レコードの売れ行きが、作品の芸術性の高さを決めるものではない。
そういう意味では、商売と芸術は相容れない面もある。
特に、歴史に残る不世出の芸術家の作品は、一般人ではすぐに理解できないものも多いと思う。
ブラームスの作品はクラシックフアンとして足を踏み入れた人にとっては、なじみの曲が多いと思うが、このヴァイオリン協奏曲もクラシックフアンがよく聴く曲であると思う。
先に挙げた、ベートーヴェン、チャイコフスキー、メンデルスゾーンと同列に挙げてもよいと思ったが、クラシックにあまりなじみのない人にとっては、少しだけブラームスは遠い気がしたので2回目にとりあげることにした。
筆者はブラームスが大好きであり、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲が甘い、すてきなケーキであるとすると、このブラームスの協奏曲は味わうたびに味の出てくる主食のようなイメージでもある。
もちろん、この比喩は両者の優劣を言うものではないので、誤解のないようにお願いしたい。
以下はフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』による解説である。
ブラームスのヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品77(Violinkonzert D-Dur op.77)は、1878年に作曲されたヴァイオリンと管弦楽のための協奏曲。
ブラームスは、父親がコントラバス奏者であったため幼時からピアノよりも先にヴァイオリンとチェロを学び、そのメカニックを理解してはいたが、最初の(そして1曲だけの)ヴァイオリン協奏曲を書き上げたのは45歳になってからだった。これは、交響曲第2番の翌年という、彼の創作活動が頂点に達した時期にあたり、交響的な重厚な響き、入念な主題操作、独奏楽器を突出させないバランス感覚、いずれもブラームスの個性が存分に表現された名作となった。本作品は、ベートーヴェン、メンデルスゾーンの作品と並んで3大ヴァイオリン協奏曲と賞されている。メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を「メン・コン」と呼ぶのに対して、本作品を「ブラ・コン」(ブラームスのコンチェルトの略)と呼ぶことがある。しかし、メンデルスゾーンの場合とは異なり、ブラームスの2曲のピアノ協奏曲はいずれも本作品を凌駕するほどの名声を有しており、本作品を「ブラ・コン」の名で呼ぶ場面は自ずから制限される。
この作品を聴いたシベリウスは、その交響的な響きに衝撃を受け、自作のヴァイオリン協奏曲を全面的に改訂するきっかけとなった。
一方チャイコフスキーは、メック夫人へ宛の手紙で、この曲について「私の好みに合わない」「詩情が欠けているのに、異常なほどに深遠さを装ってみせる」と酷評している。
私は「ブラ・コン」などと省略した呼び方は好きではない。
(響きが嫌いである)
協奏曲の作曲された背景には、大抵、名奏者がいるものだが、ブラームスにもヨアヒムという名奏者が関わっている。
作曲の途中、ヨアヒムはこの協奏曲について、変更の提言をしたそうだが、ブラームスは全部は聞き入れなかったということである。
ブラームスというと、思い出すのはシューマンがブラームスの才能を世に広めたことで、ブラームスが音楽家として出発する門を開いたという文献を読んだことである。

ブラームスの曲は、初めて聴くと、気むずかしそうな作曲家であるという感じも持ちやすいかも知れない。
しかし、少しなじむと彼は非常にロマンチストで、暖かい心の持ち主であったのではないかと私は感じるようになった。
優れた演奏はたくさんあって、どの録音をとりあげるかに困る。
手元にあるメニューイン(vi)、ルツェルン・フェスティバル・オーケストラ、フルトヴェングラー指揮(外国盤)のレコードはずいぶん古いものだけれど、音は驚くほどよい。
最近、の奏者ではヒラリー・ハーン(vi)、アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ(Orch)、ネビル・マリナー指揮
