療法が注目されています。
どんな音楽が、どんなふうに効果があるのか、専門家ではないのでわかりませんが、お役に立てるのなら協力していきたいと思います。

演奏は著作権の関係で紹介できませんが、参考出品された犬がおもしろかったので、許可を得てここに紹介します。



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2010年04月21日

CDの修復〜スキップドクター

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SkipDr2.jpgCDは傷つけまいと取り扱いに注意しているのだが、それでも小さなスリ傷などがついて、音飛びがしたりひどいと再生不能になったりすることがある。

先日、来客がありCDをかけていたら、途中で再生不能になってしまった。
特に傷つけた覚えのないCDだったのでショックだった。

なんとか修復できないものかと、洗ってみたりしたが、よく見ると擦ったような跡があり、それが致命的だろうと思った。

置物を磨くならいいが、CDをコンパウンドで磨くには抵抗がある。
ネットでいろいろ探してみて、これだと直感で買ってみたのが写真のスキップドクターなるものである。

説明書を読んで早速ためしてみた。

結果は一発で直った。

えらく嬉しい気分になった。

写真の目立オレンジ色の部分にはブラシが入っていて、専用スプレーをふりかけたCDをセットし、ハンドルでCDが2回ほど回転するように回す。
その後、液を付属の布で拭いた後、やはり付属している小さなフェルトのような布で磨く。

説明を詳しく読むと、レーザー光が当たる光った面は相当磨いても大丈夫なようである。
だが、曲名などが印刷してあるレーベル面が傷ついた場合は修復不可能とある。

なお、音飛びはしないが、スリ傷が目立つCDも試してみると音がよくなる。

記録はデジタルだが、アナログっぽいところもある。

DVDやCD-Rの修復もできるとあるが、Bru-rayやハードコーティングがしてあるものはダメらしい。
posted by dolce at 22:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年01月20日

skypeで電話代を節約しよう




skypeTEL.gifもう使っている人も増えてきたと思うが、パソコンを通じて、ネット上で電話すれば、電話代はタダである。

skypeというネットを使った電話がそれである。
ネットのスピードが遅い時期はあまり使い勝手がよいとも言えなかったが、最近では音質もよくなり、ストレスはない。

カメラをつければ、テレビ電話も可能だし、自宅から遠く離れた場所へ電話代を気にすることなく話したりするのにはいい。

音楽での使用を考えると、遠くの人の指導にも役立ちそうである。
学校でも、昨年のように、インフルエンザで生徒が休んでいた場合、skypeを使えば生徒の家庭への連絡や指導に役立つだろう。

電話機は、ヘッドセット型やマイクとスピーカー型など環境に応じて選択すればよい。

普通の電話にも電話できるとあるし、海外との連絡は双方がskypeなら、電話代はもちろんタダである。

外国ではskypeの携帯電話もあると言うが、いずれ日本もそうなるだろう。
携帯電話も月額固定料金に近づきつつある。


posted by dolce at 17:12 | Comment(1) | TrackBack(0) | 日記

2009年04月05日

アンサンブル エーデルワイス

edwiss_site.gif

サイトを全面的にリニューアルしました

ほとんど休眠状態のサイトを、このほど作り直しました。
音楽を語るのに、ブログだけではどうしても不自由と感じていましたので、あれこれ考えながら、一応立ち上げました。

まだ、十分でないところはありますが、新しいサイトアンサンブル エーデルワイスもよろしくお願いします。

こちらの方は、コンサートの宣伝なども行えるようにしてありますから、よろしかったらご活用下さい。

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ポケットバンクは30日間無利息キャンペーン!

posted by dolce at 21:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2008年01月09日

同窓会

同窓会というと、ふつうクラス会などを想像することが多いと思う。
しかし、ちょっと変わった同窓会が新年早々開かれた。

私は某中学校で6年間吹奏楽部の顧問をしていたことがあった。
その間の生徒の同窓会、つまり部活の同窓会が開かれた。
部活の同窓会だから、年齢がまちまちである。

当時を振り返ると、色々なことが思い出されてくる。

練習が終わった後、生徒たちは帰りに楽器店の部屋を借りて練習をしていったということがあった。
そのことは、楽器店の主人に聞くまで私は知らなかった。

土曜日、今日は練習時間があるぞと思って音楽室へいってみたら、コントラバスの生徒が1人しかいないということがあった。

私は驚いて
「みんなどうしたんだ」
と言うと
「レッスンです」
と、コントラバスの女生徒が言った。

私はにわかには信じられなかった。
レッスンを受けるときは、休んでよいということになっていたので、レッスンを口実のサボリではないかとも思った。

しかし、それはうそではなく、たまたまコントラバス以外の楽器が全部レッスンだったのだ。

また、それぞれの楽器の先生に、レッスンにつくということを私は奨励したわけでもなかった。
だが、次々とレッスンの参加者が増えて、先生のいないコントラバスの女生徒だけが残ったのだ。

また、生徒たちがレッスンに行くことによって、私の方も刺激を受けた。
中学校の吹奏楽部だと、盛んな学校は大抵コンクールに参加している。
そうすると、勝ちたいために背伸びして大曲に取り組むことも多い。
そして、どうしても無理をする。
つまり、ごまかしの演奏が多くなるのだ。
演奏というものは、大勢でやるほどごまかしはきくようになる。

ところが、生徒たちがレッスンに行くと、先生は基礎をきちんとやるので、ごまかしの演奏はやりにくくなる。

コンクールに勝つには、ごまかしでも大勢の力でハッタリをかませる方が有利ということがある。
だから、どうしても、吹奏楽コンクールでは静かな曲はとりあげられず、大きな音を出して聴衆を驚かすという傾向が強くなる。

私はコンクールに勝つか基礎かの選択を迫られた。
難しい曲でごまかしのハッタリを続けていると、部活を離れたときひとりひとりではきちんと演奏できなくなる。

簡単に言うと、そういう活動は賞取りだけが目的であって、何か生徒を使い捨てにしているようにも思われた。

私は卒業後も音楽が楽しめるようにと、自立できるために基礎を大切にする練習を選んだ。

だんだんわかったことだが、簡単な曲を数多く演奏すること、練習が短調にならないように基礎ができるようにすることにより、生徒たちは音楽が好きになるということだ。

コンクールに出て、賞がどうだったということにはあまり関係ないようである。
むしろ、先生の方が気にしているのではと思うぐらいだ。

生徒がだんだん音楽が好きになっていったせいか、プロになりたいというものが増えてきた。
私はあまり賛成ではなかった。
その理由は、生活が大変だということだ。

現在、同窓会の名簿を見ると、プロやアマチュア音楽を続けている者もたくさんいる。
海外にいる者、指揮者、フリーの奏者、楽器メーカー、・・・・

指揮者のS君がドイツから帰国して、私に言ったことがあった。
それは
「レコードを聴かない方がいい」
ということである。

理由は「レコードを聴くと楽譜を読まなくなる」ということである。
彼が留学中の指揮の勉強では、学生はどんなに恥をかいても、楽譜からイメージして指揮をするということだった。

そういえば、私がクラリネットを教わった先生も
「練習の前にレコードを聴くな」
と言われた。

先にレコードを聴くと、どうしてもレコードの演奏の影響を受けてしまうという理由である。

私はS君の「レコードを聴くな」ということを以来、強く心に刻んでいる。
今度演奏する曲はどんな曲だろうかと、あらかじめレコード(CD)を聴くということを、努めてしないようにしている。

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2008年01月06日

のだめカンタービレ

正月早々、変なテレビ番組をみてしまった。

でも、おもしろくて楽しませていただきました。
私は「のだめ」なんて言葉を知らなかったものですから、なんだろうと思ってみていたら「のだめぐみ」だから「のだめ」だとわかりました。

確かに、こたつは一度はいると出にくくなるのが欠点で、そのうち眠たくなってくる。

こたつで勉強して、失敗した経験は私もあります。
いつの間にか眠っていて、気がついたら何も進んでいなかったということがありました。

以来、大切な仕事や勉強は、こたつではやらないで、机に向かって、足には小さな電子カーペット置いてやるようにしました。

お酒も気をつけないと行けないですね。
そんなにたくさん飲むわけではないが、眠くなってしまいます。
これも、大失敗がありました。

教育実習期間でしたが、家で翌日の指導案を書いていましたが、その前にウイスキーを少し飲んだのです。
そのうちいい気分になって、そのまま机に向かったまま眠ってしまったのです。

そのまま朝になっていて、やはり何もできていませんでした。
だから、大事な仕事の前にも酒は飲まないようにしています。

酒の失敗と言えば、私の先生の失敗談を思い出します。

「先生、ステージでは緊張するんじゃないですか?」

「そうなんだ。それでね、ビールでも飲んでやると、気持ちが大きくなっていいかなと思ってやってみたんだ」

「ほう、それで、どうでした?」

「いや、みんなが、音が大きい、大きいって言うんだ」

つまり、感覚がマヒして、大胆になって失敗だったということです。

演奏の前に酒を飲むな

これは教訓です。

でも、フランツコンピチュニーという指揮者は、アル中だったということで有名です。
だから、飲まないと指揮ができないと聞きました。

この種の映画(ドラマ)は、テレビ局制作のものは特に浮いた感じで、上っ面を滑っただけで、あまりクラシックやオーケストラを知らない人に誤解を与えて終わってしまうことが多いような気がしていました。

しかし、ふざけていると思いながら、つい最後までみてしまったのは、いわゆる「通」でなければなかなか書けないところがあり、それをマンガのように演じながらも、クラシック音楽界の厳しさが描かれていて、メリハリがあるというか、奥行きの深いドラマになっていたと思います。

上野樹里さんのピアノを弾くところがおもしろく、私は地でいっているんではないかと思いました。
このキャラクターの演技は難しいと思いました。

ただ、可愛い子が真剣にピアノを弾いているだけでもだめだし、そうかといってふざけていては軽くなってしまうし、ハチャメチャな性格なんだけど、一度ピアノを弾き出すとすごいというところを表さなければならないと思いますから、大変だと思います。

その複雑なキャラクターをうまく演じいて、すばらしかったと思います。
私は上野樹里さんは、俳優としてこれからもすごく有望な人ではないかと思いました。


玉木宏さんの千秋真一役は、玉木さん自身がすごく美男子だから、かえって難しいだろうなとも感じながらみていました。

とかく、こういうドラマでは音楽に関心のあるひとたちから「アラサガシ」がはじまるように思います。

「あんなことは、ありません」
「あんなふうに楽器を弾くなんて」
・・・・

など、
そう言えば、一番難しいのは指揮者の演技ではないでしょうか。
俳優が、少しでも指揮者の素養があればいいんでしょうが、そういうことに縁のない人がやるのは難しいと思います。

予想される批判は、
オーケストラの音が出るより、指揮者はいつも一つ先を振らなければなりません。
また「出だし」は特に難しい。

予備の一拍前を振る以外は、全く余分な動きがあってはなりません。
つまり「予備運動に予備運動がつく」のは禁物です。
予備の予備をやると、オーケストラのメンバーはドキッとします。そしてオーケストラ全体に「不安」が伝達されてしまいます。
でも、不安からそうなってしまいます。


しかし、私は以上のことを指して、だからこのドラマがよくないとは言いません(そんなことも言うべきでもない)。
そのようなアラ探しをして楽しんでいる人の方が、レベルが低いと思うのです。

私は中学生になってから、マンガをほとんど読んだことはありません。
だから、このドラマの原作が二ノ宮知子さんという漫画家であるということも知りませんでした。

ただマンガをドラマ化しただけでなく、原作者の心、脚本家、プロデューサーの方々のチームワークが一体となって、よく練られた作品だったと思います。

また、クラシックの名曲がうまく取り入れられて、演出にも効果があったと思います。

テーマ音楽がラプソディー・イン・ブルー、Sオーケストラがはじめに演奏する曲がベートーベンの七番など。
オーケストラの出だしが、同じベートーベンでも他の交響曲ではうまくいかなかったと思います。
素人が考えれば、多分、交響曲第五番「運命」にしてしまうのかも知れませせん。

オーボエがリードで苦労するところなんか、うまく取り入れてありましたね。

そのようなことを考えていくと、いつか、ドラマの内容にラベルのボレロなんかを取り入れて、オーケストラの個々の奏者の苦労なんか取り入れてみるのもと思います。
のだめカンタービレ スペシャルBEST!


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2007年10月17日

生活に音楽を

日本は世界に類を見ない早さで、老齢化を迎えると言われています。
問題は、老齢化に伴う医療費などの増加です。

でも、60歳でリタイアというのは、音楽界では考えられないことです。
「指揮者は60歳から」と言われるように、指揮者は70、80歳を超えても活躍しています。
むしろ、年ととともによい仕事をしているとも言えます。

老人問題はすることがない趣味がないこととも言えます。
定年とともに、急にすることもなくなり、趣味もなければ、人との交流も少なくなるし、次第に社会から遠ざかった感じになります。

しかし、ものごとを追究するには、指揮者と同じく60歳からと言えるのではないでしょうか。
そういう意味では、若いときから一生に渡って追究する何かを持つということはいいことだと思います。

若いうちに、年金計画を立てることも大切ですが、同時に追究し続けるテーマを見つけたいものです。

音楽が嫌いという人に会ったことはありませんが「楽器が苦手だから」とか「音符に弱いので」と言って、あまり深入りしないでいるように感じる人もいます。

音楽を職業にしている人も、色々な性格があって、人前ではどうしても上がってしまってとか、楽器を弾くには不器用でという人もいます。
そういう人は、音楽評論家とか作曲家など他にも音楽に関係する仕事に就いています。

だから、音楽が好きなら、いや携わることでますます良さがわかってくるということもありますが、音楽のプロにこだわらず、仲間で音楽を楽しむなど、音楽を生活に取り込んでいくのがいいのではないかと思います。

人を招待する時、たとえ不器用でも何か演奏するということは、人の心に訴えるものがあります。
オーディオ談義で、CDの演奏評を語り合うのも楽しいものです。

60歳からは隠居生活ではなく、さらに自由に好きなことを追究するものがあるということは、老後対策とも言えます。
確か、今年のノーベル文学賞の方は87歳だったと思います。

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