2010年01月27日

練習は楽しく

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アマチュアの練習の話である。

アマチュアの良いところは、音楽の楽しさを感じ続けていることである。
プロがそうではない、とは言わないが、仕事となるとやりたくないことも、やらなければならないということで、感動が失われやすいという面がある。

やりたくないこともやるということは、一面では大切なことであるが、音楽な大切な面、すなわち楽しさを味わうことがないので、やはり感動がないと言える。

でも、自転車がやっと乗れるようななった頃のことを思い出して見ると、何度も転んだり、怪我をしたりしながら、それにもめげず練習した。

転んだり、怪我をすることが好きだと言う人はいないだろうが、自転車に乗って自由にあちこちへ出かける楽しさ、すなわち感動を味わいたいという目的意識があったのでできたことだと思う。

だから、特に指導者にあっては、辛い練習でもその先に感動があるという意識をメンバーに感じさせつつ計画を考えることが大切だと思う。

吹奏楽の練習で大勢集まった時、その練習中で、どこかで充実感や感動を享受できる練習でありたいと思う。

難しい曲に挑戦するのも、意味はあるが、すべてが不完全のままでは、充実感はなく、どこか不満が残る。

そうは言っても、集まったメンバーの技量も様々であろう。
すべてのメンバーに満足感を与えるのは難しいことである。

それで、具体的には、練習中でグレードを考えることが大切だと思う。

やさしい曲集を用意して、誰でも一応演奏ができるというようにする。
やさしい曲を基本練習として使う。

というようなことが考えられる。

posted by dolce at 11:02 | Comment(0) | TrackBack(0) | 指導法

2009年08月07日

バンドはもっとうまくなる(3)

中学校では1年生の指導が大切だ

吹奏楽の盛んな中高では、吹奏楽コンクールに参加しているところが多い。

その年の大会が終わると、すぐに次の自由曲、課題曲が発表されると、即練習と、それはいいのだが、大会で勝ち進みたいせいか、コンクールの練習で1年生がほったらかしという学校も少なくない。

もっとも、指導者不足ということもあって、吹奏楽の指導ができる先生が1校に2人以上いるという学校も少ない。

そのせいで、コンクールの練習に夢中の間は、現実として1年生はほったらかしになる。

楽器の練習は基礎が大切である。

そんなことはわかりきっていると言われそうだが、1年生はほったらかしの間、誰も指導者がいなければ、自分たちで勝手にやるということになる。

そこで、勝手な奏法が身につくことになる。

練習というのは、とにかくやればいいというものではない。

間違ったやり方で練習すれば、間違ったことが身につく。
間違ったことが身につくと、その間違いを直すには、間違った練習をした期間以上の時間が必要だ。

1年生を入部時から、計画的に指導に取り込む必要がある。

1年生は当然、初心者であるから、その指導は大変である。
何から何まで教えなければならないし、なかなか合奏できるところまでいかない。
音はひどい音だし、早く音楽がやりたいと思う指導者ほど気が進まない。

私の経験では、1年生をそれなりの指導計画で、指導していっても夏休みの終わり頃まで、ほとんど何も教えなかった学校と比べて大差がないような気がする。

そういうところを見ると「教えても、教えなくてもあまり変わらんな。疲れるだけだから、生徒自身が勝手に成長するまで待っていよう」なんて気にもなりがちだ。

だが、これが二学期のある時期から俄然大きな差がつくことになる。

次の演奏は、1年生を入部時から計画的に指導して、翌年2年生に進級したときの演奏の例である。
4月29日だから、新学期が始まってから間もない。

つまり、2年生は楽器を習い始めてちょうど1年、3年生はちょうど2年経ったということになる。



まだまだ不十分な面はあるが、一応、行事などの要請があれば、このような行進曲が10曲以上はできるようになった。
初見演奏に強くなったので、はじめての曲でもかっこうがつくまでにあまり時間がかからない。

大切なところは、生徒たちが音楽が好きで、前向きにやっていたことだと思う。

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posted by dolce at 23:36 | Comment(0) | TrackBack(0) | 指導法

2009年08月01日

バンドはもっとうまくなる(2)

1.合理的な練習時間の設定

ある中学校へ指導に行ったときのことである。
各クラス、帰りの会が終わると、生徒たちがバラバラと音楽室へ集まってくる。

すると、部長は全員が集まっただろうと思われる頃に「出席をとります」と言って、部員名簿を読み上げてチェックしていった。

そして、チェックが終わると、全員で練習場所の設定を始めた。

私はこれを見て、すぐにやり方を変えさせた。

(1)早く来た者から練習場所の設定をする
(2)出欠係は、席が埋まっているかどうかで出欠をチェックする

というふうに。

==============================

時間は貴重だ

時は金なり

==============================

そこで、さらに具体的に時間の使い方を説明しよう。

gouritekinaRensyujikan.gif

人はだんだん集まってくる。
1人、2人、3人・・・と、
そこで、1人ならどうするか?、2人ならどうするか、3人ならという考えに立つ。

1人なら教則本を
2人、3人ならアンサンブルを

と、全員が揃うまでの時間を有効に使う。

場合によっては、全員が揃わなくても、指導者は揃った者に合わせた練習をするということも考えられる。

もちろん、そのためには、指導者(指揮者)には、音楽を作る設計図が頭に入っていなければならない。
その設計図さえしっかりしていれば、全員いなくても練習はできる。
いや、全員がいないので、かえって音がよくわかるということもある。

私が、しばしばおかしいなと思うことに、全員が揃わないと練習が開始できない指揮者がいることだ。
もっと変だと思うのは、全員か揃ったところで、いざ練習を始めると、一部のパートばかりの練習をして、休んでいる者が多いということだ。

2.パートリーダーが活躍しているか

図を見ると「終わりの15分」というところがある。
ここは非常にたいせつなところだと私は思っている。

ここで、全体に関わる連絡を行った後、パートごとのミーティングをやる。

その時、パートリーダーが司会をする(リードする)。

ミーティングって何をやるの?

答え→何をやってもいい。

大切なことは、パートリーダーを中心に、何かを話すことである。
何を話すかって?
わからなかったら、今日の練習で気づいたところ、反省でもよい。

一番の目的は、パートリーダーにリーダーの自覚を持たせることである。

そのことによって、パートリーダーに責任感が養われる。
そして、パートの連帯感が高まる。

話題は生活のことでもよい。

毎回、ミーティングがあるということで、パートリーダーは練習後何を言おうかと考えるようになる。
すると、練習中の音をよく聞こうという気持ちが高まる。
とりわけ、自分のパートの音には関心を持つようになる。
他のパートとの、よい意味での競争心も生まれる。

パートのミーティングの段階では、流れ解散でよい。

ここで、絶対に大切なことは、指揮者は終わりの時間を厳守すること。
図では、ミーティング後が最終的な終わりになっているが、訂正する。
「練習時間」という部分の厳守である。

終わりの時間を守らない指揮者は、メンバーから次第に嫌われる。
逆に1分でも早く終わる指揮者は、メンバーに快適さをもたらす。

だが、練習に夢中になっていると、つい時間オーバーということになりやすい。

その対策として、時間係を作っておく。

時間係は、学校なら、練習時間の終わりに近づいたら

「先生、時間です」

と言わせる。

言われたら、パタッと指揮棒を降ろそう。

ちょっとしたことだが、そういうことが信頼感を生むもとである。

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2009年07月31日

バンドはもっとうまくなる(1)

1.精神的なプレッシャー

吹奏楽団、オーケストラ、合唱団など人が団体に参加するということは、それぞれの個人の事情を抱えてのことである。

特に、参加することの障害を乗り越えて参加している者は、それだけで余計なエネルギーを使っている。

練習中にそれら障害のことが気になったりすれば、集中できないし、全力投球もできない。

今、あなたのバンドに参加しているメンバーの誰かは、その障害に勝てないすれすれの状況で参加しているのかも知れない。
そういう人は、次回の練習には来ないかも知れない。

問題というのは、起きてから手を打つのではなく、先手先手で打っていきたい。

家庭内の問題、学校の成績のこと、仕事のこと、友人関係など様々なことが考えられて、そんな他人のことを考えておられないと言いたいかも知れないが、あなたがリーダーならそれらのことを無視してリーダーとは言えない。

また、とても問題が大きくて解決などできないかも知れない。

だが、人は誰かが話を聞いてくれるというだけで、精神的負担が軽くなるものである。

リーダーは他人のことなど知りませんという雰囲気を出すのではなく、暖かくみんなを包み込むという包容力が必要なのだと思う。

私が某中学校で指導しているとき、部員に不登校の者がいた。
ところが、この生徒、部活だけはやってきた。

ここで、私の指導がよかったからなどと言うつもりはない。
それほど、部活が好きだったのかも知れない。
あるいは、仲のよい友だちがいたのかも知れない。

いずれにせよ、団体というものは、人を引きつける魅力のあるものにしたいと思う。

2.練習時間がない

うまくなるには練習時間の確保が大切である。
だが、学校などは、どこの学校もそんなに練習時間の差はないのに、うまいバンドとそうでないバンドの差ができる。

その原因は何だろう?

指導者の問題?

そう言ってしまえば、そうかも知れない。

練習時間は同じでも、練習密度の違いはあるだろう。

それより、練習時間とは練習で拘束している時間だけと思っていないか?

小学校で懇談会をやったときの、あるお母さんとの会話

「なんだ、先生が宿題で練習してきなさいと言われたんじゃなかったんですね?」

「えっ、何ですか」

「ウチの子ったら、一日中、笛吹いているんですよ」

「そうなんですか、私は宿題にしてはいませんでした」

その小学生は、リコーダーの魅力にとりつかれ、休みには一日中好きなリコーダーを吹いていたのである。

練習とは、みんなが集まって行う時間だけでなく、音楽のことを考えている時間も含めた時間である

と言いたいのである。

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posted by dolce at 14:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | 指導法

2009年07月29日

四度、五度を合わせよう

オーケストラでは、コンサートの始めに、コンサートマスターがAの基準を出す。
この音で全員がチューニングするわけである。

私は吹奏楽でもこの方法をすすめる。

オーケストラはAでチューニングするが、吹奏楽はB♭でチューニングしていることが多いようだ。

このチューニングの音も、アマチュアの場合Fで行うことをすすめる。
理由は、アマチュアの場合この音が出しやすいからである。

B♭でも音は出るのだが、奏法の基本ができていない者は、意外と無理に音を出していたり、音程が不安定だったりするからである。

ABF.jpg

Fの音をクラリネットの一人(リーダー)が出して、木管の高音楽器〜低音楽器〜金管の高音低音というように、基準音を聞きながら合わせていく。

これは耳の訓練でもある。

チューナーは便利な機械であり、使い方で練習効率を高めるが、アンサンブルはあくまで聴き合ってできていくものであるから、メーターの針に合わせる訓練をするのではなく、他人の音に合わせる訓練をした方がよいと思う。

しかし、基準音が不安定では何にもならないから、基準音を出す者にはチューナーで安定した音の高さを出すことを要求しておく。

音合わせは、完全一度や完全八度を合わせることになるのだが、これはユニゾンを合わせることに通ずる。

アンサンブルでは、よくユニゾンを合わせるように指導されるが、完全一度や完全八度だけでなく、日頃の練習で、完全四度完全五度合った感じを身につけさせることが大切と思う。


完全四度や完全五度の合った感じは、ハーモニーディレクターを使って示すのもよい。

初心者は、完全四度や完全五度の響きがわからない者もいるが、練習のたびに繰り返すことでわかるようになるものである。

演奏中にそういう響きを感じ取ることが大切なのである。
そのためには、時にはゆっくりしたテンポで演奏する必要がある。

演奏前のチューニングを神経質に、それこそチューニングメーターの針ぴったりでないと納得できない人がいるが、それは全く無駄なことである。
曲が途中で転調すれば、意味がないからである。

演奏前に厳しく音合わせをして、演奏中には無関心ということのないようにしなければならない。
そうしなければ、チューニングはただの儀式になってしまう。

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2009年05月19日

アンサンブルを阻害するもの

suisogakubu.jpgアンサンブルのバランスで苦労するものに、パーカッションがある。

パーカッションは元気でなくてはいけない。

だが、元気を要求すると、叩きすぎて他の楽器の音を消してしまう。
そうかといって、バランスを要求すると元気がなくなってしまうことがある。

パーカッションの演奏が上手い人は、元気な音だが他の楽器の邪魔をしない。

なぜそういう演奏ができるのだろう?

そのテクニックを探るには、下手な人はどういう演奏しているかを考えるとよくわかる。

パーカッションの演奏が下手な人

(1)音に無頓着である

まず、アマチュアの打楽器担当のほとんどが、音そのものに無頓着である。
たとえば、バスドラムをチューニングしたことは一度もないと言う。

まあ、叩けば演奏になると思っている者が多いようだ。

要するに、音色にこだわらないのである。

曲想によって、どういう音色を出したらよいかということを考えないから、時に「じゃまだなあ」と感じさせてしまう。

ドラムセットはチューニングが生命だとドラム奏者に教えられたことがある。

いくつか並んだ太鼓類をチューニングしなければならない。
具体的には、音階の何の音にするとよいと教えてくれる人もいる。

特に、学校では置いてあるそのままで叩いているということが多い。

(2)リズム感が悪い

短距離走の記録が悪い者は、リズム感が悪いと言った人がいる。
具体的にデータで調べたわけではないから、確証はない。

しかし、はじめからリズム感のよくない者を打楽器に配置すると、アンサンブル全体を作る上での苦労が多くなる。
打楽器は影響力が大きいからである。

■邪魔をしないパーカッションとは

音に無頓着とリズム感の問題を解決すれば、元気なパーカッションも邪魔にならない。
むしろ、演奏効果をアップする。

リズム感が悪くて邪魔をするのは、外れたところで音を出すからである。

これを解決するには、楽譜を正確に読むことと、リズム感の悪い者をパーカッション担当にしないことである。

音に無頓着なのは、いらない音を出すからである。

その演奏曲のその場所で、どういう音色を必要とするかを考えて、音を出さないからである。

この音色の問題は、シーケンサーソフトで試してみるとよくわかる。
具体的には、必要のない周波数成分をカットすることで、元気なパーカッションも他を邪魔しないことになる。

たとえば、スネアドラムの場合、サラサラとした音だけが必要な場合がある。そいう場合は、低いほうの音はカットするようにする。

現実の楽器の場合も、演奏者が必要な音色だけを出すようなセンスが必要である。

楽器購入時にもそういったことを、頭に入れておくとよいと思う。

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2009年04月08日

時には気がつかないふりも大切

私が指導に行くところによっては、演奏することが仕事(つまりプロ)の人たちもいる。

こういう人たちの集まりでの練習と、クラブ、部活動の練習では決定的に違うところがある。

それは上手下手の問題ではなく、練習に対する姿勢である。

クラブや部活動なら、嫌になったらやめればよいということがある。
ところが、それが仕事となると、嫌になったらやめればよいと簡単にはいかない。
もちろん、やめられないことはないのだが、やめるとなると仕事をやめるということになるので、収入に影響が出てくる。

今日言いたいのは、指導者が嫌になる状況に追い込んではいけないということだ。

指導者という立場は、相手をいじめることもできる立場でもある。

実際、厳しさではなくいじめをやっているという練習に遭遇したこともある。
ひどい指導者だと思う。

厳しさといじめは違う。

ひとつの団体をうまくするには、やる気を出させることである。

やる気を出させるにはどうしたらよいか?

その答えを出すために、まずは、やる気をなくすことを考えてみよう。

演奏者は恥をかきたくないと思っている

人の前で音を出すことは勇気のいることである。
それは、下手に演奏したりミスをしたりして人から評価を下げることを恐れるからである。

だから、向上心がみられたらわざわざ傷口に塩を塗るがごとく、みんなの前でさらさないようにすることである。

あるレベル以上にある人に、みんなの前でやらせてみるのはかまわない。

どうしようもなく深刻になっている人に対しては、聞こえなかったふりをすることも大切と思う。

練習は常に思いやりを持って

基本的に、指導する相手に常に暖かく接することである。

お世辞を言ったりする必要はないが相手の人格を尊重し、それ相応の言葉遣いをすることが大切と思う。

やたらに権威を誇示しない

「実れば実るほど頭を垂れる稲穂かな」

のように、中身を持っている指導者はやたらに空威張りをしなしものである。
ない権威を誇示してみたところで、かえって軽く見られるだけである。
厳しさは指導者の音を聞き取る力、見識や教養で相手が自然に感じ取るものである。

音楽の持つ価値を引き出すことに努める

音楽の持つ力というものがあって、人は感性でよいものに惹かれるというものを持っている。
美しい花を見て感動するものと同じである。

その音楽のよさを引き出していけば、人は「音楽っていいものだ」と感じて前向きになっていくものである。

以上、自分の過去の反省をこめてまとめてみた。

ということは、昔、私が教えていた人たち、子どもたちに申し訳なく思うことがたくさんある今日この頃である。

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posted by dolce at 01:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | 指導法

2009年03月21日

音の魔術師的指導

マルティノンがオーケストラの魔術師ということで、素晴らしくオーケストラや吹奏楽の音を引き出す指導法について考えてみる。

と言っても、これは大変なテーマだ。
だが、たたき台という意味でまとめてみよう。

指導者が音のイメージを持っている

まず、指導者が音のイメージを持っていることが大切である。
音のイメージを持っていると言っても、どんなイメージでも良いというわけではない。

うまい料理を作るには、料理人そのものの味覚が大切である。

だから、素敵な音のイメージを、指導者が如何に持っているかということだ。

良い音に持っていく手だてを知っていること

素敵な音のイメージを持っていても、どうしたらそのような音が出せるかという手段を知らなければ、的確な指導はできない。

うまい料理を作るには、その調理法を知らなければできないのに似ている。

演奏者に安心感を与える

指導者が指揮もするなら、演奏者に安心感を与えることができなければ、出す音は元気のない縮んだ音になってしまう。

近年、アマチュアの持つ楽器もプロの持つ楽器もあまり差がなくなってきた。
管楽器については、特にそう言える。
最近驚いたのは、アマチュアのバスーン吹きだがヘッケルを持っていた人がいた。

だが、ブランド志向感覚で実際、音の違いがあまりわからないというか、音そのものには関心がない人もいる。
いや、そういう人が多くなった気がする。

それで、オーディオもかつてほど売れなくなったのかも知れない。

某所で、あまりにもひどいサックスの音を出している者がいたので

「あなた、自分の音がいいとか悪いとか思ったことありますか?」

と聞いたら

「エッ、私そういうこと考えたことありません」

という返事が返ってきた。

指導者は素晴らしい音のイメージを持って、音色に無関心な奏者にも良い音というものに関心を持たせるようにしなければならない。

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2009年03月18日

オーケストラの魔術師とは

オーケストラの魔術師という言葉が気になって、これはどういうことかと考えてみた。

ここで言う魔術師とは、いわゆる良い演奏とか名演と言われるものとは違うと思う。

どちらかというと、オーケストラをよく鳴らせる、響かせるという方ではないかと思う。

もちろん、マルティノンのような指揮者は、オーケストラをよく鳴らせるというだけでなく、すぐれた演奏解釈に基づいて、すばらしい演奏をすることは言うまでもない。

興味があるのは、よく鳴らせる指揮者とはどういう練習をするのだろうかということである。

「よく鳴る」とは「音量が大きい」ということでもない。

鳴りが悪いからと言って、もっと音を出せなんて要求すると、うるさくなるだけということにもなりかねない。

優れた演奏団体は、ff(フォルテッシモ)でもうるさくない。

かつて、ギャルド・レピュビュリーケーヌ交響吹奏楽団のコンサートに行ったとき、70名以上の編成であるにもかかわらず少しもうるさいという感じを受けなかった。

反対に、30名にも満たない吹奏楽団でもうるさいと感じるものもある。

吹奏楽コンクールで、2階の最も後ろの席で聴いていたのに、トッカータとフーガを演奏した某中学校の演奏は耳栓をしたくなるほどだった。
1500人ほど収容のホールでもそんな具合だから、常日ごろ練習している音楽室ではどんな状態なのだろうと思った。

恐らく、感覚がもうマヒしているのかも知れない。

このように、吹奏楽コンクールで聴く多くの団体は、かなりの音量で演奏しているのに楽器が鳴っているという感じがしない。

東京の普門館でコンクールを聴いたとき、いくつかの団体を聴いて聴き疲れをしていて、もう帰りたいという気分になっていた時、休憩になった。

再開の前に、ゲストの東京佼成吹奏楽団が35名ぐらいの編成で演奏したとき、無理なく音が響いていてすごく気分の良い思いをした記憶がある。
ppでも楽器が鳴っているという感じだった。

名古屋で吹奏楽フェスティバルのような催しがあった時も、航空自衛隊はやはり響きが良く耳障りということはなかった。

全国大会職場の部金賞の常連の某バンドはそういうわけにはいかなかった。

その後、同じようなマーチをやはり東京佼成吹奏楽団が演奏したら、フワッとしたハーモニーに包まれたさわやかな音がした。

アマチュア吹奏楽団ももっと音色や耳に心地よい響きを追究してもらいたいと思う。

話が横にそれてしまったが、よく鳴る、よい響きがするとはどういうことか、もう少し考えてみたいと思う。

脱線したところで、就寝の時間になってしまったので、続きは次回にしよう。

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posted by dolce at 23:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | 指導法

2008年12月05日

あなたとは違うんです

sorino.gif
流行語大賞とまではいかなかったが、元福田総理のあなたとは違うんですは多くの人の印象に残ったようだ。

私も福田さんを思い出す時、一番印象に残ったことばがあなたとは違うんです
だった。
今思うと、少し気の毒な総理だったように思う。

ところで、このあなたとは違うんですが、私に強く印象づけた理由だが、音楽の指導法が話題になるとき、しばしば

「そんなにいい指導法があるなら言ってください」

とか、ここに書いてくださいという人に会うことである。

こういう人は、どうも、ある方法を使えば誰でも同じ結果が出ると思っているらしいのである。

そんな時、私は

「そりゃ、あなたじゃ無理と思いますけど」

と言いたくなるんだが、そこは心の中にぐっとしまい込んで沈黙する。

指揮法なんかいい例である。
一応、指揮法というものはあるが、それを忠実に守ったならば、誰でもすばらしい演奏になるというものでもない。

それでは、指揮法なんてどうでもいいと考えるのか?
というと、そんなことはない。
だが、アマチュアの中には、所詮、指揮法なんてものは一つの学問としてあるだけだと思っている人がいるような気がする。

「指揮はひとり一派」

とある先生はおっしゃった。
だから、先生と違った振り方をしていても、先生は何も言わないことがある。

でも、ひとり一派と言っても何でも許されるものではない。
やはり、それはまずいとかしてはならないということはある。

指揮法というのは必要条件であり、十分条件ではないのだ。

指揮法に限らず、指導というのは必要条件を超えたところで、マニュアル化できないものがある

人々の前に立ったとき、それが初対面であっても、人々が受ける印象というものはみな違うものである。
そういうものだって、指導の要素である。

「そんなにいい指導法があるなら・・・」


という人には

「あなたとは違うんです」

がぴったりの言葉だ。

そういう意味では元福田総理の功績は大きい。

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