「人間優先か機械優先か」最近は、練習でチューナーが使われる場面を見ることが多くなった。
ある中学校では演奏中に、楽器にピックアップ(チューナーが音を拾うためのマイク)をつけて、チューナーの目盛りを見て演奏しているという。
想像すると異様な光景という感じがする。
異常にピッチ(正しくはピッチではないが、こういうのが常となってしまったらしい)に神経を使うあまり、このようなことが行われるようになったのかと思う。
これも、コンクールに勝つための手段のひとつなのか?
チューナーは便利なものであり、使い方によっては効果がある。
だから、私はチューナーを頭から否定するものではない。
まあ、何が何でもメーターの針に合うように演奏しろと強制することによって、それで音が合うのかも知れないが、これは、
演奏活動という行為とはかけ離れた行いだ。
アンサンブルというのは、演奏者同士が聴きあって合わせるという行為が大切なのだ。
だから「絶対に正しい高さ」というものはない。
アンサンブルで合わせる基準(主体)になるのは、その音楽の流れの中の主役である。
メロディーを演奏する人に合わせなければならない。
メロディーをどう演奏するかは、あくまでその奏者の意思である。
そこに、その人の「歌い方」「個性」が出てくるのであり、そこに「人間らしさ」が出てくるのである。
しかし、そういった行為を一切廃して、ある機械の基準で規制することは人間らしさを排除していることになる。
もちろん、機械に頼らず聴きあって合わせるということは時間がかかることである。
だが、そうやって時間をかけて作り上げて行く過程に得るものの大きさを考えねばならない。
そういうことをしないと、吹奏楽活動自体がおもしろくなくなり、人心は離れていく。
コンクールに出るなら、それをひとつの発表の場とし、そこまでの過程を大切にしたいものだ。
posted by dolce at 10:45
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コンクール