2013年05月05日

不思議な団体

不思議な団体とは変なタイトルですが、よくあるアマチュア団体のことです。
でも、アマチュア団体が不思議な団体というわけではありません。

アマチュア団体というと、吹奏楽団が多いわけですが、その多くは定期演奏会を行なっています。
演奏会を行う以上は、聴衆はたくさんいた方がいいだろうと思います。
せっかくの演奏会に聴く人が少なかったら寂しいですね。

では、どのようにして入場者を集めているのでしょうか?

団員に、何枚かの入場券のノルマを課しますか?

そういう場合、団員はどのようにしてノルマを達成するのでしょう?
家族、親戚、知人にお願いする。
それで消化できる人はいいですね。

でも、家族が少ない人、親戚や知人にお願いすると言っても、できない人もいるでしょう。
そういう場合、どうするのでしょう?
例えば、500円が10枚というノルマの場合、5000円の負担になりますが、売る自信がないから自分で負担してしまおうと考える人もいるのではないでしょうか?

そうすると、お金は自分で負担して、あとはタダで配ってしまう。

それでも、消化できない人は?

机の中ですね。

ここまで考えると、負担する人の気持が大変と思います。
私は、気の毒に思ってしまうのです。

さらに気の毒なのは、入場券が机の中だと、それだけは入場者がいなくなるわけですから、誰かから「机の仲ということはないように」と言われる。

ずいぶん辛いことを課しているような気がします。

家族や親戚、友人などで消化できてしまう人はいいと思います。
団員みながそれでうまく行っているならいいでしょう。

まあ、聴衆は身内ばかりという感じですね。
身内の演奏会という感じです。
もちろん、何も悪くありません。

しかし、理想は身内でない人にも人気で来てもらえるような演奏会がいいのではないでしょうか?

人気の楽団になれば、団員に無理強いをしなくても済みますね。

一気にそうはならないとしても、そういう方向を目指した方がいいのではないでしょうか?

そのためには、宣伝に力を入れるべきですね。
最近はYoutubeというものがあって、タダで宣伝できます。

アマチュア団体の中には、Youtubeを知らない人もいるので、教えてあげると、それはいいと言って利用する団体もあります。

しかし、団員の一部の人が気を利かして載せると、団体の幹部とか言う人が止めさせるところもあります。
これが、私には理解できないところです。
定期演奏会の前にはポスターも貼りますね。

でも、宣伝効果のあるYoutubeに載せることはなぜ拒否するのでしょう?

これが、私が思う不思議な団体です。

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2013年03月28日

シューベルトはいい

私がクラシックに開眼したのも、中学2年生の時、シューベルトの交響曲第7番ロ短調D759「未完成」だった。
番号はしばしば変わるので混乱する。

シューベルトの音楽は流れが自然で、聴いていて心が安らぐ。

今日はピアノ作品、4つの即興曲 D.899 作品90 D935.作品142を聴いた。

shubert_D899_Pires.jpg


shubert_D899_Kraus.jpg



マリア・ジョアン・ピリスリリー・クラウスもどちらも良い演奏で素敵です。

これをリビングで流しているとホッとします。

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2013年03月01日

ブラームス クラリネット五重奏曲の練習

同じくブラームスのクラリネット三重奏曲 イ短調 作品114は2年前に急遽演奏することになって慌てたが、このクラリネット五重奏曲 ロ短調 作品115も、突然演奏ということになるかも知れないので、練習しておこうと思うようになった。

BrahmsCl5.jpg私は自分が演奏する時は、少人数のアンサンブルかソロが好きである。

理由は自己顕示欲というより、自己責任の演奏という思いが強い。

大編成も時に迫力があっていいが、アマチュアの場合、寄り合い所帯というか、ひどい場合は演奏会近くになって練習に参加し、それまでの練習が何だったのかということにもなりかねない。

気を配って練習しておいても、演奏会間際に壊されてしまう。

演奏会は参加することに意義があると思っているのかも知れない。

アンサンブルやソロとなると、練習を怠けることはできない。

そういう意味でも、自分を言い訳のできない環境に追い込むことが大切だと思っている。

私が先生について習っているころ「はじめにレコードを聴いてはいけない」ということを言われた。

それは、その演奏に影響されてしまうからだ。

別の人の意見では、レコードを聴くと楽譜を読まなくなるというのもある。

しかし、今ではいくつかのレコードを聴いても、参考にはするが冷静に自分としての楽譜の読み方ができるような気もする。

この演奏では、もうかなり古い演奏になるが、ウラッハの演奏が名演として未だに評判になる。


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2012年10月22日

音楽は世界共通の言語

「音楽は世界共通の言語」とは昔から言われていることです。

私は音楽活動を通じて、その言葉をなんとなくと言う感じで納得していました。

しかし、近年はその感じを強くしています。

言語といえば、日本語、英語、ドイツ語、中国語、・・・と話すことで人と人がコミュニケーションをとる言葉があります。

それらの言語を通じて、どれほど人との意思を伝えられることができるのかは、その人の言語能力に関わることです。

伝えようとする人の文章の作り方と、受け取る人の聞き取り能力や読解力に依存します。

音楽も同様、演奏する側と聴く側の能力に依存します。

私も演奏活動をしていますが、楽譜を見て演奏する時、文章を見て朗読するのと同じだと感じています。

俳優は台本をもらって、自分の役割の部分を読んで、それをどのように声に出したらいいのかを考えます。

これは、演奏で、楽譜を見てどのように音を出したらよいかと考えるのと同じだと思います。

だから、楽譜を見て、ただ音を並べているだけの演奏は楽譜に込められた意味を理解しないで、機械的に音に変えているだけということになります。

しかし、ただ音を並べているだけの演奏も巷には多いのは、残念なことです。

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2012年09月27日

悲しい時は明るい音楽がよいか?

みんなの雰囲気が暗いので、明るい音楽を、という人がいました。

どうでしょう。

暗い時に明るい音楽をかけたり演奏したりすると、雰囲気がよくなるものなのでしょうか?

暗い時、悲しい時は明るい音楽をと考える人は、人間の気持ち、心がわかっていないように思います。

葬式の場面を考えてみてください。

どんな曲にしますか?

モーツアルトはレクイエムK.626を未完成のまま、弟子に後を託して亡くなりました。

レクイエムは死者のためのミサ曲と訳されているように、モーツァルトは自分の死を考えて作曲したのではないかと思います(遺作)。



どうですか?

死者を送る気持ちをしみじみと感じる曲だと思いませんか?

暗い時、悲しい時はその気持に浸り、葬式の場合はその人の尊厳を大切にしたいものだ思います。

友だちが何かに失敗して暗くなっている時はどうでしょう。

レクイエムはふさわしくありませんが、明るい曲もよくないと思います。

受験に失敗した時、クラリネット・ポルカにしますか?



どうですか?
こういうのがいいですか?

私はいいとは思いませんね。

ところで、私が死んだ時は、モーツァルトのクラリネット協奏曲K.622の第二楽章を流してほしいと思っています。



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2012年09月24日

XBOX360を買いました

ただのゲーム機かと思っていたら、家庭内のLANに組み込むことにより、IT環境が豊かになります。

最近、ネットワークオーディオが盛んになってきましたが、XBOX360を使うとWindws Media Centerを大型液晶テレビで使うことができます。

他には、YouTubeを見ることもできるし、PCに保存してある音楽、画像、動画を視聴することができます。

また、使用した感想を掲載したいと思います。

xbox360.jpg


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2012年08月25日

プロかアマチュアか

音楽を演奏する立場に、プロとアマチュアがある。

プロはプロフェショナルの略で「専門の」という意味があるが、通常はその仕事(この場合は演奏すること)を職業としている人のことを言う。
しかし、職業としていなくても、非常に卓越している人をプロと呼ぶ場合もある。

一方、アマチュアという言葉を調べてみるとはてなキーワードでは次のように説明してある。
ある分野において一定以上の経験や知識をもっているが知識や技術が専門的な水準にないことや、そのような状態の人のこと。芸術・学問・スポーツなどを、職業ではなく、趣味や余技として行う人。素人。愛好家。アマ。
当該分野における活動の動機づけを形づくる精神活動が趣味性、規範性などを中核とする場合、これを汎くアマチュアリズムと呼ぶ。

この意味によると、アマチュアには二つの意味がある。

1.知識や技術が専門的な水準にない

2.職業ではなく、趣味や余技として行う人

ゴルフではプロもアマチュアもいっしょにプレーすることがある。
ハンディも設けていない。
つまり、技術的水準に差がないとしてプレーをするわけである。

音楽を演奏する場合、知識や技術が専門的な水準にない人もいるが、職業ではなく、趣味や余技として行っている人でもプロに劣らない水準の人もいる。

これらのことを考慮して、音楽を演奏する立場として、プロとアマチュアとどちらがいいかということであるが、一方的にどちらがいいとも言えない。

これは、音楽を演奏したいという人、本人の立場にもよる。

アマチュアのよいところは、純粋に音楽を演奏したいという、音楽に対する熱意である。

これに対して、プロの場合、自分が演奏したいという時にだけ演奏できるという立場の人は少ない。
それは、ひとえに生活がかかっていると言えるからである。

指揮者のカルロス・クライバーは一回の指揮で、数年生活ができるほどの報酬をもらったそうだが、そういう人は例外的である。
しかも、気が進まなければ指揮をしないということでも有名だった。

こういう態度では普通、仕事がなくなってしまう。

だから、たいていのプロは仕事のスケジュールを組んだら、それをきちんと守って仕事をしていかなければならない。

人は時に、気が進まないという時もあるだろう。
それでも、プロは仕事をしなければならない。

気の進まない時に演奏をしても、よい演奏はできないだろう。

これが、プロは知識・技術が高くても感動のない演奏してしまうことがある所以である。

プロとしても、クライバーのように仕事ができるのが理想だろうが。

アマチュアは、知識・技量が水準になくても活動できる、熱意があるというところはいいところである。
言葉を返せば、聴くほうの立場からしたら、アマチュアは熱意で成り立っていると言える。

ここまでで、プロとアマチュアに関してまとめると、

1.プロのよさは知識・技量の高さであり、時に熱意がないことが欠点である

2.アマチュアのよさは、熱意のあることで、知識・技量のなさが欠点となり得る

と言えるのではないか。

実際、技量は少々不満があるが、あふれるほどの情熱で感銘を受けたアマチュアの演奏もある。

しかし、何のための演奏かという疑問を持つものもあった。

音楽を演奏したいという気持ちは感じられるものの、本当に、他人に聴かせたいのかと思ったのである。

アマチュアの演奏家では、メンバーがチケットを分担して入場者を集めたりするが、それもノルマとして大変そうに見えるものもある。

入場者はたくさんあった方がいい。

それはなぜか?

そりゃあ、大勢の人に聴いてもらいたいからだ、と言えるのか?

こういうところに疑問を持つ団体もある。

チケットはたくさん売りたい、それは多くの人に聴いてもらいたいではなく、経費の面、会場を人で埋め尽くすの二点が目標ではないかと、思ってしまうものがある。

なぜそう思うのか?

大勢の人に聴いてもらいたいなら、自分たちの団体の良さをアピールした方がいいと思うのだが、チケットを作ったり、ポスターを作ったりはするのだが、それ以上の広報活動は望まない感じを受けるからである。

たとえば、今ではYoutubeはよい宣伝手段である。
もちろん、著作権には十分注意しなければならない。

あまり上手いと言えない演奏でも、Youtubeで公開することにより、さまざまな批評を受けて、自分たちの演奏の反省にすることができるはずである。

また、公開することにより、演奏にもよい緊張感が生まれるはずである。

入場者は多いほうがいいが、批判はされたくないという態度があるとすれば、アマチュアだから下手でもいい、しかし何か認められたいという変なものを感じてしまう。

アマチュアであっても、積極的に厳しい批判を受け、アマチュアであるがゆえの甘えはなくしてほしいと思うのである。

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2012年05月04日

音楽鑑賞力を高める

音楽が好きな人にとっては、好きな音楽が流れてくるということは、より生活を楽しくします。
牛小屋に音楽が流れるようにしたら、牛が乳をよく出すようになったと聞いた人があります。
そうすると、音楽が何らかのよい刺激をもたらすのは、人間だけではないと言えます。

いずれにしても、音楽をいつも真剣に聴くのではなく、BGMとして聴くというのもいいわけです。

同じ曲でも違う演奏者のものを聴いてみる

しかし、CDなり、現在ではメモリなどに入れた音楽をいつも聴いていると、新鮮味がなくなってくるということはないでしょうか?

クラシックの場合、昔は生活費と比較すると高かったので、オーディオ装置をやっと揃えてもレコードが1〜2枚という家庭も多かったようです。
なにしろ、ラーメンが一杯50円の頃でも、レコード1枚は2000円しました。

ドーナッツ版と言われる小さいレコードは、500円くらいでこれをよく買った人もいます。
ポピュラー曲、歌謡曲などはこれでもいいのですが、交響曲となると、30cmのLPレコードになりますから、どうしても2000円出さなければなりません。

だから、1〜2枚のレコードを何回も何回も聴いたわけです。
それこそ、耳にタコがあたるほど聴いたと言えるわけです。

でも、音楽の好きな人は、小遣いを貯めたり他のものを節約したりして、レコードを買いました。
そして、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」を買うと、次はドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」というふうに、いろいろな曲を買い集めることになります。

まず、曲数(ライブラリー)を増やすわけです。

しかし、その域を超えると、今度は演奏者の違うベートーヴェンの交響曲第5番「運命」を買うようになります。
同じ曲でも、演奏者が違うと聴く印象は違ってくるわけです。

だいたい100枚を超えると、同じ曲名が並ぶようになると言った人もいます。

同じ曲でも、違う演奏者のものを聴くということは、演奏者によって解釈が違うということがわかって、鑑賞能力も高まることになります。

誰それの演奏は○○だなどと言う話をするようになると、音楽の聴き方も細かいところまで気がつくようになると言えます。

楽器を習ってみる

音楽をたくさん聴いて、あれこれ批評するのもいいですが、自ら楽器を習ってみると、さらに鑑賞能力は高まると思います。

言うは易し行なうは難しという言葉があります。
自分が楽器をやっていないと、楽器の難しさもわかりません。
しかし、楽器を習ってみると、今まで聴いていた演奏者がいかに上手く演奏しているかがわかります。

プロは難しいことも、難しくないように演奏しますが、それを聴いていると、音楽なんてやさしいんだという気持ちになりがちです。

特に管楽器では、スーッと音を伸ばすだけでも大変だということが、習ってみるとわかります。
経験してみると、演奏者の偉大さもわかるということです。

どんな楽器を習うか

基本というと、ピアノが浮かびますが、本物のピアノは大変です。
重いし、場所もとるし、調律も必要です。
でも、最近はピアノのタッチとほとんど変わらない電子ピアノができましたから、これもいいでしょう。
夜はヘッドフォンを使えば他人に迷惑をかけることもありません。

他には、ギターとか、管楽器ではリードのないフルートがいいのではと思いますが、自分がやりたいと思う楽器でいいと思います。

習うからには、入門だけでもいいですから先生について習いましょう。

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2011年10月12日

音楽の科学

ongakunokagaku.jpgCDでわかる 音楽の科学 (図解雑学)の紹介である。

演奏活動をしている人、音楽を鑑賞している人、評論をしている人など、音楽に携わっている人はいろいろだが、いずれにしても、自分の音楽のレベルをアップしたいと言う場合、いろいろなアプローチの仕方があると思う。

演奏する人にとっては、練習は欠かせないものであるが、時に視点を変えて、違った方向から見つめていみることもいいと思う。
また、これまでの経験を思い出し、振り返ってみることも大切だ。

私も一応演奏活動をしているが、昔の演奏が録音で残っていたりする。
そういうものを、あまり聴きたくはないのだが、時には勇気を出して聴いてみる。

自分の未熟さがよくわかる。
未熟さは技術的なものもあるが、一番大きいのは精神的なものだと思う。
自分がいかに小さな人間であったかと感じる。

子どもを引き連れての演奏の場合は、やはり、自分の未熟さのために子どもの能力を十分に伸ばせなかったと思うことしきりである。
過ぎ去ってしまったことはどうしようもないので、それらの反省をこれから生かしていくことが大切である。

反省を生かすということは、いかに自分を客観的に見つめることができるかということでもある。
それは第三者の批評を大切にするということでもある。

第三者の意見を聞けない時は、過去の録音を聴いてみるというのもひとつの方法だが、音楽を科学的に捉えてみることも意味のあることだと思った。

経験を踏まえながら、この種の本を読んでみると「なるほど」とか「やっぱりそうか」と思うことがある。

例えば、ピアノの調律について書かれているところがある。

調律師は200Hzから1KHzぐらいの間では、オクターブを1:2の割合に忠実に調律しているが、それより低いところ、高いところはそのようにしない。
これをレイルスパック・ストレッチと呼ぶのだそうだが、吹奏楽の合奏などでも、グロッケンやチューブラベルはチューニングのピッチより高くする。

市販されているものでは、A=442と刻印されているものもある。
これは、ピッチを440Hzで行うという意味で、このような高さにしてあるのだが、このグロッケンのA=442の刻印を見て、全体のチューニングを同じピッチのA=442Hzにしているところがあった。
実際に聴いてみれば、これではグロッケンが音痴に聞こえるはずである。
合奏のチューニングもレイルスパック・ストレッチがいいのである。

このように、実体験と科学を併せて、音楽の練習に取り入れることは合理的であると思う。

この種の本に、CDが付帯されていて、実際の音で確かめられるのは、これも非常に好都合である。

純物理的な章から、楽器、コンサートホール、オーディオに至るまで幅広く解説してある。
持っておいて損のない本と思う。

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2011年09月27日

吉松隆のクラシック音楽講座

yoshimatsutakashino.jpgこれはおもしろい本です。
まず、なるほどそうかと思ったのは、ロッシーニが30歳そこそこで作曲家の仕事から引退してしまって、遊んで暮らしたというのがわかったことです。

ロッシーニがそれほどの金持ちになったのは、オペラ作曲家だったからですね。
作曲家はオペラでなければ金持ちになれないんですね。

どうしたらお金が入ってくるかと言ったら、傑作と言われるすばらしい曲を作ることではない。
いくらすばらしい作曲をしたとしても、楽譜を売った時のお金ぐらいしか入ってこない。
それに対して、オペラなら、毎日のように上演されているから、その度に興行収入が入ってくる。

ベートーヴェンが貧乏だったのは、オペラを書かなかったから。
全然書かなかったわけじゃないけど、ベートーヴェンのオペラで頭に浮ぶのは「フィデリオ」ぐらいかな、他にもあるけど、彼はオペラ作曲家というイメージはないですね。

チャイコフスキーもそういう点では同じようなもの。
だから、フォンメック婦人という貴族から支援を受けていたんですね。

オペラ作曲家であるヴェルディ、プッチーニなどはお金持ちだったんだ。

昔の作曲家はオペラを書いて、一山当てようとしていた人もいたんだなあと思います。

クラシック音楽というと、なんだかかたいようで、肩がこるような人もいるかも知れないが、この本は思わずニッコリしてしまうような本です。

私はクラシックだけでなく、ポピュラーもジャズも好きだけど、やはり基本はクラシックのように思います。
他の音楽をやっていても、時々はクラシックに帰ってみるのがいいと思っています。

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2011年09月12日

弦楽四重奏の魅力

弦楽四重奏は通常、第一ヴァイオリン、第二ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロという編成である。
ソプラノ、アルト、テナー、バスの音域を全部カバーしているわけだ。

同族の弦楽器の集まりということで、音色の融け合いが非常によい。
4人だけの演奏ということもあって、非常に密度の濃い演奏が可能というところも魅力である。

beethouven_string4.jpg
そのせいか、大作曲家も多くの曲を作っている。
しかも、晩年の作品が多いということもあって、クラシック音楽の中でも、芸術的なレベルが高いようである。

同族楽器で同じように四重奏を編成してたら、同様な効果が期待できるかといえばそうも言えない。

弦楽四重奏はとりわけ密度の高い編成であると言える。

オーケストラの弦楽器は弦楽五部と言われ、コントラバスが加わる。
弦楽四重奏の群団にコントラバスが加わったという形である。

カラヤンが「室内楽のように弾け」と言ったということだが、オーケスストラのような大所帯でも、弦楽器は室内楽のようにというのが目標と言ってよいだろう。

アマチュアの場合、一人では弾けないが、大勢ならなんとかということでオーケストラは音楽に参加できる魅力を持っているが、所属しているうちに腕を磨いて、弦楽四重奏としても独立できるようにしてもらいたいものだと思う。

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2011年05月20日

音楽は人を元気にする



復興に忘れてはならないのは、ものだけではなく心ですね。

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2011年04月25日

音楽の好きな子どもが増えて欲しい

私の家はコンサートホールから近いということもあって、コンサートに行く回数は多い方ではないかと思う。
聴くだけではなく、自分の演奏もあったり、指導に行くということも考え合わせたら、私の生活において音楽は日常と言えるだろう。

私が出かけるコンサートは、圧倒的にクラシックが多い。
そして、大抵のコンサートは客がよく入っている。
ところが、その客のほとんどは年配者で若い人が少ない。
主催者側としては、席が埋まれば採算的にはいいのだろうが、これからの音楽界を考えると不安である。

昔はこういう風ではなかった。
クラシックのコンサートでも、中高生はかなりの数だった。
その影響は、学校での部活動が大きかったと思う。

私も吹奏楽部の指導をしたのだが、入部した生徒たちは開眼したように、音楽が好きになり、特に勧めることはなくても、コンサートにはよく行くようになった。
合唱部も吹奏楽部も現在、活動が衰えているとは思わないが、どういうことだろう?

たまに、コンクールを聴きに行くと、昔とは違うなと思うことがある。
昔は、他校の演奏に興味を持って、出演が終わるとすぐに開場に入って生徒たちは関心を持って聞いていた。
しかし、最近は、自分たちが演奏するだけで、他校の演奏にそれほど興味を示さなくなったような気がする。

また、中高の吹奏楽部へ行ってみると、何か別世界という感じも受ける。
何か別世界というのは、吹奏楽の曲というのは、もともとローカルなものが多く、広く音楽というジャンルから見たら知名度が低いということがあるのかも知れない。

吹奏楽曲で、一般によく知られているものは、マーチぐらいなものであろうか?
吹奏楽ファンはいるにはいるが、吹奏楽のCDが観賞用として売られるのはどのくらいなのだろう?

熱心な学校は、よくオーケストラの編曲ものを取り上げる。
しかし、編曲ものがオリジナルのオーケストラと比較して、魅力あるものにするには、なかなか難しい面がある。
編曲することによって、むしろ演奏が難しくなってしまうものがある。
調が変わっていて、違和感を持つものもある。

違和感と言えば、私がそういうことを最も強く感じるのは、吹奏楽も音楽に違いないのだが、吹奏楽部の生徒が、クラシックの曲をあまり知らないことである。

そして、吹奏楽という仕切られた世界だけで、何か音を出しているという印象を受けることが多い。

別に、クラシックを知らなくてもいいではないかという意見があるかも知れない。
しかし、有名なクラシック曲は歴史に耐えているだけに、曲そのものが持つ魅力が大きく、そういうものに触れることによって、生徒たちが、音楽に目覚める機会が多いということを無視できないと思う。

もっと言えば、今日の作曲家も歴史的な大作曲家の影響を受けており、盗作とまでいかなくても、似た部分はたくさん出てくる。

だから、生徒たちがクラシックを聴くことにより、部活動の時間だけでなく、自然に音楽が身についていくということがあると思うのだ。

早い話、部活動を指導する先生方は、歴史的な作曲家の名曲を生徒たちに、もっと紹介してほしいと思うのである。

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2011年01月05日

経験の積み重ねが聴こえ方を変える

keiken_hokan.jpg


オーディオによる音楽の聴こえ方というか、音の聞こえ方というものをまとめたものが上の図である。

同じオーディオシステムの前で、同時に聞いたとしても人によって違うということである。
録音からだけで聞いているのは、装置から出てくる音そのものだけであるが、生演奏や演奏経験が豊かになるにつれ、装置から不完全な音が出ていても聞く人の経験が無意識のうちに付加されて聴こえてくる。

音は出た音が聞こえるのではなく、出た音が耳を通して脳内で処理されて知覚されるのである。
「梅干」と聞いただけで唾液が分泌されるのと同じである。

だから、人が聴く限り、客観性はないとも言える。

もちろん、耳の機械的な感度の違いというものもあるだろう。
例えば耳の周波数特性や大小の聞こえ方、音色の聞こえ方など個人的に感度差のあることは想像できる。

よいオーディオシステムというのは、実際に出ている音プラス補完されている音で評価されていると言えるので、ある人の推薦したものが別な人に好まれるとは限らない。

いい音と言っても、装置そのもののいい音と楽器の音がいいというのは違うのであって、このあたりの違いも考慮しておいた方が話の混乱が起きないといえるだろう。

演奏者がいい音を出しているというのは、装置の良し悪しに関係なくわかるものであり、安いラジカセでも「いい音を出しているねえ」という感想はある。
この場合、演奏者の楽器を弾いたり歌ったりする音声がいいという意味である。

こういう場合も、人独特の補完作用が働くので、ラジカセ程度の音でもフルオーケストラの素晴らしい音がある人の脳内では展開しているということがあるだろう。

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2011年01月04日

スコアを読むことの大切さ

このところブログがお休みだったが、また頑張って書いていこうと思う。

昨年は、思いがけなくコンサートが多かった。自分が演奏者である場合、聴衆である場合ともに多かった。
昨年一番の思い出は、何といってもトリオ・ミンストレルさんとブラームスの三重奏曲、作品114を共演させていただいたことである。
これに大いに刺激されたこともあって、活力が増してきた。

私はたしばしばオーディオについても、書いたりするが、私にとってのオーディオの位置は

1.自分の演奏を客観的に反省するために録音したものを再生
2.他人の演奏を録音し、聞き直して解析すること
3.市場に出回っている商品としての録音物の再生

という3つがある。

いずれも、自分の音楽レベルを引き上げたいという気持ちが強く働いてのものである。
自分の音楽レベルのことを仮に「音楽力」と呼ぶことにすれば、まさに自分の音楽力を高めるためにあると言える。
俗に言うオーディオマニアというのは、もっぱら機械部分に重点を置き、音楽を聞いていないとは言わないが、マニア同士の討論を聞いていると、音楽については表面をなぞっているだけのように見える。
だから、自分としてオーディオマニアとは呼ばれたくない。

もちろん、音楽力もあり機器にも強い人はいる。だが、いろいろなやり取りを呼んだり聞いたりしている限りは上っ面であたり形式的な話に終わっているような気がする。
かなり、固執した意見もあるが、嫌だなと思うのは、どうでもいいというと思うところに、ひどくこだわったり、反対に神経を使うべきというところに鈍感であったりする。
そして、自分がオーディオの権威であると誇示したいと感じる人が多い。

テレビでよく放映されるプロスポーツの世界では、優秀な選手は例外なく謙虚で偉そうなことは言わないし、ほのめかしたりしない。
音楽の世界も同じで、優れた奏者や真剣に音楽力の向上を求めている人はやはり謙虚である。

1.の自分の録音を聞くというのは、演奏している自身が冷静になって改めて聞くという意味もあるが、自分の音が聴衆にはどう聞こえているかを知りたいためだ。
コンサートホールのステージに立って、自分の出した音が聴衆の位置でどう聞こえるのかを想像できるまでには、何年もかかるような気がする。

そして、自分の音楽力を高めるには、特にクラシックにあっては楽譜が大切で、
アンサンブルやオーケストラ曲ではスコア(総譜)から音楽を読み取ることは必須である。
音楽の三要素として、リズム、メロディー、ハーモニーと言われるが、楽譜から読み取るのはそれら三要素だけではない。

俗に言う解釈というものだが、大作曲家の楽譜からは汲めどもつきないものがたくさん埋もれている。
だから、ベートーヴェンの曲がもう演奏つくされたということはない。

過去に名演の録音があるから、それを聴けばよいという人もいるが、これは大きな間違いである。
そもそも過去の名演奏家と、現代の演奏家を同列にして語ることが間違っている。

江戸時代のくらしと現在の暮らしを同列に比較することがナンセンスであるように、音楽も絶えず時を刻んでいて、テクノロジーが過去の資産を受け継いでその上に現在が成り立っているように、音楽も現在の優秀な演奏家たちも先輩たちの資産を勉強しその上で活動している。

だから、現在の素質ある演奏家は昔では信じられないほど上達が早い。
例えば、チャイコフスキーのピアノ協奏曲は、作曲された当時は、当時最も有名なピアニストでも弾けないと言って断られた。
現代、そんなことを言うプロのピアニストはいないし、キーシンはなんと12歳で、カラヤン/ヘルリンフィルと共演している。

音楽はテクニックだけではないという人がいるが、それはテクニックはなくてよいということではない。テクニックがなくては音楽を表現することはできない。
だから、早くテクニックを身につけるということは、それ以外の解釈などに多くの時間をかけられるということで、すばらしいことでもある。

コンサートに行くと、たまにスコア持参で来る人もいる。楽譜と実際の演奏の間を聞き取ることがより深く音楽を聴けるということであり、演奏家はもちろん録音エンジニア、カメラマンも楽譜が読めない人はいい仕事はできない。

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2010年12月01日

音楽の練習

アンサンブルの練習をしているとき、だれかが「ちょっと待って」と止めることがある。
その時、止めた者が他のパートよくないところ、または全体としてよくないところを言うことがある。

そう言うとき、聞く側の者は集中力を持って聞く。
それは、何を言うのかなという好奇心もあるからだ。
決して、悪く言われたからと言って、言った者を睨んだり、憎悪の気持ちで見ることはない。
むしろ、その反対である。
なぜか?
みんな自分が上手くなりたいからだし、全体でいい音楽を作って、聴衆に喜んでもらいたいからだ。
好奇心と言う意味はそういうことだ。

私がなぜこんなことを書くかと言うと、本当に音楽が好きで、もっと上達したいと思っている者には当たり前のことなのだが、時々「あれ」と思う場面を経験するからだ。

その「あれ」と思うのは、ズバリ大切な助言をしたにも関わらず、反発が返ってくる人たちに遭遇することがあるからだ。

「そりゃあ、誹謗中傷じゃないですか」
「きっと、あなたは人から悪く言われた経験がないからでしょう(人格が未熟だねえ)」

というような具合だ。
こんなような場合、心の中で苦笑しながら、これは相手が違うと考えて、もちろんいい訳などしない。

反発する彼らは、自分が上達すること、いい音楽を作ることより「変なプライド」の方が大切なのだ。
だから、こういう人たちは、独りよがりを繰り返すことになる。
演奏もあか抜けしない。

まあ、相手を見て雰囲気を感じ、適当にお世辞を言わなければならないなと感じる人には、ズバリは言わないようにするのだが、時に本当のことを言って嫌われることになる。

つまり、指導してもらうということは、指導者に本音を言わせなければ価値がないということである。
大体、悪いところを言わなければ上達するわけがない。
悪いところを指摘されたとき、いいことを言ってくれたという感じが伝わってくれば、指導者としてはよけいに熱が入る。

指導者に熱が入るのはギャラだけの問題ではない。


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posted by dolce at 23:54 | Comment(2) | TrackBack(0) | 音楽と生活

2010年11月30日

信者に気をつけるべし

私はオーディオが好きだが、これはいつも言っていることだが、マニアとは言われたくない。
オーディオマニアと言うと、どうも機械そのものに興味があって、音楽にはあまり言及しないという気がするからである。
もちろん、オーディオの好きな人がすべてそうだと言うわけではない。

私の場合は、あくまで音楽を聴くためのツールであって、生演奏との間を行き来している。
先日も久しぶりに大編成のオーケストラを聴きに行ったが、帰宅して、あれをそのまま家で再現することは非常に難しいと感じた。
それは、ただ音量の違いというものだけではない。
あのスケール感といったものの再現は、なかなか困難と感じさせる。
結局、家をコンサートホールと同じにしなければダメなのかも知れない。

ところで、オーディオは以前より下火となったとは言え、関係のサイトは検索するとたくさん出てくる。
最近、感じるようになったことだが、ここは何だか信者の集まりのようだと思うところがある。

信者というからには教祖様がいて、投稿には教祖様の怒りに触れないように気をつけなければならない。
教祖様の怒りに触れると、教祖様からのバッシングや削除に遭うだけでなく、信者からの一斉攻撃に遭う。
こう言う場合「なんと心の小さい」という感じを抱く。swinggirls.jpg
私は何が嫌いかというと、弱い者いじめ、スケールの小さい人間である。
近年、特にこの「スケールの小さい人間」が増えてきたように思う。

日本という国は、世界的に見ても小さい。
そこに、スケールの小さい人間がひしめいて、わいわい言っているのを想像すると吐き気がする。

だいたい、リーダーというものは、スケールが大きくなくてはいけないと思う。
そうでないと、会社では社員が縮んでしまう。
学校も例外ではない。校長のスケールが小さいと窮屈で、ストレスがたまる。
それで、問題が起きるのかも知れない。

中高生を指導するとき、何か文句を言ってくる生徒はおもしろいと思う。
だから、私はなるべく何でも言いやすいような雰囲気作りに努める。
「この人は何でも言える」と感じると、ずいぶん失礼なことを言う者もいる。

全員女子ばかりのバンドだった。制服からして、まるでスウィングガールズの世界に入ったようであった。
ある日、女子の一人が「先生! 先生の言うことって何でも正しいんですか!?」と言った。
周りの女子は突然のことで、呆れた顔をしていた。
そして、当然のように私の態度に注目した。
「いや、全然そんなことは思わないけど」
と私が言うと、みんなは嵐の予感がなくなったようだった。
子どもが、先生に言いたいことも言えないようでは、組織としての発展はないと私は思っている。

それにしても、教祖様のサイトには気をつけなければならない。



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2010年11月29日

音大出身者に仕事を

cristmas.jpg来月はクリスマスシーズンと言ったところで、店もクリスマス商戦が盛んになる。
と言っても、今年はエコポイントの関係で、今月末の駆け込み需要で、来月はあまり売上の期待はできないかも知れない。

話題は商売のことではなく、来月も演奏依頼がある。
スーパーや店が集まっている○○タウンというところの一角で、クリスマスに因んだ演奏をやって欲しいという依頼である。

出演するのは、他にもトランペット、サックス奏者がいるということである。
私はクラリネットであるが、いつもの私専属の伴奏者とだけ出かけていけばよいのかと思っていたら、話が拡大して、せっかく何人もの奏者が集まるのだから、全員で演奏するもの、つまりアンサンブルができないかということになった。

ヴァイオリン、クラリネット、アルトサックス、トランペット、ピアノという変わった編成のアンサンブルをするために目下編曲中である。

私以外の奏者は、音大卒ということだが、音大卒で仕事にあふれている者は多い。
現在のように不景気の空気が漂っている時には、よけいに音楽の需要は少ないのかも知れない。

しかし、この国が変だと思うのは、昔、エコノミックアニマルと呼ばれたように、景気浮揚に音楽は関係ないと思っているとしたら、それは間違いであると思う。

日本が戦争に負けて、東京も焼け野原になっているところから復興したのも、音楽によって元気づけられた面が多い。
音楽は人々のやる気を高揚させるという不思議な力を持っている。
牛だって、音楽を聞かせると乳の出がよくなるそうである。

もっと、音楽を使って景気をよくするといった新しい発想を考えたらどうかと思う。
そして、音大卒の仕事を増やしてほしいものだと思う。

音大も「経済と音楽」というテーマで研究をしたらどうか。

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2010年11月18日

ウエーバー/クラリネット協奏曲 第2番

協奏曲が格好いいと言ったところで、現在練習している曲が、このウエーバー/クラリネット協奏曲 第2番

クラリネット協奏曲で一番好きなのは、モーツァルトだが、こちらは一応演奏したことがあるということで、次の候補がこの曲ということです。

まあ、派手な曲ですね。それだけに、演奏すれば受けるでしょう。







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2010年11月16日

コンチェルトの魅力

コンチェルト(concerto)は、今日、協奏曲と書くがかつては競争曲だったか競走曲だったかどちらかの訳が用いられたことがあると聞いたことがある。

どちらにしても、協奏曲はオーケストラが純然たる伴奏にまわるソロの曲とは違って、独奏楽器とオーケストラが対等という関係で、聴いていると、競走(競争)であったり、協奏であったりでスリルがある。

と言うか、協奏曲はたいていその楽器の名手がいて、まさに名人芸を披露するものである。
それだけに、その楽器の持ちうるあらゆる性能も生かしている。
そういう意味では、協奏曲は楽器を奏する者にとっては頂点の曲であると言える。

だから、演奏者は専ら、プロのものという意識が強いのかも知れない。
しかし、私はアマチュアであってもコンチェルトを目標にしてほしいと思うのである。
第一、同じ演奏するなら、コンチェルトが格好いいだろう?
逆に、みんなと一緒ならできるし、そのレベルで偉そうなことを言うのは格好悪いと思う。

アマチュアのバンドやオーケストラは、演奏技術が未熟でも参加できるという魅力がある。
しかし、できれば「みんなと一緒ならできる」から脱皮し、ソロ〜コンチェルトに挑むようになってほしいと思う。

評論家になることはやさしい。その評論が適切か不適切かに関わらず。
偉そうに評論だけするのではなく、自分から挑戦する人がいい。

「そんなに言うならやってみろ」

と言われたら、上手下手は関係なく受けてたつ人が私は好きである。

コンチェルトに挑戦してみれば、一人で全責任を持つことの難しさがわかるはずである。
そういう経験をした上で、評論したら、その言葉にも重みがつくだろう。

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